第三章 Fallen Angel 5
愛美は、顔を歪めて握り潰した拳を開いた。血塗れだ。形代は、鋭い剃刀のようだった。
「思う存分闘えないとは好都合。それに、これならもっと闘えぬのではないか。隠れていないで出て来い」
バツの悪そうな顔をしつつも、高慢そうな態度で先程愛美が隠れていた金木犀の後ろから、一人の少女が現れた。
愛美と同じように、合服の白いカーディガンを羽織っている。大西晶子にいつもくっついている、野沢舞だった。瑞穂やその式神、形代の方に気を取られていた愛美は、野沢舞の気配にも気付かなかった。
野沢舞は、そう言えば保険委員だ。担任に言われて、愛美の様子を見にきたらしい。一体いつからそこにいたのだろう。
「近藤さん。あなたトイレに行くとか言って、H・Rを抜け出して何をしてるの。ショーコ様の言った通りだわ。学校にナイフなんか持ってきて・・・」
舞の目には、愛美の背後に控えている山犬神も、瑞穂の式神達も見えていない。地に落ちた形代は紙きれ同然で、〈明星〉を握り締めている愛美だけが非現実的だった。
「嫌だわ。こんな不良が私達の学園にいるなんて。怪しげな男の人と付き合ったり、ナイフを隠し持ったり。挙げ句の果てには、校内で刃物沙汰?」
愛美の心の中が冷えきっていく。
「人選を間違えたわね」
愛美は〈明星〉を鞘から抜くと、小刀の柄を握り締めた。愛美は気付いていなかったが、〈明星〉を握り締める愛美の右手から、赤い光が立ち上っていた。
――覚醒ガ近イヨウジャナ
愛美の目が、凍てついた鉱石のような暗い輝きを放っている。
「私を傷付ける人は許さない」
愛美は、野を駆ける小動物の身ごなしで瑞穂へと踊りかかった。しかし瑞穂に近付く前に、式神達が飛びかかってきた。
(私だって闘える。邪鬼だって簡単に倒せるようになった)
愛美はもう怯えているだけの、普通の人間じゃない。
闇を視、闇に生きる陰陽師の末裔なのだ。
式神達の爪や牙が、容赦なく愛美の身体に襲いかかる。それを小刀で薙ぎ払い、瑞穂に切りかかろうとした。
「天狼。駄目っ!」
愛美の身体は式神に体当りされて、激しく地面に転がっていた。愛美は、腹を〈明星〉に貫かれて事切れた、片足の式神を自分の身体の上からどかして立ち上がる。
「私の大切な天狼をよくも・・・」
瑞穂の言葉は、溢れ出た涙に堰止められた。愛美はその涙に、どうしていいのか分からず、構えていた〈明星〉を下ろした。




