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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

猫殺し

作者: 安藤いくま

厳密には18禁にすべきかもしれませんが、そのことを主題としたものではないので15禁の形をとっています。ご了承ください。これ以上はネタバレになっちゃうので。と言うかここの18禁か否かってエロかどうかっていう考え方しかないのかな?

 最初にそれを見た時、ボクにはただの汚れたボロ布にしか見えなかった。だから平気で近寄って見て、それがなにか分かった時には凄くびっくりして、それからとても怖くなってしまった。だってそれが首なしの動物の死骸だなんて思ってもみなかったから・・・。

 まだ8歳の妹のみちるにはとても見せられないと思ったから、こっちに来るなって言ったんだけど、その時みちるはすでに見てはいけないものを見てしまっていたんだ。

 みちるが見つけたのはその動物の首の方だった。そしてすぐ近くにはよく知っている赤い首輪が落ちていた。ボクにもすぐにそれがミケのものだとわかった。

 妹は気が動転したのか首を拾うと抱きかかえて泣きだしたので、ボクはどうしていいか分からず言葉も出せなかった。

「お墓、作ってあげよう、な?」

 そんなことくらいしか言えなかった。

 それから家の庭に運んで父さんといっしょにミケの墓を作ってから手を合わせた。その間も妹はずっと泣き続けていた。

 ボクは犯人が許せなかった。だから妹に絶対犯人見つけて謝らせてやるって言った。でも母さんは危ないからやめなさいって言うんだ。父さんもこういうことするやつはそのうちエスカレートして人間を傷つけるようになるから危険だって。それから警察に任せるから馬鹿なことは考えるなよ、て釘を刺された。

 でもボクはぜんぜん納得できなかった。だってこんな時警察は形だけ調べてろくに捜査なんかしないって知ってたからだ。

 実はこんな事件は初めてじゃなかった。ほんの最近も学校で飼ってるうさぎが切り刻まれて死んでいるのが見つかったばかりだった。その時もおまわりさんは誰かのたちの悪いいたずらだろうって言ってそれっきり学校にも来なかった。そればかりか先生たちもあまり大げさにしないようにって皆に言ったんだ。なんだかPTAとかで問題になるのがまずいみたいな雰囲気だった。ボクらは影で先生たちが手を回して無かったことにしようとしてるんじゃないかって話してたくらいだ。

 だからこの事件もきっと警察や学校に言ってもなんの解決にもならないだろうって分かっていたんだ。


 その日はミケの死体を見た時の気持ち悪さや犯人に対する怒りやらでなかなか寝付けなかった。そして父さんたちはああ言ってたけど、やっぱり自分で犯人を探すしか無いと思った。

 学校に行くと友達の賢治が昨日のことを聞きに来た。もう噂になってるなんて思ってなかったからちょっと驚いた。

 賢治は推理小説とかが大好きなやつで、なにか事件があるとすぐに名探偵をきどってああだこうだと持論を披露するようなやつだった。

 そいつがあまり話したくもないことを根掘り葉掘り聞くもんでボクはすっかりうんざりしてしまった。形だけは同情してくれてるけど、本当は興味本位で聞いてるのがわかったから。

 それでボクはちょっとイラッとして言った。

「でどうなんだよ、お前にはどんなやつが犯人か分かるのかよ」

 賢治はニヤッとした。なんだか嬉しそうなのがちょっと腹立たしかった。

「小動物を殺すやつってのはそいつも誰かにいじめられてるやつなんだぜ?でも弱っちいから仕返しできないでストレス溜めちまうのよ。そんで自分より弱いものを代わりに傷つけるのさ」

「じゃあいじめられっ子か?」

「別に子どもと決まったわけじゃないさ。大人だっていじめられてる奴はいるからな」

「いじめられてるから他の者をいじめるのか?」

「そういうのを全部溜め込んじまうやつはどこかで一気に爆発しちまうのさ」

「ねえなんの話?」

 割り込んできたのは桐野茜だ。ボクは思わず言葉を濁した。

「あ、いや別になんでも・・・」

 なのに賢治のやつ、全部ばらしてしまった。

「こいつの家で飼ってた猫がさ、昨日首切られて――」

 そこまで言ってさすがに鈍い賢治でも気がついて歯切れが悪くなった。そしてむりやり取り繕うように言った。

「まあ、あれとは関係ないと思うけどさ。あんま気にすんなよな」

 実は桐野はクラスの生き物がかりで、こないだ殺されたうさぎの面倒もよく見てたから殺されたと知った時にはすごくショックを受けていた。そのまましばらく学校を休んだくらいだ。だからボクが気を使って言わないようにしてたのに賢治のやつ。

「そうなんだ。いやだよね、そういうのほんとに」

 桐野はちょっと表情を曇らせたけどあまり感情を表に出さずに自分の席に戻った。きっと思い出したくないんだろうな、とボクは思った。

 桐野とは不思議と縁があって4年の時から6年までずっと同じクラスだったけど、以前は騒がしいくらい明るい性格だったのにあれ以来口数も少なくなってしまっていた。だからみちるのことも心配だった。誰でもあんなのを見たらトラウマになる。そういうボクだって忘れてしまえればもっと楽だったろう。

 その日の最初の授業は道徳だった。ボクは担任の古河先生がいつも教科書をただ読むだけのつまらない時間が嫌いだった。人に優しくとか人の気持ちがわかるようになれとか教科書を読むだけでなんの意味があるのか疑問だった。それで世の中が変わるくらいなら犯罪なんて起こるはずないじゃないか。先生だってそれがわかってるからなげやりなんだ。

 横を見ると賢治が膝の上にマンガを置いて読んでいた。こいつのたくましさがちょっとうらやましく感じてしまった。

 でも「内職」をやってるのは賢治だけじゃなかった。先生の目を盗んで他の科目の宿題を片付けてたり関係のないメモを回したり。それをなんだか古河先生は気づいていながら知らないふりをしているように思えてとても嫌な気分になった。とんだ道徳の時間だ。


 学校の帰り道で賢治とまたあの話になった。

「お前がその死骸を見つけた場所ってどこよ?」

 ちょっといやな予感がした。

「なんていうか、学校来る途中に昔お化け屋敷とか言われて噂になった空き家があるだろ。あの裏庭」

「そこ行くべ」

 ほら来た。

「いやだよ」

「なんで?」

「なんでって気味悪いし・・・。はっきり言ってトラウマなんだよ!」

 でも賢治は引き下がらなかった。

「犯人見つけたいんだろ?現場百回って言葉知らねえ?犯人は必ず現場に戻ってくるんだぞ?」

「知らねえよ」

 結局ボクはしぶしぶ賢治をその場所に案内するはめになった。

 賢治は地面に染みこんでできた血の後を見てうわっと声を上げた。

「ああ、おれこういうのだめだわ」

「おまえなあ・・・」

「よし、手がかりを探すぞ」

 そう言いながらも肝心の死骸のあったあたりには近づかず遠回りしていた。でも結局これといった手がかりもなく、夕暮れが近づいて来たので捜査を打ち切ることになった。

「はあ、時間のムダだったな」

 ボクが少し皮肉めいて言うと賢治は訳知り顔で言った。

「あの空き家は怪しい。あそこに謎が隠されてる気がするぞ」

「謎って?」

「例えば・・・生霊とか」

「真面目に聞いてればこれだよ」

 賢治は屈託なくあはははと笑った。

「でもよ、結構話題になってたろ、誰も居ないはずなのに時々変な声が聞こえるって。怨霊はともかくさ、なんか浮浪者とか住んでても不思議はないんじゃね?そいつがさ、頭おかしなやつだったりしてさ」

 無くはない話だとは思った。

「じゃあ今から中見てくるか?」

 でも賢治は今日は遅いからまた明日な、と言って帰ってしまった。ボクも自分一人では勇気が湧かなかったのでその日は大人しく家に帰ることにした。

 家ではまだみちるがメソメソとしていて困った。ボクは庭のミケのお墓を見て、あんなことを平気でやるやつはいったいどんな気持ちなんだろう、と考えていた。


 また明日、と言ったもののどちらも気乗りしなかったと言うことだろう、結局空き家の捜索は延期されたままだった。

 このまま手がかりもなく忘れられてしまいそうに思われた頃、ふたたび事件は起こった。

とは言っても僕自身は忘れたことはなかったけど。と言うのもあの空き家が通学路にあって、その前を通るたびに否が応にも思い出してしまうからだ。

 だからそのちょっと先の道端に人だかりができてるのを見た時に、すぐに嫌な予感が背筋を走るのが分かった。

 取り囲んでるのはほとんど男子で、女子や低学年の子は恐る恐る覗くと悲鳴をあげてバタバタと駆け足で逃げていった。

 その環の中に賢治もいた。賢治はボクが来たことに気づくと輪の一角を空けて中を示した。

 予想はしてたけど、いざ目にしてしまうととてもいやな気分になった。ボクは正視できずにすぐに顔をそむけてしまった。でもその猫もやっぱり首をちょん切られていたからすぐに同じ犯人に違いないってわかった。

 みんなは最初気持ち悪そうに見ていたけれど、そのうち放っておくのは可哀想だって言い出した。それで誰かが近所のおばさんを連れてきた。するとおばさんは顔を引きつらせていたけど、後はやっとくのであんたたちは早く学校に行きなさいって言ってくれた。


 その日はクラスでもこの事件で持ちきりになっていた。ボクと賢治以外にも見た奴がいてみんなに話していたからだ。

 そのうち変な人を見かけたとか怪しい車を見たとかいろんな噂が飛び交い始めた。賢治はと言うと再び探偵心に火がついたのか、そんな話をいちいちノートに書き留めて整理していった。

 そこに古河先生が来て朝礼になったのでその話はいったん収まった。先生はそのことを知ってか知らずか夜は危険なので出歩かないようにという話をした。そしてその後はなにごとも無かったかのようにいつものような無味乾燥な授業が始められた。ボクはなぜか桐野が少し気になってチラッと見たけどなんだか心なしか表情が硬いように思えた。

 休み時間も賢治は他のクラスのやつらにも聞いて回っていたようだった。皆も捜査に乗り気で協力してくれてたけど、昼休みになる頃にはまるで忘れてしまったかのようだった。

 それでボクと賢治はみんなが校庭に出払った教室で情報を吟味することにした。でもどれも確たる証拠のない噂話ばかりのようであてに出来ないように思えた。

「なにかわかったの?」

 声に振り向くと桐野だった。その声は少しかすれてておどおどとしてるように感じられた。

 ボクと賢治は少し顔を見合わせたが桐野にもノートを見せてボクたちの見解を話して聞かせた。

「どれも証拠はないけどよく目撃されてるのは若い男で、いつもなにかぶつぶつ独り言をしゃべりながら歩いてる危なそうなやつらしい。琢磨はぜったいそいつだって言うけどボクらは違うような気がする」

 桐野はノートを返しながら訊いた。

「どうして?」

「うまく言えないんだけど、そういうやつって普段から目立つからかえってできないんじゃないかなって思う。逆にやるときは見境無く暴れたりして。なんかこの事件の陰湿な感じとは合わないんだよな」

「そう、じゃあ犯人はどんな人だと思う?」

「さあな、でもあんなことができるやつはまともじゃないのは確かだな」

「動物が嫌いなのかしら」

 それには賢治が答えた。

「嫌いとかそんなレベルじゃないね。なんかもう憎しみみたいな?」

 ボクも同意した。

「普通できないよな、あれは」

 結局たいした話はできなかったんだけど、桐野には何か分かったら教えるって約束した。ボクはたぶん桐野も犯人を許せない気持ちなんだろうな、と思った。 

 それからボクらは情報をもとにあれやこれやと話し合った。賢治は犯人は男であることは間違いないって言った。

「例え猫とはいえ首を切断するなんて女じゃ無理だ。そうとう力いるぜ?」

 ただボクは別のことが気になっていた。

「どうやって猫を捕まえたんだろうな?おっかけてって切りつけたわけじゃないよな?」

「そうだな、餌で釣って食べてるところを、かもな。現場を調べれば餌が落ちてるかもしれないぞ」

「こないだミケのとき調べたんじゃないのかよ」

「あの時はな、考えてなかったからな」

 本当は怖くてシミのある所には近づけなかっただけだろう。それからボクはあの話を切り出した。

「やっぱりあの空き家なにかありそうなんだけど」

 この話になると賢治は途端に歯切れが悪くなった。

「ん?ああ、そうだな、まあ今日はオレ塾があるからまた明日な」

「おまえの塾は水・金だったろ」

「わかったわかった、ちょっとだけだぞ?不法侵入だからな」


 帰り道、朝の死骸のあったところはもう片付いていて、水が撒かれたように濡れていた。

ちょうどあの時のおばさんが自分ちの前を掃除してたので話を聞いてみた。おばさんはあの後市役所に連絡して片付けてもらったそうだ。

 それからおばさんは聞かれてもいないのに持論を展開し始めた。

「このへんは昔っから野良猫が多いのよ。猫っかわいがりで餌を上げる人がいるから。でもそれで迷惑してる人もいるからね。ゴミ袋を引っ掻き回されたりそこら中オシッコかけられたりもう大変なのよ。近所の人がやったなんて思いたくないけど案外せいせいしてる人もいるんじゃないの」

 どうやらおばさんもその一人のようだった。ボクは言うべきかどうか迷ったけど、自分の飼い猫も同じような殺され方をしたことを話した。するとおばさんはさっきしゃべったことを少し罰が悪そうにして同情してくれた。

「ひどいことする人がいるもんだわねえ。妹さんもかわいそうに。そこ?あそこの空き家のとこなの?まあ!」

 それからなにか思い出したように言った。

「そういえば、最近夜中にちょくちょくあの前あたりに青い車が停まってるのを見るわねえ。ちょうどゴミ出しの時間だから9時か10時頃だったかしら」

 ボクと賢治は思わず乗り出した。

「どんな車でした?車種とかわかります?」

 おばさんは車のことはよくわからないけど外車っぽかったって言った。あまりにも漠然として話にならない。

 ボクらは適当にアタリをつけて言ってみた。

「ベンツとか?」

 おばさんは少し困った顔をした。

「ごめんなさい、あたしそういうの詳しくなくって・・・。ああ、あれじゃない、あのBなんとかWとか言う――」

「BMW?」

「そう、そんな感じのマークが付いてた気がするわ」

 それ以上は思い出せなかったけど、ボクらはやっと有力な情報を得たような気になっていた。なぜならおばさんのいう通りならその車を見かけたのは毎週月曜日のゴミの日の夜ということになるからだ。そして今日は火曜日。つまり猫が殺されたのは月曜日の夜で、さらにミケが家を出てから帰って来なくなったのも月曜の夜だったからだ。

 それからボクたちは空き家を調べに向かった。持ち主が夜逃げしたとかで何年も前から誰も住んでない家だった。ただ時折明かりが見えたとか人の声が聞こえたとかで幽霊屋敷みたいに言われていた。

 賢治がなんだかんだ言ってしぶるのでボクが先に入った。ドアに鍵はかかっていなかった。少し驚いたのはわりと綺麗にしていたことだ。もっとホコリまみれで荒れてると思ってたから意外だった。

「なんかまだ誰か住んでそうだな」

 賢治が恐る恐る部屋を見回しながら言った。

「ああ、よっぽど慌てて夜逃げしたんだろうな。ぜんぶそのまま残していったみたいだ」

「浮浪者が住んでるのかもな」

「それなら幽霊の話もわかるな」

「まさか、今はいないよな?」

「いるかもよ」

「よせよ、脅かすなよ」

「いたら話が聞けるだろ」

「怖いって」

 ボクらはそんなことをしゃべりながら部屋をひと通り見て回った。賢治は終始おっかなびっくりで二階への階段を登るときもボクを先に行かせて後からついて来た。

 二階は子供部屋になっていた。まだ机やベッドもそもままにしてあってすぐにも使えそうなくらいだった。

 それから押入れまで開けて調べたけれどこれと言って目ぼしいものも見つからないまま捜索は終わった。ボクらは残念というより正直ほっとした。もしかすると猫の首を切断した凶器が出てくるかもしれないと思ってたからだ。

 家を出ると賢治は重圧から開放されたのか急に饒舌になった。

「空き家はともかくやっぱり青い車の線だな。偶然の一致かもしれないけどな。また来週来るかもしれないから張り込みするか?」

 賢治はそう言うけど実際にその時になったら尻込みするんだろうな、とボクは思った。


 次の日、学校で琢磨たちと昨日あったことの話になった。ボクと賢治がお化け屋敷を調べに行ったことを知って興味を持ったみたいだ。

 本当はお化け屋敷については特に報告することもなかったんだけど、賢治がかなり大げさに話したせいでなんだか恐怖の館みたいになってしまった。なかにはたたりがどうとか言い出すやつもいて、このままじゃ犯人は猫の怨霊になりそうな雰囲気だった。

 ただ例の青い車の話になると琢磨が気になることを言い出した。

「青いBMWって言ったら古河じゃねえか」

 ボクには初耳だったけど、古河先生の乗ってるのが青いBMWらしいのだ。それを聞いて皆が口々に勝手なことを言い出した。

「うわっマジかよ、やべえじゃん」

「あいつならやりかねないな、陰険だし」

「オレは最初から怪しいと思ってた」

「うそつけ」

「だって暗そうじゃん。ああいうタイプが一番危ないって。それにあいつロリコンだろ?」

 男の先生で一番嫌われるタイプは男子に厳しく女子に甘いタイプだと思う。古河先生はまさにそういうタイプだったから、特に男子からは日頃からよく思われていなかった。それで皆この時とばかりに言いたい放題けなしまくった。もちろん本当に先生が犯人だと思ってる者がいたわけじゃなかった。それでもボクにはちょっと引っかかる話だった。先生が大きな刃物をもってそれを猫の首に振り下ろしているところをイメージすると、なんだかとてもリアルに感じてゾッとした。

 その後古河先生が教壇に立って授業を始めると、みんなはクスクスと忍び笑いを漏らした。けど先生は一瞬冷たい目で睨んだだけで何も言わず、いつものように教科書を読むだけの授業を続けた。

 昼休み、ボクは賢治と一緒に教員用の駐車場にその車を見に行った。そこに琢磨が言ったとおり古河先生の青いBMWがあった。ボクはそのナンバーを確認して記憶に刻み込んだ。


 月曜の夜が来た。案の定賢治はなんだかんだと言い訳してボクひとりで張り込みというのをやるはめになってしまった。家には賢治のところにいることにして賢治には口裏を合わせるように言っておいた。

 もちろんボクだって怖かった。ただせめてその車が本当に古河先生のものかどうかだけでも確かめたいと思っていた。この時にはそれ以上は考えていなかったんだ。

 こういうのもアリバイ作りって言うのだろうか。実際に賢治の家に行って時間を潰してから9時頃抜けだして空き家に向かった。でもまだ早かったのか、青い車は見当たらなかった。それで相手に見つからないようにと空き家に忍び込んで二階から見張ることにした。

 こないだ来たばかりだったけど、やっぱり夜に来るとドキドキするのを止められなかった。外の街灯の明かりだけでは心もとなかったので懐中電灯を点けて進んだ。静かなせいでやけに音が響いて自分の足音にさえビクッとした。

 ドアを開けて中に入り、玄関でふと横を見ると小さな戸棚があることに気がついた。こないだ来た時にはただの下駄箱だと思ったし、賢治が調べたと思って開けてみなかった戸棚だ。でも今から思うとなんとなく嫌な予感がしたからあえてスルーしてたのかもしれない。

 思い切って扉を開けたボクは凍りついてしまった。中にはちょうど薪を割るのに使うような斧が入っていた。そして懐中電灯に照らされた刃先はどす黒い赤に染まっていた。

 ボクはしっかり確認するのが恐ろしくなってすぐに扉を閉めてしまった。できることなら今のは目の錯覚か最初から見なかったことにしたかった。

 ちょうどその時、外で車の停まる気配を感じた。ボクは気を取り直して急いで二階の子供部屋に上がった。

 窓からカーテンをわずかにずらして外を見下ろすと、確かに例の青い車が空き家の前に停っていた。でもナンバープレートはその角度からは見えなかった。

 しばらくすると中から人が降りてきた。予想したとおり、それは古河先生だった。でもこんなところでこんな時間に何をしてるんだろう?

 その時、助手席のドアが開いてもう一人降りてくるのが見えた。それを見てボクは頭が激しく混乱した。目を疑い、見直す。間違いない、桐野茜だった。

 先生はあたりをチラッと見回してから桐野の肩を抱くようにして空き家に入ってきた。ボクは思わず音を立てないように忍び足で押入れに隠れた。二人がなにをする気か知らないけれど、見つかるのはまずいと感じた。

 でも思いがけないことに、二人はなにか小声で話しながら階段を登って来た。そしてまさにこの子供部屋に入って来た。

 ボクはものすごい速さで心臓が脈打つのを感じながらも、ふすまに空いた小さな穴から恐る恐る二人の様子を覗き見た。先生と桐野はベッドに並んで腰掛けていた。

 それからのことはうまく言い表せない。ただそれがすごくいけないことだということはボクにだってわかった。その間先生はまるで子供のようで、逆に桐野の方が母親のような不思議な感じだった。

 先生はひとしきり桐野の体をまさぐると満足したのか体を起こした。それから財布を取り出すと、桐野に小声で噛んで含めるようになにかを言いながらお金を渡したようだった。

 その後はもういつもの冷たい感じの先生に戻っていた。先生はまるでなにごともなかったかのように桐野のことも気にかけず、さっさと一人で部屋を出て車に乗り込むと行ってしまった。

 ボクは押入れの中で身動きできないままガタガタと震えていたように思う。桐野はしばらくじっとしていたけれど、むくっと起き上がると服の乱れを直して部屋から出て行った。

 ボクは桐野が空き家から出るのを待って押入れから転がるように出た。体が痺れてうまく動かなかったからだ。そしてカーテンの隙間から桐野が出てくるのを探した。

 すぐに桐野は見つかった。でもどこか様子が変だった。なにか重そうなものを引きずっている。それはあの玄関の戸棚に隠してあった血の着いた斧だった。アスファルトの上で引きずられた斧の刃がコー、コーと嫌な音を立てていた。

 ボクは桐野がなにをしようとしているのか考えるととても怖くなった。でも気がついたら階段を駆け降りていた。痺れた足がもつれてもどかしかった。

 それからボクは這うようにして外に出て桐野の姿を探した。ボクはもしやと思ってゴミ置き場の方に向かった。

 はたしてそこに桐野はいた。消えかけて点滅する街灯に照らされて無表情な横顔が見えた。

 声をかけられず遠目から見ていると、ゴミ置き場に寄ってきた野良猫になにか餌を上げてるようだった。それだけ見ればただの動物好きな女の子に見えただろう。でもそれから彼女はすっと立ち上がるとゆっくりと斧を頭上高く振りかぶった。

「やめろ」

 ボクは思わず叫んでいた。大声を出したつもりだったけど、とても弱々しい声になってしまっていた。だからもう一度声を振り絞って叫んだ。

「やめろ!」

 声が届いた。桐野はボクの方を見ると事態が飲み込めないというふうな不思議そうな顔をして斧を降ろした。

 ボクは桐野のもとに走ると斧を取り上げて叫んでいた。

「やめろよ!なんでこんなことするんだよ!」

 ボクはなぜだかわからないけれど、ぐしゃぐしゃに泣いていた。

「ごめんね・・・」

 桐野は小さく呟くように言った。

 ぼくは泣きじゃくりながら「なんで、なんで」と言ってたと思う。

「なんで・・・わたしにもよくわからないの」

 その口ぶりはまるで夢遊病者のようにふわふわとしていた。

「本当はね、可愛かったの。空き家の庭に子猫がいてね、給食の残りをあげたら美味しそうに食べてくれたの。でも気がついたら子猫が死んでたの。手に持った斧を見て初めて、ああわたしがやったんだって・・・」

 ボクは相変わらず声にならない声で桐野を非難していたように記憶している。それを彼女はとても不思議そうな顔をして聞いていた。

「そう、わたしまた・・・」

 それからボクの泣き顔を見て、あやすような口調で言った。

「もう、しないから。もうしないから泣かないで」

 ボクはいたたまれなくなってその場から走って逃げ出していた。気がつくと賢治の家じゃなく自宅に戻っていた。両親が心配してわけを聞かれたけどなにも答えなかった。


 次の日、学校にいくと賢治が昨日のことを聞いてきたけど後で話すからと言って答えなかった。賢治もさすがに昨日の晩なにかがあったのだと察していたようだったけど、気を使ったのか無理に聞こうとはしなかった。それから桐野の姿を探したけどまだ来ていなかった。結局授業が始まっても彼女は来なかった。

 昼休みになった。皆校庭に遊びに出て行ったけれど、ボクは気分が悪いからと言って教室に残っていた。賢治は気を紛らわそうとしてか、関係ない四方山話を熱心に話しかけていたような気がするけどボクの耳には入って来なかった。

 でもその時聞こえた恐ろしい悲鳴ははっきりと覚えてる。ボクと賢治は一瞬顔を見合わせてから声のした方へ駆け出していた。

 ボクにはその声の主が古河先生のものだと直感的にすぐ分かった。廊下を走って行くと、助けを求める声は進路指導室から聞こえてくるのが分かった。

 ボクは少しためらったが思い切ってドアを開いた。

 古河先生はズボンを半分脱いだまま股間を手で抑えていた。その両手の間からは血がこぼれ落ちて床に血だまりを作っていた。

 そしてその前に、桐野がぼおっと突っ立っていた。その手には刃の出たカッターが握られていた。

 桐野はボクに気がつくと、とても悲しそうな顔で囁くように言った。

「ごめんね・・・」


   完 


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