第一章 Welcome to my nightmare 30
その時、玄関のドアノブが回る音がした。愛美は反射的に身体を固くする。ガサゴソと紙袋を両手に提げた、紫苑が顔を覗かせた。ソファに座る愛美に気付くと彼は微笑んで、起きてらしたのですねと言った。その紫苑の表情が、ふっと暗くなる。
「大丈夫ですか。まさかずっと起きていたのではないでしょうね?」
確かに、あまり眠っていない。それに、着替えなどないので服のままでベッドに入った為、制服だって皺になっている。髪だって梳かしていなかった。
紫苑の、オリーブグリーンのジーンズに薄手のセーターと言う小奇麗な格好の前に立つには、あまりに今の自分の姿は惨めだ。
しかし、紫苑が言っているのはそんなことではない。今の愛美の頬には、全く血の気がなく、まるでガラスの人形を見ているかのようだったのだ。
「まさか、ニュースを見たんですか」
そう言う紫苑の声は、少し上ずっていた。愛美は小さく頷くと俯いた。
「優子・・親友が死んだって・・・」
紫苑は思わず、安堵の溜め息を洩らしそうになり、そのこと自体も良いことではなかったと慌てて痛ましそうな顔になる。下を向いていた愛美は気付かなかったようだ。
(まだ、あの事は知らないらしい)
紫苑は、また時機を見て、そのことを話そうと思った。
「私は、あなたを慰めるられるような、気の利いた言葉は持っていません、でも、あなたと一緒に悲しむことはできる」
紫苑の手は愛美の肩を掴むと、愛美を自分の胸に引き寄せた。愛美は驚いたのか小さく悲鳴を上げたが、ただ抱かれるままになっていた。
(あの人とは違う。あの人の腕の中は、何か懐かしい匂いがしていた)
愛美はそう思い、あの人とは一体誰のことなのかと、自分でも驚いた。思い出せそうで思い出せない何かが、愛美の指の間から砂のように零れていく。愛美は紫苑の胸をそっと押すと、もう大丈夫だと笑って見せた。
紫苑は馴れた手付きで、愛美の髪を掻き上げてやった。目尻がうっすらと赤くなっている。ずっと泣いていたのだろう。
「朝ご飯、パンなんですけど構いませんか。昨日、聞いておくの忘れてしまって・・・あっ。玉子はどうしましょう。目玉焼き、それともスクランブルにします?」
紫苑がキッチンに向かいながら、愛美に尋ねた。愛美はその様子に、思わず笑ってしまいそうになる。あの東大寺と言う関西弁の少年と言い彼と言い、根っからの楽天家なのだろう。
その底抜けの明るさが、今の愛美には眩しくもあり救いでもあった。もしその場に東大寺がいれば、紫苑のことを良い主夫になれると茶化した筈だ。




