第三章 Fallen Angel 33
「その目!」
右近の左目は、閉じられたままだ。愛美の手を嫌がって、右近は顔を背けた。
――〈明星〉ハ、結界ニ守ラレテオルノカシテ、我等ノ力デハ何処ニ在ルノカ分ラヌ。守護者ガ聞イテ呆レル
左近にしては珍しく、苦々しげに言った。
「大丈夫。何としてもこの手に取り戻してみせるから。明後日にはあの男を追って京都に行くわ」
右近と左近が愛美に初めて会った時から、僅か一ヶ月ばかりで格段と成長した愛美の姿を、二匹は頼もしそうに見つめた。
――アノ時ハ不覚ヲ取ッタガ、次ハ目ニモノ見セテヤル。コノ左目ノ礼、篤ト味ワワセテヤラネバナ
――京都・・・カ。〈明星〉ガ其方ノ手ニ戻レバ、我等モ山ニ戻ロウカノ。山ニ帰ッテ墓守リデモシテ、余生ヲ静カニ過ゴスノモ良カロウ
――街ノ喧操ニモ飽イタシナ
右近と左近の言葉に、愛美は顔を曇らせた。この一ヶ月、着かず離れずの距離を保っていた二匹の山犬神達は、溝を感じることもあったが、誰よりも近い存在だった。
だが元はと言えば、彼らは愛美の目付役のようなものだ。右近と左近には、帰らなければ行けない場所がある。別れなど意識していなかっただけに、愛美は少し狼狽えた。
彼らが例え犬であっても、仲間にはなれなかったのだと愛美は自分を納得させる。
「それじゃあ、私を〈明星〉に相応しいと認めてくれたの?」
愛美がちょっと意地悪に右近にそう聞くと、右近は肩を竦めた。
――仕方アルマイ。〈明星〉ガ、其方ヲ主ト認メタノデハナ
愛美は、両手で二匹の頭を抱え込むと抱き締めて頬ずりした。
「側にいてくれてありがとう」
山犬神達は満更でもなさそうな顔をしているが、右近は照れ臭いのか減らず口を叩いた。
――無事取リ返シテカラ言エ
左近が鼻をヒクヒクさせていたが、右近もそれを真似るかのように鼻を動かした。
――血ノ匂イジャノ
――アノ男カ
二匹はすぐに興味を失ったらしい。ベッドに蹲ると、目を閉じた。
(血の匂い?)
愛美の鼻には何も感じられないが、犬の鋭敏な嗅覚は何かを感じ取ったのだろう。別に危険なものではないらしい。
愛美はベッドを下りると部屋を出た。玄関で靴を脱いでいたのは、長門だった。




