第四章 Over the Horizon 25
三つ揃いのスーツに、ネクタイを締めたお洒落な三十代半ばの男。夜なのにかけているサングラスの向こうには、晃と同じ切れ長の目があることを知っている。
「兄さん・・・」
*
東大寺が旅館で目覚めた時には、愛美の姿はなかった。
浴衣の前をはだけて寝癖のついた頭を掻きながら、東大寺はガラスのテーブルの上に置いてあった紙きれを取り上げた。愛美のものらしい、癖のない綺麗な文字で走り書きがしてある。
六時に京都駅でと書かれていた。
東大寺は頭の中で素早く計算していた。六時に待ち合わせなら、伊丹発の東京行きの最終便に十分間に合うだろう。
テーブルの上に置いておいた腕時計を取り上げると、時間を確認した。九時を過ぎている。
愛美はもう、奈良に着いている頃かも知れなかった。
昨夜、桐生晃への復讐を諦めた愛美は、東大寺とともに待たせていたタクシーで京都市内に戻り、見つけた雰囲気のある旅館に入った。
予約無しで、曰くありげな未成年の二人連れと言う愛美と東大寺は泊めてもらえる筈もなかったが、東大寺の力で難無くフリーパスだ。
愛美は、旅館に落ち着くまで、一言も口を聞かなかった。
旅館に入って部屋に案内され、窓際に置かれた応接セットの一人掛けのソファに腰を下ろしたところで、愛美はようやく口を開いた。
「ごめんなさい。心配してくれた東大寺さんに、反対に嫌な思いさせちゃって」
「俺も、偉そうな口利ける柄やないのに、悪かったわ」
しかし、完全な仲直りとまではいかなかった。二人とも重すぎる心を抱えて、途方に暮れているような状態だったからだ。
「明日の観光の話・・・。私、どうしても行きたい場所があって・・・一人で」
愛美は、一人でと言うところを強調して下を向いた。東大寺がわざと明るい声で言ったが、わざとらしい響きになったのは責められない。
「そうかー・・・実は、俺もせっかく関西帰ってきたことやし、墓参りでもせなあかんと思ってたんや。あっ・・・親父とお袋はぴんぴんしとるで、御先祖様は大切にせなな」
聞かれてもいないのに東大寺はそこまで言い、愛美を伺うように沈黙した。
「私もお墓参り。奈良で出会った大切な人達と、私のカゾクの」
愛美は家族と発音する時、片言のような言い方をした。近藤愛美ではなく、夜久野真名としての家族と言うことだろう。
そのまま大した話もせずに、昨晩は別々の部屋で眠りについた。