第一章 Welcome to my nightmare 21
車のステレオからは、先程から管弦の低い旋律が流れている。
フロントガラスの上で雨の滴が、波のような模様を描いているのを、愛美は見るともなく見ていた。
規則正しいワイパーの動きに合わせて、水滴が左右に流れていく。黒塗りの高級車を運転するこの美しい青年、名前は紫苑と言うのを愛美はようやく知った。
愛美を気遣ってか、ぽつりぽつりと断片的に語られた話を継ぎ合わせると、どうやら向かう先は綾瀬と言う男のマンションらしい。
「私もあの東大寺君も、彼の会社、〈St.Gardians Asossiation〉のメンバーなんです」
そう言って紫苑と名乗る青年は、はにかんだ笑みを見せた。
蜜色の髪と彫りの深い顔立ちは、どう見ても日本人のものではない。英語圏の国で育ったのだろうか。
単語の発音は、正統派の英語だ。しかし日本語も完璧に操っている。両親のどちらかが、外国人なのだろうか。
繊細な管楽器のメロディーと、雨に煙る街を見ていると何もかもが夢だったように思われてならない。
愛美は今目覚めれば、いつもの自分の部屋にいるような気になっていた。それも仕方がないのかも知れない。あまりにも色々な事が起こりすぎている。それも、非現実この上ないことばかりがだ。
愛美は、深海魚のように息を潜め目を閉じた。
次に目を開いた時、この悪夢から目覚められると信じて疑わないかのように・・・。
車は沈黙を乗せて、ただひたすら逃れることの出来ない現実に向かって走り続ける。
*
「分かった。そう伝えておこう」
男は含み笑いを洩らし、愛想なく切れた電話を、ゆっくりとマホガニーのデスクの上に戻した。
「クラディス、お客様がみえるそうだ」
男は革張りの安楽椅子に深く身を沈めると、持て余すかのように長い足を組んだ。毛足の長い絨毯の上にはゴールデンレトリバーと言うのだろう、金茶の毛並みを持つ美しい犬が長々と寝そべっている。
不意に犬が、ぴくりと耳をそばだてた。
「おや。もう着いたのか? 困ったな。西川の奴は、まだ買い出しから戻って来ていないのに」
男はそうやって犬に向かって話しかけながら、馴れた仕草で着衣に乱れがないかを確かめた。
如何にも高価そうな、落ち着いた色合いのスーツを身につけている。袖口から覗く時計も、両眼を隠す黒眼鏡も明らかに高級品に違いない。
程なくして控え目なノックの音が響くと、男は客を迎え入れる為に腰を浮かせた。
「どうぞ」
「失礼します、紫苑です」
扉が開き、二十代半ばの髪の長い美しい青年が中に入って来る。




