第四章 Over the Horizon 23
「殺せて当然の筈だったお前を、殺しきることが出来なかった。それこそ天命だ。お前が生き残ったと言うことは、それが天の用意した別の選択肢と言うことなんだろう。上月にとって、果となるとは限らないがな。とち狂ってはいても、とち狂っているからこそ分かることもある。これでこの件は終わりだ」
愛美はそれを喜ぶでもなく、小さく頷くだけだ。そして。
「今の私にはね、瑞穂さんの言った言葉が分かるような気がするの。あなたを憎む代わりに、憐れむって言葉の意味が。あなたへの憎しみで一杯になっている私は、みっともなくて醜くて、とても憐れだわ。それと同じように、上月に縛り付けられているあなたも憐れだと思ったの」
晃は顔を歪ませたが、何も言わなかった。
何も言えなかった。
愛美は紫と咲也の側から離れて、暗闇でずっと待っていた東大寺の元にゆっくりと近付いた。
右手を鋏の形にして、小声でチョキンと言って切る真似をする。東大寺が頷いて、愛美に行こうと言って歩き始めた。
「〈明星〉は、もらって行くわ」
闇の中で愛美の声が響く。お前の物だと晃は叫び返した。
不意に石蕗丸が、愛美と東大寺の消えた闇の中に走り去った。紫と咲也は顔を見合わせると、同じように走り出す。
晃はふっと気配を感じて、後ろを振り返った。白装束に身を包んだ老年の男が、離れの濡れ縁で下駄を履いているところだった。
「橙次様・・・」
男は重々しく頷いて、紫と咲也の後を追って闇に消えた。
「お姉ちゃん、今度は一緒に遊ぼうね?」
「ハンカチ、忘れてるよ」
紫と咲也は交互にそう言いながら、塀の前まできて困ったように足を止めた。追いかけてきた肝心の二人がいない。紫と咲也は顔を見合わせて、辺りを見回した。
「ハンカチはあげるわよ。もし今度会えたら、遊んであげるわ」
笑いを含んだ声が頭上から聞こえる。
紫と咲也は顔を綻ばせたが、背後で草を踏む足音に振り返り、緊張したように顔を引き締めた。
闇の中でも浮き上がっている白装束、深い皴の刻まれた顔は、頬を緩めることすら知らない石のような頑固さを漂わせている。
空を覆っていた雲が切れ、月が顔を出した。
白金のような細身の月が、冷たい光を落とす。大人の背丈の倍はあろうかと言う土塀の瓦屋根の上に、二人の人影があった。
微かな月の光は、少年と少女の顔を曖昧にしか映し出さない。
「そなたは何者だ?」