第二章 March of Ghost 26
愛美の言葉に片方の犬は、馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。先程、戯け者と怒鳴ったのは、その犬だろうと愛美は見当をつけた。
――左近。其ノ方ガ、教エテヤレ。イイ加減、愛想ガ尽キタ
その犬はお座りの体勢から長く寝そべると、半眼にして尻尾をゆっくり左右に振り始める。もう一匹の左近と呼ばれた犬が、人懐っこそうな顔で舌で口の周りを舐めた。愛美はもうその犬(?)達に恐怖を覚えなかった。
――我等ハ、右近ト左近。山ノ神ヨ。神トハ言ウテモ、人々ノ自然ヘノ畏敬ノ念ガ生ミ出シタ、物ノ怪神ジャ。厳照トハ、ソノ曾祖父サンノ小マイ頃カラノ、付キ合イヨ。アノ守リ刀〈明星〉ハ預カリ物デ、儂ガ早ウ死ンダ時ハ、本当ノ持チ主ガ現レタラ渡シテクレト、遺言サレタ。厳照ガ生キトル内ニ、持チ主ガ現レタコトハ現レタガナ・・・
右近がふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。左近は気にした様子もなく、愛美の問いに答え続ける。
――アノ宿屋ニモ、昔ハ家神ガ、憑イテオッタ。古イ家ニハ、大抵何カガオル。人ハ我等、闇ニ棲マウ者ニ脅カサレ、時ニ恵ミヲ与エラレ、共ニ生キテキタ。シカシ時代ガ下リ、闇ガ減ッタ為、我等ノ同胞モ皆、行キ場ヲ失クシ、闇ト共ニ消エテ行ッタ。自然ニ対スル、畏怖ノ念カラ生マレタ、我等山ノ神ヤ、木ノ神ノ天狗、水ノ神ノ河童。皆、人ニ忘レラレ、本当ニ消エテシマッタ
本当の暗闇は、現代からは失われてしまっている。東京のような都会は、使い古された言葉通り、眠らない街だ。一晩中ネオンに彩られ、人々は闇の齎す恐怖を感じなくなっている。
それは都会だけではなく、吉野の田舎町でさえそうだった。数にすれば都会の比にはならないが、人の住む場所には必ず光が溢れていた。
昔の人は闇を恐れ、山や木、川や石ころに至るまで神様が宿っていると考え、大事にしてきた。
人間には手に負えなかった荒魂同然の自然は、いつしか文明の発達とともに人間に手懐けられていった。人は闇や自然を畏れ敬うことを忘れるようになった。愛美は、現に自分が山犬神の姿を目にしていると言うこともあって、闇とともに消えた人に在らぬもの達の存在を受け入れていた。
――消エタノデハ、無イ。人ハ闇ヲ駆逐シ、我等ノ存在モ、闇ト一緒ニ葬リ去ッタ。人間ハ嫌イジャ
右近はそう言うと、苦々しげに歯を剥き出した。
――シカシ陰陽師ハ別ジャ。確カニ敵デハアルガ、同ジ闇ニ棲マウ者。我等ト共ニ、排斥サレタ者ジャ
右近はそう言うと、左近の身体に鼻面を押しつけた。右近には左近と言う仲間がいる。
(私には誰がいるの?)




