第四章 Over the Horizon 33
愛美は駅の改札口で、東大寺を待つことにした。駅の構内に溢れる明るい光に、愛美は顔を俯けて自分の靴の爪先を見ていた。
(目が腫れぼったい。今の私はとても不細工な顔をしているだろう)
涙を流し続ける愛美を、女性はとりあえず立たせると、肩を抱くようにして何処かへ連れて行った。
気の遠くなるような階段を下りた覚えはないので、別の道があったのだと思うが愛美はよく覚えていない。
連れて行かれたのはその女の家らしかった。こじんまりした平屋建てに、女は一人住まいらしかった。掛かっていた表札には東とあった。あずまか、ひがしかは分からない。
相手は名前を名乗らなかったし、愛美も聞かなかった。
「あなたと私が今日出会ったのは、真名ちゃんのお引き合わせね。最近では月命日に御参りすることもなかったんだけど、今日はふと思いついてね」
女は茶と干菓子を愛美の前の卓上に置くと、そう言った。愛美もその時には泣きやんでいた。
女は殆ど一人語りのように、とりとめなく夜久野家にまつわる話をした。女自体は陰陽師でもなんでもなく、養女に出される前の実家の長兄が、夜久野真央の婿養子として夜久野家に入ったのだと語った。
女は夜久野の遠縁に当たるだけでなく近藤家の遠縁にも当たるらしいが、愛美には血の繋がりがどうのと言う話は複雑でよく分からなかった。
女は最後に元々愛美は真名の身代わりで死ぬ筈だったのだから、自分が今生きていることを喜ばなければと言った。
そんなものだろうかと愛美は思ったが、何も言わなかった。
この女に自分の身に起こったことを話しても、無駄だろうと思った。夜久野を信奉するあまり感覚が麻痺した人間に、何を言っても分からないだろう。
愛美は礼を言って、京都駅までの道程と交通手段を聞いて女の家を辞した。いつでも来なさいと言った女の横顔は、寂しげだった。
愛美は頷いたが、二度と女の元を訪れることはないだろうとも思っていた。
愛美は、自分の前に人影が立ったのに気付いて顔を上げる。東大寺が来たのだと思った愛美の喜びは、呆気なく萎んだ。
「夜久野真名殿。昨夜は失礼仕った。今暫く、我らに時間を下さいませぬか」
愛美は一瞬、息を飲んだ。老人は白装束ではなく、海老茶色の着物と黒い袴をつけていた。少し距離をあけてはいるが、スーツ姿の中年の男が二人、老人の脇を固めるように立っている。




