第四章 Over the Horizon 37
愛美はそうするのが一番いいのかと思って、小さく頷いた。橙次がホッとしたらしいのが分かる。厳しそうに見えるが、人間味も持ち合わせている。
挨拶がまだだったなと、橘夫妻を振り返った。夫の方が、まず頭を下げる。
「上月家の眷族衆の一つ、玄武衆。北の橘家の当主、橘早良」
「その妻の初音にございます」
愛美は気圧されてただ頷き返すと、自分も少し頭を下げた。
初音は、愛美の母親に似て、元気で明るかった。優しくて気さくでお喋りで、本当に愛美のことを歓迎してくれているらしい。
旦那の早良の方は、自己紹介の時以外口を聞かなかったので、堅苦しく何だか恐かった。これも父に似ているが、父は不器用なだけで温かい数々の交流がある分、心の底では安心していられた。
早良の場合、本当は養女なんか欲しくないか、愛美が夜久野真名じゃなかったから機嫌が悪いのかも知れないと思う。
その後暫く、とり留めない話をして、上月橙次は帰って行った。
山中行軍を繰り返した愛美の為に、初音はまず風呂を勧めてくれた。他人の家で風呂に入るのに湧く躊躇は、SGAのマンションで暮らすことで軽減されていた。勿論長湯など出来ず、シャワーで汗を流してすっきりする程度だが。
身仕舞を整えると、初音は用意してくれた和食の夕食を恐縮しながら出した。
愛美が和食党だと言うと嬉しそうに、それでも洋食のレパートリーを増やさなきゃと笑った。
年寄りの二人暮らしだと、どうも辛気臭い食べ物ばかりでスパゲティーや、ハンバーグなどの若い子が好みそうなものは食卓に上がらないのだと。
初音は悪戯っ子みたいで、子供がそのまま大人になったような人だ。家族になるかも知れない人達との食事は、初音の進行で始終にこやかに進んだ。
愛美の好きな食べ物や趣味。
日本史が好きだと言った愛美に、初音は新撰組の副長土方歳三の大ファンなのだと恥ずかしそうに教えてくれた。
ただ早良の方は話にも加わらず、黙って食事をしていた。初音に何か言われると返事をするのだが、笑顔を見せる訳でもない。
愛美が自分がここにいてもいいのかと不安に思っていたら、初音にこっそりと、照れ臭いのよと耳打ちされる。
「娘にするつもりでも、年若い女の子と接する機会なんてないんですもの」
食事の後片付けを手伝ったり、食後に居間でテレビを見て団欒の真似事などすると、初音とはすっかり打ち解けることができた。
愛美は初音に客間に布団を敷いてもらい、バッグの中を整理していた。初音は風呂に入っている。




