第四章 Over the Horizon 38
愛美が部屋で一人でいると、早良が(さわら)構わないかと聞いて障子を開けると、ぎくしゃくとした動作で部屋に入ってきた。緊張しているのか、顔が強張っている。
「あの少年のことを、君が誤解したんじゃないかと思って」
そう言った早良は、愛美の方を見ずに暗い窓の外を見ていた。愛美と目を合わせたくないらしい。
(仲間じゃない)
東大寺がそう言うなら、そうなのだろう。
(私は、綾瀬に拾われただけ。優しくされて、思い上がってだけなのかも知れない。友達だって、仲間だって・・・)
「もう、いいんです。関係ないから」
愛美はそう言いながら、鞄の中身を取り出し始めた。
まだ九時前だ。もし今大阪まで出れば、東京行きの夜行列車かバスぐらいあるだろう。愛美はその考えを頭から振り払った。
東大寺に、仲間でも何でもないと言われてしまったのだ。東京に帰ったところで、どうにもならない。
それよりも、橘夫妻の元で新しい人生を送る方が賢明ではないのか。愛美の心に引っ掛かった刺が、愛美にその考えを受け入れさせなかった。
早良は黙って、首を振った。
「橙次様は黙っていた方がいいと仰ったが、それでは私の気が済まない。あの少年のことを、悪く思わないで欲しい。彼は、自分達と一緒にいれば、君は普通の人生を送ることができないと心配していた。SGAにいれば危険な目に合うし、本当は・・・」
東大寺は、残っていた豆腐の味噌汁を一息に飲むと、箸を下ろした。
四人掛けの大衆食堂の椅子には、東大寺を挟んで上月橙次と橘早良の二人が座っている。客は他にいなかった。
『あんたらみたいな仕事は仕事で、命の危険もありそうやけど?』
『彼女に陰陽師の務めを果たさせる気はない。彼女が、どうしてもと言うならともかく。六歳で家を離れたなら、基礎的なことしか学んでいまい。ただでさえ厳しい修行。これから修めるのも並大抵ではあるまい』
東大寺は水を口に含んで、橘の顔を穴が開くほどジッと見つめた。その顔が急に少し寂しげで、それでいて幸せそうな顔になると、東大寺は静かに微笑して言った。
『そう言うことやったら・・・。ほんまは俺が愛美ちゃんを守ってやりたいけど、俺らと一緒におったら結局は幸せになれん。愛美ちゃんに必要なんは、平凡でありきたりな、家族と過ごす時間や。――ええか。彼女を泣かせたら、俺が承知せんで』
東大寺は橘を指差し、おどけたように睨みつけた。
愛美の中で東大寺の笑顔が膨らんで、パチンと弾けた。
(会いたい)
愛美は痛切に感じた。
愛美が涙で目を潤ませているのに、早良は困ったような顔をして、手を出そうか出すまいかためらっていた。