suica セコい人間 大成しない
石神井公園から池袋まで200円。
改札を通ると、Suicaの中の残額が千円以下になった。新たに千円をチャージする。
こんな折、自分がセコい人間だとしみじみ思う。
男ならドカンと一万円くらい、Suicaにぶち込んでもよいのではないか。そう思う。だのに、僕は女々しくも、毎回、千円以下になるまで電車を利用し、チャージする額も千円。リンショクである。
このような体たらくでは一生涯、人間として大成しないであろう。命、尽き果てるまで姑息な金策ばかり画策し、結果、ただのケチん坊野郎として世間の顰蹙を買うであろう。そう想うと寂寥感が込み上げてきた。こんなことでよいのであろうか。よくないと考察します。
しかし、金回りがよい人間が、必ずしも霊長類的に正しいのだろうかHiphopでは家や車や女があることがステータスとされる。そりゃ、ごうそうな家、格好いい車、綺麗な女が居れば素晴らしいことであろう。しかし、それだけの人生と言うのも何か物足りない、物悲しいものではないか。
そう。人生に必要なのは家でも服でもアクセサリーでも仲間でも車でも車でもなく、酒であり薬である。
酒と薬は人生を豊かな、実りのあるものにしてくれる。
否、酒と薬さえあれば、人生が荒廃しようと、豊穣なものであろうと、あまり意味がないのである。
人は身の廻りを、世間的に肯とされるもので囲い、埋め尽くして、おしなべて良しとするほど、潔く出来ていない。人は、内面的な充足を求めているのだ。そして内面的じゅういつは、酒と薬でしか獲得し得ないものなのだ。物質的、視覚的なものは総じてまやかしである。悪しき幻妄である。我々はに一心不乱に内省し、トウテツした瞑想によって自我へ没入することで真の「生」を見いだし、もしかしたら、それに触れることも可能かも知れない。




