第一章 Welcome to my nightmare 28
「ん・・・お・・兄ちゃん・お兄ちゃん?」
大和はその声に、ゆっくりと目を開いた。心配そうな瑞穂の顔が、目の前にある。大和は一瞬自分が、どこにいるのか分からなかった。ファストフード店の喧躁の中に、彼は自分の姿を見つけ、そっと溜め息を吐いた。
「ちょっと疲れただけだ。そろそろ家に戻ろうか、瑞穂」
瑞穂は不安を隠しきれず、テーブルの上の兄の手に自分の手を重ねた。温かいものが、その手を通して大和の中に流れ込んでくる。あの少年も、こうして自分の姉の手から温もりを感じていたのだろうか。
大和はその思いを振り切るように、強く瑞穂の手を握り返すと席を立った。
(あいつらは分からず屋だ。事実を受け入れようとしない大馬鹿者だ。そんなつまらないことなど、忘れてしまえ)
*
淡い朱鷺色の花片を追いかけて、幼い頃の私が走って行く。
春。陽射しは暖かく、眠気を誘うようだ。私は木々の間を駆けながら、不意に足を止める。あれは誰だろう? 自分と同じ位の年頃の女の子が、地面に蹲っていた。
『あなた、だれ?』
女の子は、花弁を拾う手を止めるとにっこりと笑った。
『マナよ』
『ふ-ん。わたしも、マナっていうのよ』
私もそう言って、その女の子の前にしゃがみこんだ。
『いっしょにあそぼ』
私がそう言うと、女の子は吃驚したように目を大きくして、それから残念そうに首を振った。帰らなくてはならないらしい。私は、今度一緒に遊ぶ約束だけして、その子と別れた。
『どこに行っておいでだい?』
『おばあちゃん。おともだちが、できたの』
白い着物姿の女が、それは良かったと言って頭を撫でてくれる。私と同じ、マナって言う名前なのよ。無邪気な私の言葉に女は、驚いた顔をした。私はそれは気にせず、言葉を重ねる。
『こんど、いっしょに、おままごとをするの』
良かったねと言う女の顔は、なぜかとても悲しそうだった。不意に私の身体は、女の腕の中に引き寄せられていた。耳許に女の温かい息がかかる。私は嬉しいような、擽ったいような気持ちになった。
『お前は私の大事な・・・』
風を受けた桜の木々が、ざわざわと枝を騒がせる。女の言葉は桜の花弁とともに流れて消えた。
その言葉は永遠に、私には届かない。
(あの人は、一体何を言おうとしていたのかしら。誰かが、あの人と同じような言葉を、私に言おうとしていたような気がする。それは誰だろう)
愛美は、見覚えのない天井をじっと眺めていた。糊の利いたシーツの匂いにくるまれて、愛美は思い出さなければいけないと強く感じた。
朝の白い光が、空っぽな部屋に溢れている。
「やだっ、学校行かなきゃ」
愛美は、シーツを跳ねのけたところで、ようやく完全に目を覚ました。
フローリングの床に、ベッドがあるだけの簡素な室内。
小説やマンガの詰まった本棚も、小さい頃から集めていたぬいぐるみも、ここにはあの部屋を思い出させるような物は何一つない。
愛美の部屋、彼女が一六年間過ごしたあの家は、もう存在しないのだ。愛美の大事な人達とともに、炎の中に飲み込まれてしまった。愛美は自分がどこにいるかを理解すると、再び枕に顔を押しつけた。




