第一章 Welcome to my nightmare 31
紫苑と愛美は、テーブルに向かい合って食後の紅茶を飲んでいる。紫苑の淹れる紅茶は絶品だ。愛美は昨日、綾瀬のところで飲めなかった分を取り戻すかのように、その深いルビー色の飲み物を味わった。
「明後日の夜中の十二時。それがあの人が言った三日間の猶予の期限です。何だか、シンデレラみたいだと思いませんか?」
「魔法が解けて、私は夜久野真名になるんですか」
不用意に洩らした紫苑の言葉が、愛美の心に暗い影を落とす。愛美の静かな声に、紫苑も失言だったと悟る。口元を押さえると、言葉少なに謝った。二人の間に気詰まりな沈黙がおりる。
(私には、白馬の王子様役は無理ですよ。綾瀬さん)
紫苑は、胸の中で溜め息を吐いた。あの人も、ひどい頼み事をしてくれたものだと思う。人を慰めるのは、女性に外見で好かれるのとは訳が違う。
両親を失い、友人を失い、自分自身をも失った少女に何を伝えればいいと言うのだろう。教会で助祭の真似ごとなどしていても、信者でもない者に軽々しい慰めなど掛けられない。
それが重い内容なら、尚更に。
『お前なら出来るさ。お前が、うちでは一番まともなんだからな』
昨夜電話をかけた紫苑に、綾瀬はそう言った。事後報告なら、とっくに東大寺少年が済ませていたが、紫苑はどうしても、綾瀬に伝えたいことがあったのだ。それは勿論、近藤愛美と言う少女に関することだった。
少女が手にしていたあの短刀。一度目は学校の教室、二度目は少女の家の中で見かけたやつだ。思った通り、綾瀬は東大寺から、その話は聞いていなかったとみえ「そうか」と呟いたきり、電話の向こうで沈黙してしまった。
『彼女は、夜久野と言う名前は知らないと言っていました。嘘を吐いているようには見えなかった。彼女は何も知らないんです。それなのに、なぜ?』
『記憶喪失と言うこともあるだろう。すぐ側にいい見本がいるじゃないか』
今度は紫苑が黙る番だった。その言葉に紫苑はもう何も言えなくなる。
『彼女が、やはりそうなのですか?』
紫苑の問いに、彼は笑って答えなかった。綾瀬は、確かにそれに対する答えを持っているようだったが、彼が次に言ったのはこんな言葉だった。
『そんな事はどうでもいいんだ。彼女が誰であろうと、私にとって利用価値があれば、それでいいんだ』
非情い男と思われそうだが、綾瀬は今朝早く、少女に必要な当面の生活品を、紫苑の所に送って寄越した。誰でも使えるように用意してある備品に愛美が遠慮して手を付けないことを、見越していたようだ。
そう言う気遣いが彼らしく、やっぱり綾瀬はいい人だと思ってしまう。きっと愛美が帰った後、秘書に買いに走らせたに違いない。
(厳しさと優しさと・・・か)
愛美は辛い現実に直面している、今愛美に必要なものは彼女を温かく包み込んでくれる誰かだ。だがそれは決して、この現実から目を逸らさせることではない。
紫苑は、愛美に事実を告げることにした。
「今朝の新聞で報じられていました。昨日の夕方の火事で、一家四人が死亡したそうです。近藤俊夫・由美子・愛美・剛。もう遺体の確認も済んでいます。近藤愛美と言う人間は、もうこの世にはいません」




