第一章 Welcome to my nightmare 36
それが愛美に出来る精一杯だった。愛美の出した結論だった。握り締めた中岡の拳が、細かく震えている。
「何で謝るんだよ。自分の所為だって認めてるのか。違うって言えよ。お前は関係ないって言えよ」
「ごめん・・・」
何の関係も無いと言えば、きっと嘘になる。関係ないと思いたいのは愛美の方だ。否、関係ないと思っていた。一人よがりなヒロイズムに、浸っていたと言ってもいい。
自分だけが辛いのだと、苦しいのだと信じて疑わなかった。実際に苦しい思いをしたのは、死んでいった級友達や家族そして、中岡のように傷を受けた者の方だ。愛美は生きているし、傷を負った訳でもない。自分の受けた衝撃など、彼らの比ではない筈だ。
だが、彼女は知らないのだ。心の痛みは、肉体の痛みさえ凌駕すると言うことを・・・。
「ごめんね・・・」
愛美は三度その言葉を繰り返すと、東大寺の方に向き直った。
この場合東大寺は、ただの傍観者であるしかない。これは愛美の問題だから、彼女自身が自分の答えを見つけ出さなければならない。それがこれからの、愛美の生き方を決めるのだ。
その答えが、例え間違ったものであるとしても、東大寺にはそれを否定する事など出来ない。自分だって、そうやって一つの結論を得たのだ。今の自分の生き方が例え間違っていたとしても、もう引き返すことは出来ないことを知っている。
愛美はどうするつもりだろう。愛美はどの道を選ぶのだろう。
「変なこと、聞いていいですか? 東大寺さんって、不思議な力を持っているんですよね。違ってたら、ごめんなさい」
愛美がおずおずと尋ねると、東大寺は拍子抜けする程あっさりと肯定した。
「別に不思議な力やない。ただの超能力や」
あまり簡単に言うので、愛美もまるでそれがごく自然なことのように納得してしまう。
「人の記憶とか消したり出来るんですか?」
「そんなん簡単や。おっ、そう言うことか? やっぱ愛美ちゃんは優しいな。こいつから、事件の記憶を消したろう言うんやな。ええで。ほんまやったら、事件終わった時点で、全員の記憶抹消しとかなあかんかってん」
愛美の話を最後まで聞かず、東大寺は勝手に一人合点して、早速ことに及ぼうとする。それを愛美が懇願するように止めた。
「違うんです。それだけじゃないんです。私の・・・私に関する全ての記憶も消して欲しいの。近藤愛美と言う人間は、最初からいなかったことにしたいの。みんなから私の記憶を消して、お願い」
東大寺は、そこになって初めて事の重大さに気が付いた。彼女は答えを出した。しかしあまりにもその選択は、重すぎる。彼女はその意味を分かって言っているのだろうか?
それは、名前はおろか過去さえも捨てると言うことだ。自分と言う人間全てを、否定することに他ならない。だが、近藤愛美と言う人間は、戸籍上から既に抹殺されている。
そして今彼女は、人の記憶から抹消されることを自ら望んだ。
痛いやろな、と東大寺は思った。
その痛みが分かる分、東大寺はここに愛美を連れてきたことを、後悔した。しかし、遅かれ早かれ彼女は決断を下さなくてはいけなかったのだ。
「ええんか、ほんまに・・・?」
東大寺は、愛美の目を覗きこむ。愛美の目の中に悲しみだけではない、何かが宿っていた。
(自分で決めよったんやな)
儚い微笑を浮かべ頷く少女に、東大寺は心の中で謝った。




