第四章 Over the Horizon 9
白い皮膚の上に、赤い血の花が蕾を開く。
その時、那鬼の血走った目と視線が交錯した。那鬼は太刀を振り上げると、愛美目がけて投げつけた。切っ先が空気を切り裂いて、白く光る。
(私にとって大事なのは今、この現在だわ)
愛美の眼前に太刀が迫ったその時、黒い影が愛美の前に立ち塞がった。太刀は、黒い霧を裂いた瞬間消え失せた。
地面に、胴体と首の離れた山犬神が転がっている。
切れた首の切断面から、血がどろりと溢れ出した。愛美は駆け寄ることもできず、その場にじっと立ち尽くしていた。
「右近、左近。どうして・・・」
どうして私を助けたのと言う愛美の言葉は、声にならなかった。誰も助けてはくれないのだと、自分で道を切り拓くものだと、口を酸っぱくするほど言っていたではないか。
――昔ハ里ノ子供ト、転ゲ回ッテ遊ンダコトモアル。其方トノ生活ハ、ナカナカ楽シカッタワイ
――人トハ相入レヌ我等トテ、人間無シデハ存在スルコトハデキヌ。助ケモスレバ殺メモスル。神ノ気紛レヨ
那鬼は背広を脱いでネクタイを緩めると、愛美の側に近付いてきた。右手には再び太刀が握られている。
「しぶとい奴らだ。神性は伊達ではないか。まだ口を聞くとは」
――シブトサツイデニ、面白イモノヲ見セテヤル
――立派ナ陰陽師ニナレヨ
突然公園の中だけに、突風が巻き起こった。竜巻のような渦を巻き、落ち葉を空に舞い上げる。
那鬼は腕で顔を庇いながら、風を透かして愛美を見た。愛美は蹲って耳を押さえている。
「嫌っ、やめて」
頭が真っ白になる。
大地から何かが沸き上がってくる。
激しく、恐いぐらいの力の渦。
命の息吹の波に晒され、愛美の中の眠っているものが無理やり引きずり出される。
愛美の身体は本人の意思とは無関係に、もっと大きなものの意思に支配され立ち上がっていた。
何かが愛美の身体を引っ張るような、空に吸い込まれるような妙な感覚。愛美の顔から表情が消えた。蒼白な蝋人形のようだ。
「封印が解けたのか・・・」
那鬼が愕然とした表情で呟く。
風が収まっても、愛美のポニーテールの髪は風に弄ばれるように揺れている。愛美を押し包むように、炎のような赤い光が立ち昇っているのが視える者には視えただろう。
「〈明星〉を返しなさい」
感情のない黒いレンズのような、硬い瞳。愛美は底冷えする声でそう言うと、那鬼に一歩近付いた。
思わず那鬼は後ろに退いてしまい、苦々しげに舌打ちした。