第三章 Fallen Angel 3
担任の女教師は話が長く、H・Rが延びて一時間目の始まるギリギリまでかかることがよくあった。
大西晶子に見られた〈明星〉は、鞄の中に入れたままだが、封印が解けて以来、愛美の意思一つで手元に呼び寄せることができるので心配はない。
――急ゲ、マダ間ニ合ウゾ
右近に発破をかけられなくとも、急いでいる。愛美は上靴のまま、中庭に駆け出した。右近や左近とは別ものの、邪鬼とも違う匂い。
多分、愛美と一度目見えたことのある瑞穂と言う少女が、式神を連れてきているに違いない。
「同じ手は喰わないわよ」
中庭に繁った金木犀の背後から、五匹の式神を連れた少女の前に、愛美は気配を絶ったまま飛び出した。虚を突かれたらしく、少女は一瞬驚いて狼狽したようだった。
「残念ね。私のクラスメイトを盾にして、〈明星〉を取り戻そうとするような、姑息な手が使えなくて」
愛美の目には憎しみがこもっている。
あの日。瑞穂とその式神によって、命を奪われた愛美のクラスメイト達。愛美から仲間と家族と家を奪ったのは、目の前にいるこの少女だ。
三崎高校。山崎優子。弟の剛。
愛美の信じてきたものが全て音を立てて崩れ落ちたあの日から、非日常は始まった。
「姑息な手を使うのは、夜久野の常套手段だ。我ら兄妹の舐めた辛酸を、篤と味わうがいい」
黒い上下に身を包んだ少女は、死神の顔でそう言うと、愛美の側にいる、右近と左近に恐れをなしている式神達を、鼓舞するように指を弾いた。
五匹の式神達は、威嚇して牙を剥いたが、右近も左近も片腹痛いと言いたげに顔を背ける。瑞穂の傍らで低く唸り声を上げている式神は、一匹だけ毛並みにも艶がなく、前足も片方を失っていた。
「安心して。右近と左近は仇討ちの見聞人よ。手出しはさせないわ」
愛美の言葉に、瑞穂は顔を歪めた。怒りと憎しみ。
「吐かせ。仇討ちとは我らの台詞よ。我ら兄妹から家族を奪った貴様に、目にもの見せてくれる」
「ふざけないで。あなたの親を殺したのが夜久野であっても、夜久野真名が殺した訳じゃないわ。だけど、あなたは違う。私の目の前で、友人達を殺せと命令したのよ」
激高する少女とは反対に、愛美は冷静になっていった。肉親を殺されたことへの、やり場のない怒りなら愛美にも理解できる。しかし少女のそれは、逆恨みと言う形で愛美に向けられていた。
彼女は、綾瀬が言うように盲目同然だった。憎しみに心を支配されて、理屈も何もかも捩じ曲げられてしまっている。




