第二章 March of Ghost 2
桜吹雪。逃げる幼い少女。纏った白装束が少女の死に装束だ。激しい息遣いは自分のものか、それとも少女のものか。
逃げる者と追う者、狩る者と狩られる者。
命を懸けた鬼ごっこは、やがて終止符を打つ。
桜の大木を背にして少女は、自分を見た。恐怖で一杯に見開かれた目は、二度と閉じられることはない。少女の胸に突き立てられたナイフが、少女の命を消した。全ては白と黒のモノクロォウム。
ただ白装束を染める鮮血だけが、赤く、どこまでも赫かった。
「十年前の決着は必ずつけてやる・・・夜久野」
那鬼は顔を上げると、そう一人言ちた。いつの間にか、ソファでうたた寝していたらしい。
数日前から、同じ夢ばかり繰り返し見ている。十年前にこの手で殺した筈の人間が、生きていたなど悪夢もいいところだ。那鬼は疲れた顔で、こめかみを押さえた。
「少し、働き過ぎだな。こんな忙しい時に、十年前の亡霊の相手ばかりはしておれん」
1LDKのマンションは、彼一人が住むには丁度よく、当分の間結婚するつもりもなかった。今の彼には、会社を大きくしていくこと以外頭にない。
金融本位の社会の中、上月家が生き残っていくには、資産が必要だ。古ぼけた慣習と、心中する訳にはいかない。
(それにしても、迷惑なことだ)
「あんたはまた、俺の邪魔をする気か」
窓の外を覗かなくても分かる。あの大鴉が彼を見張っている筈だ。
「今度こそ、殺してやる。夜久野とともにあの世へ行きな」
――・・・・・・・。
彼は何か呟くと、再び目を閉じた。
夜の帳が、静かに彼を包み込む。
彼の部屋のベランダに、音もなく一つの影が舞い降りた。
夜の闇を思わす漆黒の鴉。その額の真ん中には、もう一つの目が全てを見通すかのように開いていた。
*
綾瀬は、銜えた煙草にライターから火を移した。一瞬広がったオレンジの光が、綾瀬の顔に濃い陰影を刻む。紫苑の中性的な美しさとは別物の、年齢を重ねたからこそ出る、深みが綾瀬にはある。
不覚にも愛美は、胸が高鳴るのを感じ思わず顔を赤らめた。だが綾瀬が気付いた筈がない。いつの間にか日は暮れて、部屋の中は薄闇が支配していた。
「それにしても遅いな。西川の奴は。まさかクラディスを連れたまま、食事に行った訳ではあるまいし・・・大方、巴がクラディスを連れて散歩でもしてるんだろうが。最近、クラディスには会っていなかったのだしな」
綾瀬は自分一人で納得している。しかし、愛美がいたことを思い出したらしい。
「巴和馬。彼はSGAの情報収集の専門でね。君の素姓も、彼が洗い出した。うちのクラディスは、我が侭なお嬢様育ちなものだから、私以外では巴にしか気を許していないんだ。まあ、手間のかかる女ほど可愛いとも言うがね」
綾瀬は小さく笑った。彼の手にした煙草の火が、暗がりの中赤い染みのようにぽつんと浮かんでいる。




