第三章 Fallen Angel 31
「彼は人一倍感じやすいからな。感情移入しすぎて、周りの状況を忘れるところが玉に瑕だが」
無関心な綾瀬の言葉。ふと思い出したように、綾瀬は巴に聞くような調子で言った。
「そう言えば、映画館で号泣したことがあったんじゃなかったか?」
「・・・ああ。あの時は閉口しました。声を上げて泣くんですから、僕は死ぬほど恥ずかしかった。以来あの人とは、一緒に出かけないようにしています」
愛美は、どんな答えを期待していたのか自分でも分からないが、とりあえず巴に何の映画を見たのか聞いた。巴が吐き捨てるように言った。
「猫の形のロボットの」
東大寺の過去・・・。もう何も言うまい。愛美は心に誓った。
「本人の意思と仕事の微調整がいるから、二人には私から連絡しておこう。那鬼は仕事熱心らしいから、明日からの出張も最終日以外は、仕事にかかりっきりだろう。京都への現地入りは明後日で構わない。それまでゆっくり休んで、体力回復に努めろ」
綾瀬の話が終わり、愛美は秘書の西川に送ってもらうことになり、巴はタクシーを呼んでもらった。
タクシーを待つ巴より先に綾瀬の部屋を後にしようとして、愛美はまだ聞いてないことがあったことを思い出した。
「右近と左近は、どこにいるんですか?」
綾瀬は、忘れていたと言うように笑った。
「あれは右近と左近と言うのか。私はアイツと同じ匂いがするから嫌だと言って、マンションで君の帰りを待っている」
クラディスはお気に入りのクッションに頭を乗せて、上目遣いで主人の綾瀬と大切な友達の巴を見ていた。穏やかな、満ち足りた表情をしている。
巴はカーテンを閉める手を止めて、走り出す車を見ていた。白い国産車を運転しているのは、秘書の西川だ。助手席の愛美の姿もチラッと見えた。
「死んだら二度と会えない・・・か。東大寺さん、まだあのことを引きずってるんですね。京都行き、蹴るんじゃないですか?」
カーテンを閉め終わった巴が、ランドセルを開くと内ポケットからケースに入ったCD-ROMを出した。
「公共事業でM産業が政府関係者に贈った賄賂の額と、受け取った人間のデータです。お金はいつも通り、口座に振り込んでおいて下さい」
綾瀬にロムを手渡した巴は、ランドセルを背負うと部屋を出ようとした。
「仕事の依頼があれば、また連絡する」
巴は綾瀬には頷いただけだが、クラディスには名残惜しそうに手を振った。