第二章 March of Ghost 22
毛足の長い絨毯に座り込み、愛美はようやく捕まえたクラディスの顔を両手で挟み込んだ。犬は嫌がって顔を引っ込めようとするが、綾瀬にお嬢様育ちと評されるだけあって、噛みつくようなことはなかった。
ブラッシングの行き届いた金色の毛並みが、電灯の光を受けて艶々と輝いている。今日のクラディスは、首に赤いバンダナを結んでいた。愛美は可愛いを連発して、クラディスを撫でてやるが犬は迷惑そうな顔をしている。
クラディスがさっと身を翻し、愛美ははっとして顔を上げた。扉から綾瀬が入って来たのだ。
三つ揃いのスーツ。濃い色のサングラス。幾何学模様の落ち着いた色合いのネクタイ。クラディスは、甘えて鼻を鳴らして綾瀬の足元に擦り寄った。
綾瀬には良く見えてはいないと知りながらも、愛美は慌てて立ち上がり、スカートの裾を直した。
「先程まで巴が来ていてね。バンダナはその時プレゼントされたんだ。とんだ小旅行になったようだが、〈明星〉が手に入れられたことは何よりだ」
綾瀬はそう言ってクラディスの頭を撫でると、愛美にソファに座るように勧めた。
綾瀬は一旦自分のデスクに近付き、書類の束を手にとると愛美の前に向かい合う形でソファに腰掛けた。クラディスは、ソファの裏から黄色のクッションを銜えてくると、綾瀬から少し離れて床に伏せた。
この前愛美が躓いたクラディス専用のクッションに顎を乗せて、上目遣いで愛美を見上げている。綾瀬は、持っていた書類の束を愛美に差し出した。
「これが、君の新しい戸籍だ。行くのも行かないのも自由だが一応、浦羽学園に転入手続きを済ませてある」
愛美は手渡された書類に目を落とすと、怪訝な顔をした。
「私の新しい戸籍って・・・。変わってないじゃないですか?」
戸籍謄本の写しらしいが、本籍地が綾瀬のあのマンションになっている他は、近藤愛美の名も血縁者の欄も書き換えられていない。慣れ親しんだ名前だけに突然、夜久野真名と名乗れと言われても困るが、綾瀬は夜久野真名として生きろと言った筈だ。
そして愛美は〈明星〉の封印が解けた時、自分が夜久野真名だと信じるに足る記憶の一部を取り戻した。
(それなのに、どうして・・・)
「不思議に思うかも知れないが、夜久野一族の戸籍は既に失われていてね。君を夜久野真名として、戸籍を偽造するのは少し面倒だった。社会生活を営む為に、便宜上近藤愛美の名を使ったが、それまでの近藤愛美とは全くの別人だと言うことは覚えていてもらいたい」
愛美は綾瀬の言葉に、静かに頷いた。
「あのう、SGAのメンバーになって、私は一体何をするんですか?」
愛美は、紫苑と東大寺とともに遅い昼食をとった後、紫苑の車で綾瀬のマンションに連れて来られたのだった。




