第一章 Welcome to my nightmare 3
少年は先程から、何とかの一つ覚えのように同じ言葉を繰り返している。
「あのアホ親父」
けれど、その言葉にあまり意味はないらしく、ただ口をついて出てくるだけのようだった。
少年はそう呟きながら、足を交差させたり腕組みしたり居心地悪げに隣の助手席でモゾモゾしている。その度に、高価な皮のシートが擦れる音がする。
紫苑は横目でそれを見ながらも、車の運転に意識を集中させていた。
「あのアホ親父、何でこんな車に乗らんなあかんね」
少年は、中学まで近畿圏内で過ごしていただけあって、会話は全て関西弁だ。
ドイツ製高級車に対してこんな車とはひどい言いようだが、紫苑にとっても他人の車なので、何かあっては大変だと、ひやひやしながらの運転はかなりの負担だった。しかし、三台ある社用車の一台は使用中で、いつも使う国産車がメンテナンスとくれば仕方がないではないか。
「親父って、あの人まだ三十半ばじゃないですか」
紫苑が苦笑いを洩らして言うと、少年はこう断言した。
「三十過ぎたら、もうおっさんや。ボケ」
その三十過ぎたおっさんに言われた言葉を、紫苑は胸の内で反芻する。
『今度の件は、お前達は傍観者として見守ることに始終してくれ。決して手は出すんじゃないぞ』
その時、助手席の少年が素っ頓狂な声を上げた。
「うわっ、あの姉ちゃん気配断ちよった! やばいで、紫苑、見失った」
「! トレース出来ませんか?」
紫苑も驚いて言葉を返す。少年は、それに真剣な顔で答えた。
「やるだけやってみるけど、当てにすんなよ」
少年は大きく息を吸い込むと、沈黙した。
時間だけが、刻々と過ぎてゆく。
手を出すも何も、これでは間に合わないかも知れない。事が起こってからでは遅いのだが、あの人は何かが起きることを期待しているような節があった。
きっともう一人の男の方は、あの人の忠実な下僕が見張っていることだろう。あの人なら、自分の目の前で何人の人間が死のうが動じないに違いない。 だが、自分はどうだろうと紫苑は自問した。目の前で誰かが苦しんでいるのを、ただ見ているなんてことが出来るのだろうか。
紫苑は、当てもなく車を流しながら、少年の言葉を待った。
紫苑の胸は、今日の空模様のように騒いでいた。