第一章 Welcome to my nightmare 14
たがが外れてしまったかのように叫ぶ父親に、愛美は怯えて後退りを始める。
理不尽な死を目前にして、冷静であれと言う方が無理かも知れないが、男の姿はあまりみっともいいものではない。例え彼の言葉が真実としても、今まで黙してきたことならば、なぜそれを胸に秘めたまま逝けないのか。
所詮、それだけの男だったのだろう。人間死を悟った時、達観出来るか、それとも見苦しく足掻くかの二通りしかない。男はどうやら、後者のようだった。
愛美は今、とても不安定になっている。最後の拠り処の父親に突き放され混乱したのか、後退りして部屋から出ていこうとする。
この現実を、受け入れられないのだ。廊下に出た愛美を、だが妨げた者があった。
「なんや、どないしたん」
呑気な関西弁の、
「東大寺君! 遅いじゃないですか。数分で済むんじゃなかったんですか。それとも他に何かあって」
埼玉から県境を越えて板橋区まで。車で約二十分の道程だった。
「おお、悪い。ちょっと迷子になってたんや」
「やっぱり」
「やっぱりって。いや、信号待ち中に乗ろうかなとか、いきなり現れて驚かしたらあかんとか色々考えてて、その内に迷てもうて」
「信号待ち中に、普通にドアから入ってくればいいんじゃないんですか? 途中までは、信号に引っ掛かって時間を無駄にしませんでしたが」
「あー。その手があったかー」
紫苑の怒りをよそに、東大寺少年は笑って頭を掻いた。愛美の背を押して東大寺はリビングに入ると、後ろ手に扉を閉めた。呪詛の言葉を繰り返し吐いている男に、東大寺も気付いたらしい。
不意に真面目な顔になると、寄って行って紫苑に耳打ちした。
「おい、あの男。誰かに操られとるで」
「そう言うことですか」
(私ノ所為・・・全テ私ノ所為)
「あんた、信じたらあかんで。ほんまにそう思うとるんちゃう・・・っておい!」
東大寺はそう言って愛美を揺すぶったが、少女の瞳孔は大きく開き、完全に精神が錯乱している。
――マズいな。
東大寺は小さく舌打ちすると、右手を伸ばして宙を掴む真似をした。開いた手の平には、小さなビー玉程のガラス玉が乗っている。まるで手品師だ。
東大寺は前に進み出ると、男の視界にそのガラスの球体をかざして見せた。
「おっちゃん。よ-く、こいつを見ぃや」
東大寺はそう言いながら、ゆっくりと手を動かす。その動きに合わせて、男の視線が右へ左へと移ろう。東大寺がほらと手を離すと、ガラス玉はフロアーの上で粉々に砕け散った。
その瞬間、男の目に理性の光が戻った。
「私ノ所為 私ハ本当ノ娘ジャ・・・」
愛美は床に座り込んで、その言葉を何度も繰り返している。彼女の父親は、その姿に苦し気に顔を歪めた。身体の痛みからとは、明らかに違う。
「愛美・・・お前・・は私達の大・・・事な――」
ビチャッ
男はその台詞を、最後まで言うことは出来なかった。
東大寺が奇妙な雄叫びを上げ、紫苑は思わず顔を背けた。
彼女の父親は、脳漿や骨片や何か分かりたくない物を、撒き散らしで死んでいる。きっと誰かが、不必要な事を言われる前に消したのだろう。




