羽
屋上に、何人か人がいる。「彼」は一人、みなに背を向けて立っていた。誰も、何も話さない。血を流した空に、静けさが漂っていた。突然、男の声がこの沈黙を引き裂いた。
『トベ!』
「彼」はその言葉に誘われるように、浮き上がり、空気を切っていった。そして……………。
時計を見るとまだ六時前だった。彼はゆっくりと起き上がり、額に浮かんでいる汗をぬぐった。
(また、同じ夢か)
ここ一週間、彼はずっと同じ夢を見ていた。この夢の風景を、彼は知っているような気がした。この悲しい夢に、彼は強い好奇心を抱き始めていた。彼はそっとベッドから起きて、不自由な右足を引きずりながら下へ降りていった。この小さな国の小さな家に、彼は養父母と一緒に住んでいた。彼には十二歳までの記憶がない。階段から落ちたせいだと言われているが、心のどこかで信じきれずにいた。簡単な朝食の後、彼はいつものように学校へ出かけていった。ただ、この日の風は彼の中から何かを誘い出そうとしていた。
それは突然に起こった。いつものように友達と昼食をとっていた彼の背中に突き刺すような痛みが走った。全校が騒然となる中、彼は病院へ運ばれていった。痛みに意識を失った彼は、あの夢をまた見ていた。ただ、以前と違って彼は夢の中の「彼」がはっきりと見えた。救急車の中で、彼は、静かに涙を流した。彼が見ていた「彼」は彼自身だったのだ。彼は夢の中で「彼」がどうなったのかを必死に見ようとしたが、夢はすでに薄れ始めていた。ぼやけた視界が少しずつはっきりしていく。枕が見えた。彼はたたんだ布団の上に胸を乗せられて、うつ伏せになっていた。意識がはっきりして、彼は自分の背中に異変を感じた。柔らかい物があった。驚きのあまり、彼はベッドから転がり落ちた。彼の背中には羽があった。
十六年前、とある研究所の一室に百を超える赤ん坊たちが連れてこられた。研究者たちはそれぞれ気に入った赤ん坊を連れて自分たちの研究室に戻っていった。数日後、研究所の裏手には大きなお墓ができていた。ただ、一つの研究室で一人の男の子だけがひっそりと育っていった。十一年後、研究者は男の子の背中に大きなこぶができているのを見つけた。待ちきれなくなった研究者たちは男の子に命の危険を感じさせることで、その力を引き出そうとした。「彼」は屋上に連れて行かれた。そして、「彼」は屋上から飛び降りた。幸運だったのは、この研究所に警察が来ていたことと前日に雪が降っていたことだった。
気持ちが落ち着いてくると、彼はベッドに座って彼の羽を改めて眺めた。その時、病室の扉が開き彼の養父母が入ってきた。
「いつかは話さないといけないと思っていたんだ。」養父が口を開いた。
「君が家に来た時、警察から話があったんだ。君はどこかの非法の研究所で人体実験をされていたんだ。助け出されたとき、君は雪の上に倒れていてね。足の障害はそのときのものだよ。
病院で君が目を覚ましたときにはもう記憶がなかったそうだ。」
すべてを知った彼は、思いのほか冷静でいられた。自分でも信じられないほど、あっさりと受け入れることができた。その信じられないような真実にどこかほっとしていた。
彼に羽が生えたというニュースは瞬く間に世界中に広まった。多くの取材班が押し寄せ、毎日のようにテレビで紹介された。国家の研究施設の研究者も繰り返し訪れ、彼の遺伝子を研究しようとした。さらに、政府も役人を派遣し彼の力を利用しようとした。訪れる人が多くなるにつれて、彼は落ち着かなくなっていった。それに気づいた養父母はこっそり彼を連れて山の中に引っ越した。ここで、羽の生えた少年が忽然と姿を消し世界もだんだんと元の落ち着きを取り戻していった。
数年後、この小さな国を思わぬ災難が襲った。天地は揺れ動き、木が倒れ、湖川が枯れ果てた。世界中が支援を送る中、山のふもとでは多くの人々が小さな場所に閉じ込められ、食料も飲み水も底を尽きかけていた。人々が絶望しかけたとき、空からパンが落ちてきた。続いて飲み水のボトルが詰まった包みも落ちてきた。見上げると、空には羽の生えた人が飛んでいた。空からの支援は三日間続いた。四日目に、地上からの支援者が到着した。みんな生きて、しかも健康な状態で救助された。世界中の多くの国がこの事を奇跡だと報道する中、救助された人々はこの真実を胸の奥にしまい続けた。