第一章 Welcome to my nightmare 12
左ハンドルの黒の車を操りながら、紫苑は助手席に座る愛美を盗み見た。裏門に停めてあった車に乗り込んで以来、愛美は道案内をする時以外一言も口を聞いていない。ずっと思い詰めたように、前だけを見つめている。
(近藤愛美・・・ね)
夜久野の眷属に、近藤と言う姓はなかった筈だ。何かの間違いか。それとも、本当にこの娘がそうなのか。
紫苑にはあまりに手持ちのカードが少な過ぎて、今度の事件の概要さえ掴めていない。あの人には、分かっているのだろうか?
多分今頃、東大寺は、あの人に愛美の素姓を洗うように、言っていることだろう。
「大丈夫ですか? 御気分が優れないのでは・・・」
急いでいる為仕方がないが、はっきり言ってかなり乱暴な運転の筈だ。青冷めている愛美にそう尋ねると、彼女は相変わらず前を見つめたまま、
「やっぱり私の所為なんですか。私の所為でみんなが・・・」
そう言って、声を詰まらせた。懸命に鳴咽を堪えている愛美を、紫苑は暫くの間そっとしておいた。もっと早くにあの学校に着いていれば愛美を、そのクラスメイトを助けることが出来たかも知れない。
「夜久野と言う名に、聞き覚えはありませんか?」
紫苑は、愛美が案外しっかりとした声で、右折を告げたのを契機にそう尋ねた。愛美はいいえと呟いてゆっくりと首を振る。嘘を吐いている訳ではないらしい。紫苑を見る愛美の目が、それは一体何なのかと問うている。
「夜久野一族は、陰陽師の家系として有名です。――いえ、でしたと言うべきですね。その血筋は、十年前に絶えてしまいましたから・・・。夜久野と言う名は、日本の宗教界においてある種、特別な物なのです」
夜久野の血筋が絶えた理由については、紫苑は敢えて話さなかった。聞いていて、あまり楽しい話ではない筈だ。愛美は、不思議そうな顔をする。
「十年って? 確か陰陽道は、明治になって、禁止されたんじゃ」
「よくご存じでしたね。でもそれは、ただの建前上にすぎません」
愛美が、紫苑の言葉の意味を、聞いている暇はなかった。
「その角を曲がって、五十mちょっと行った、赤い屋根の家が私の家です」
紫苑は何かあった時の為に、角を曲がる前に車を止めた。愛美は転がるように外へ出、紫苑もそれを追った。愛美は玄関ポーチに駆け込み、ドアを開いた。途端に、愛美の悲鳴が上がる。
「嫌-っ!」
(駄目でしたか)
玄関の上がり框の上、血溜りが床を汚していた。
血の乾き具合、硬直の現れ方を見る限り、死後五・六時間と言ったところか? 紫苑は、冷静な一傍観者として、血溜りに横たわる中年の女と、それにとり縋る愛美を見ていた。
紫苑は、何だ、やれば自分も出来るじゃないかと思った。
死んだ者は、二度と戻らない。悲しみは、時が経てば薄れる。
紫苑は、ただそれを見守るだけだ。