第一章 Welcome to my nightmare 39
「それはこの社会が作り出した、欺瞞に満ちた事実だ。上月と夜久野の両家の名は、禁忌として隠され続けてきたのだからな。さて十年前、夜久野家は一族郎党皆殺しになったが、その事件は時の政府によって秘密裏に処理された。新聞の紙上を賑わすこともなく、下手人だって上げられなかった」
そこで、綾瀬は言葉を切ると口元に笑みを浮かべた。
「さて、本題に入ろう。十年前夜久野を滅ぼした奴らにとっては、夜久野の末裔など目障り以外の何物でもない。狙いは夜久野真名の命と、十年前不首尾に終わった、夜久野一族の家宝〈明星〉の奪取にある。君を実際に襲ったのは、神坂大和、瑞穂の兄妹だが、後ろには上月がついている。夜久野亡き後、日本の陰陽界の頂点に位置する上月家が、君の復讐の相手だ」
綾瀬はそう言って、煙草を揉み消すと、椅子から立ち上がり、愛美の腰掛けるソファへと移った。長い足をこれみよがしに組む。
「SGAとしては援助はするが、所詮は君の問題だ。強要はしない。私にとって夜久野と上月の争いなど、余興ぐらいでしかないのでね。ゆっくり、考えればいい。十二時まで待つと言ったのだからな。シンデレラ姫さん」
綾瀬の言葉は、人を不快にする。わざと愛美の怒りを誘うような言葉を、選んでいるかのようだ。追い詰められる愛美を見ることに、悦びを感じているのかも知れない。
(サド親父)
愛美は東大寺少年に倣って、綾瀬にそんな言葉を進呈した。本当に嫌な男だが、愛美はもう答えを出したのだ。彼の言葉も、愛美の決心を覆すものではない。
「近藤愛美は死んだわ。新聞にも出ていたでしょ。あの火事の中、家族とともに焼け死んだの。でも私は、夜久野真名でもない。夜久野の名を名乗るのは構わない。でも私は夜久野真名じゃない。これでは商談は決裂かしら」
愛美は、自分でも気付かない内に微笑を浮かべていた。
男を見下すようなその表情は、大人顔負けの貫禄を備えている。愛美は、一世一代の勝負に出たつもりだった。
何処にも自分の居場所が無いことは明白だが、綾瀬の言った通り、これは自分の問題だ。最後に残るものが自分なら、曲げられないこともある。それが愛美の出した答えだった。
(流石に、夜久野の血は争えない。〈明星〉が選んだ人間だけはある。これは、面白くなりそうだ)
綾瀬は一人ほくそ笑んだ。そして、
「商談成立だ。だが、君にはこれからも、近藤愛美と言う名を名乗ってもらう。それで十分だ。喜んで君をSGAに迎え入れよう」
歯車が回り出す。
周到に張り巡らされた蜘蛛の糸が、少女を破滅へと誘っている。




