第二章 March of Ghost 25
紫苑は秀麗な眉を吊り上げると、小さな子供でも叱りつけるかのように両手を腰に当てた。
『東大寺君。またやりましたね。あなたの所為で、何度このマンションを改装したと思ってるんですか。寝惚けて床に穴を開けるわ。シャワーの調子が悪かった時に、間違えて水道管を破裂させて部屋中水浸しにするわ・・・』
まだ何か言おうとしていた紫苑を、東大寺は馬でも宥めるような仕草で落ち着かせた。
『俺かって、気ぃつけてんねんで。そんな昔のこと、持ち出さんでもええやん。愛美ちゃんに、俺ただのアホやと思われるやんか』
紫苑は、手を合わせて拝んでいる東大寺に肩を竦めると、とっくに思われてますよと呆れたように言った。
愛美は、靴を脱ぐと誰もいない部屋に上がった。夕食の用意なら紫苑がしておいてくれたが、綾瀬の食事の誘いを断ったことを少し後悔した。紫苑も東大寺も、あの嫌いな長門さえいない。
家に帰って一人だったと言う経験が、愛美にはあまりなかった。母は専業主婦で、愛美と弟の剛が小学校の頃は、帰宅時にはおやつを用意して待っていてくれたものだ。
構われ過ぎることや、一人の時間を持てないことを疎ましく感じることもあったが、失ってみて初めてそれがどれ程幸福な時間だったか理解できた。
例え本当の両親ではなかったとしても、愛美にとってはかけがえのないものだ。
愛美は荷物を残したまま、自分の部屋に戻るとベッドに倒れ込んだ。本当の家ではないが、ここが今の愛美の家だ。思わず涙を浮かべた愛美の後頭部に、結構重みのある何かが直撃した。
「痛た。何よ、もう」
愛美が後頭部を押さえて横を見ると、〈明星〉が収めてあった白木の箱が転がっている。空気の歪みを感じて、愛美はハッとして顔を上げた。
「あなた達・・・?」
――戯ケ者ガ。守リ刀ハ、肌身離サズ、持ッテオクモノジャ
――良イデハナイカ。我等ガ、守ッテオイタノダカラ
天井の隅に渦巻く二つの黒い影が、やがて二匹の犬の姿になる。昨晩、吉野の宿に現れた山犬神達だった。夢かと思っていたが、そうではなかったらしい。それともまた、愛美は夢を見ているのだろうか。
帰ったら綾瀬に聞こうと思っていたことは沢山あった――この山犬神のこともその一つだ――が、すっかり忘れてしまっていた。
「あなた達、最初に私に言ったわよね。自分達は、あの宿屋の主人に代々仕えてきた付喪神だって。その後で山寺の住職の井上厳照和尚に頼まれて〈明星〉を守護する山の神だとも言ったわ。あなた達は一体何なの。神様、妖怪、幽霊? どうしてあなた達みたいなものがいるの?」




