第一章 Welcome to my nightmare 32
九月十二日午後三時過ぎ、会社員近藤俊夫さん45才宅で出火し、妻の由美子さん41才及び長女、愛美さん16才と長男の剛君14才の全員が焼死した。家屋は全焼したものの、付近への類焼は消火活動により避けられた。煙草の火の不始末による出火とみられる。
三面記事の隅にたった数行で片付けられた、家族の死。
この二日間何度となく眺めたそれは、愛美はもう空で言うことが出来た。紫苑青年に、自分の死亡を伝えられたあの日から、既に二日が経った。
綾瀬が条件として出した三日の期限が、今日の夜中で切れる。
近藤愛美は、この世にはいない。その台詞を聞いた時、愛美は直感的にそれが綾瀬の仕業に違いないと思った。近藤愛美として生きていけるとは思うなと言った、あの男だ。
『どうして、私ならちゃんとここにいるじゃない。こうして生きてるのよ!』
(居場所が無いとはそう言うことか)
どうしても愛美を、夜久野真名に仕立て上げたいらしい。
(何が煙草の不始末だ。お父さんはもう何年も前から、煙草を吸ってない)
『警察に行きます。警察に行って全部話すわ。そしたら親戚が現れて、すぐに私を引き取ってくれる』
紫苑は、叱られた子供のように目を伏せた。
『警察は何も出来ない。あなたが出て行った所で、警察は取り合ってくれませんよ。触らぬ神に祟り無しです。もうこの件は、終わってるんですよ』
愛美は悔しくて腹が立って、どうにもならなくって紫苑に当たってしまった。青年は悲しそうな顔をしながら、この部屋を立ち去った。それ以来、彼はここには来ていない。
――あなたの顔なんか見たくない。出てって。
今から考えると非情いことを言ったと思う。しかしあの時は、何もかもが信じられなかった。誰もがと言った方が正しい。
――こんな事をしている場合じゃない。何かしなくちゃ
猶予の刻限は夜中の十二時で、残り十二時間を切っている。しかしまだ答えは出ていない。
このままではいけない、何かしなければ。愛美は強くそう感じた。
*
公園のベンチに腰掛けると、少年はおもむろに鞄から数枚の紙の束を抜き出した。適当に二つ折りにされ、無理やり突っ込まれていたのであろう、その紙は皴くちゃになっている。
天高く馬肥ゆるとはよく言ったもので、空はどこまでも青く澄みきっていた。ついでに言うと少年は腹が空いている。公園の木々もまだ 落葉には早いのか、濃い緑の葉を繁らせていた。少年は暫く紙の束を見つめた後、
「天誅じゃ」
と叫び、哀れその紙は判別出来ない程に引き裂かれた。
ビリビリになった紙片が、風に攫われ飛んで行く。
「あ-っ。すっきりした。テストなんか俺には関係ないんじゃ。ボケ」
東大寺少年は関西弁でそう言うと、忌々し気に鼻を鳴らした。この日、先週休み明け早々に行われた実力テストが返された。
東大寺曰く、そんなもん返さんでええ、のである。三教科平均で四十点を割った彼は、思った通り担任によって注意を受けた。東大寺はテスト用紙に天誅を食らわせ、少し気が晴れた。
腹減ったぁと一言呟くと、公園を後にした。金を使いたくないので、当然行き先は決まっている。聖マリアンヌ教会、紫苑のところだ。何かあった時の為、綾瀬から定期代は支給されている。
手っ取り早く瞬間移動をして交通費は丸取りしてもいいが、能力が使えないことが起きたら困るので、流石の東大寺も定期は用意してあった。
アパートに帰る気にならない時など、紫苑の家や綾瀬の所、以前暮らしていたマンションの付近をついウロウロしてまう。マンションにも常備食はあるが、当然手作りの方がいい。
通りに出た東大寺は、そこで思いもよらないものを目にした。
「これこそ、運命ちゅうもんやな」
茶色の短いワンピース姿のあれは、彼女に間違いない。制服の時とはだいぶ印象が変わっているが、確かにあれは近藤愛美だ。あの落ち着いた服装は、綾瀬の秘書の趣味だろう。
それにしても、彼女は何処に行くつもりか? 東大寺はひとまず紫苑のところに行くのは後回しにして、愛美の後を尾け始めた。




