本と馬車馬
「というわけで、お金貸してください」
もう頼れるのはあなたしかいないんです!
すがりつかんばかりの私に、ミカエリ・ジョーンズは今日も一人涼しげな顔で応対してくれた。
「融資のご案内でしたら、喜んでさせていただきますが」
朝っぱらから開店と同時に駆け込んできた厄介な客を、ミカエリ・ジョーンズは奥の応接間に通して、そうにこやかに切り出した。
「どのような担保をお支払いになりますか?」
「出世払いで!」
「出世する予定がおありで?」
ございません。
うおおおここにきて元派遣社員の弊害が! だってさだってさ! 私持ってるのパソコン検定ぐらいだよ! 英検なんか四級さ! 秘書検定ぐらいもっとけば良かったぁあああ!
そしたら、あれだよ。何か秘書的な仕事がびしっとこなせてたかもしれないし!
頭を抱えた。
北国に発つと決めたはいいものの、先立つものが何もない。だからといって、これから何かと物入りなカルチェに借りるわけにもいかない。
それで、藁にもすがる思いでギルドに駆け込んだわけだ。
何とかして下さい。
私の様子にさしものミカエリ・ジョーンズも少し溜息をついた。
「ギルドは、その支部に生活基盤を置く方に融資する前提でご提案をさせていただいております。固定の生活基盤をお持ちでない方は、皆さまお仕事をお持ちの方ばかりですので、そのお仕事に関することで担保をいただいております」
つまり、現在、無職根無し草の私には何も担保にする物がない。
旅をするための資金など、確かに例がないのかもしれない。
考えろ。
うう。でも昨日の乳酒が。
朝まで飲んでいたせいか私は未だに酒臭い。そもそも酒臭い女に融資をしてやろうという気にはなれないだろう。
ミカエリ・ジョーンズはしばらく私を観察するように見てから、思案をまとめるように口を開いた。
「あなたにしか出来ないことを考えてみてください」
私にしか出来ない?
そんなことあるのか?
「あなたにあって、他の人にはない。そういうことが一つぐらいはあるでしょう」
ない、と思う。
背が特別高いわけでも美人なわけでもナイスバディーなわけでも賢いわけでもない。
人より優れて、というか悪いと思うのは口ぐらいだろう。
私にあって、他の人にはない。
伯爵とか社長とか何でも持ってる人と比べるのは、対象が悪過ぎる。ガリアさん達みたいな美人も何でも持ってる。美人は正義だからね。
俊藍は論外だ。あれは出来過ぎ君だから。
カルチェは、ラーゴスタから出たことがない。
バクスランドの馬鹿領主は、世間知らず。
アグリは、元の世界の記憶がない。
「―――私、日記付け始めたんです」
何だか思いついたことをぽつんと言ったら、目の前の胡散臭い所長が顔を上げた。
「ほう。いつからですか?」
なぜか所長が促すから、私は誘われるまま答えた。
「いや、この砂漠に入ってからなんですけど、今までのことも手帳に書いておこうと思ってて」
「今までとは?」
「私、今まで東国も旅してたんで、そのことも書いておこうと」
「ほうほう。珍しいですね。いまどきただ旅をする人なんて貴族でもなかなか居ませんからね」
そうか。
私、珍しいんだ。
確か、カルチェがそんなことを言っていた。
私の旅の話を聞きたいって。
「あの!」
思わず身を乗り出した。
「私の日記、本にしませんか!」
突拍子もない話だ。
平気な顔して紛争地域で店を開けているミカエリ・ジョーンズが目を丸くしている。
「本、ですか?」
「はい! あ、この世界って出版とかまだないんですか?」
「いいえ。この西国の識字はあまり高くありませんが、商人たちの行き来はありますから、本は国境を越えて出回りますよ。あなたが旅した東国や、北国は国民のほとんどが本を嗜みますし、西国は貴族がよく蒐集しています」
何だか目の前が拓けていくような気分だった。
「旅をする人は珍しいんですよね? だったら他の地域の話なんか、すごく面白いんじゃないですか?」
「確かに……昔は吟遊詩人や商隊についてきていた楽団が話してきかせていたそうですが、今はそういう者たちもあまり旅をしませんし、同じ地域を回るようになっていますからね」
「じゃ、私の日記を旅行記風の小説か手記みたいにして、本にしたら売れると思うんですよ!」
「リョコウキ?」
旅行記という言葉は無いらしく、日本語になっていたようだ。
「旅行の記録を小説みたいにした読み物です。どこそこの食べ物がおいしいとか、名所がどうとか。そういう旅行の記録を読むんです」
いつもなら返答に滞らないミカエリ・ジョーンズが珍しく黙り込んでしまった。
「これ、担保になりませんか?」
旅行をするための資金だ。
この旅行自体が担保にならないだろうか。
想像じゃなくて、実際に人が歩いて食べて、感じたそのままを書くのだ。私は迷い人なだけ、偏見もない。
しばらく顎に指をあてて考えていた辺境ギルド所長は、おもむろに頷いた。
「一つの街につき、原稿十枚」
「はい?」
顎にあてていたはずの人差し指を向けられる。
「ギルドはあなたが辿りつく街や村の全てにあるでしょうから、一つの街に辿りつくたびに原稿用紙十枚をギルドに提出してください。それと引き換えに、あなたの旅行資金を融資しましょう」
「それじゃ…!」
ほとんど応接セットのテーブルに足を乗り上げていた私を、ミカエリ・ジョーンズはいつもの胡散臭い顔で笑った。
「他人の旅行の記録なんてものを、誰が喜んで読むのかはわかりませんが」
憎まれ口を付けたして、
「あなたの案は面白い」
いつもとは違う、とても人の悪い笑みをミカエリ・ジョーンズは浮かべた。
準備資金として幾らかを融資してもらって、私がラーゴスタを発つときに所定の原稿用紙を渡されることになった。
喜ばしい。
喜ばしいことだが、これで馬車馬のように働く理由が出来て何だか先行き不安だ。背に腹は代えられないといえども、これから先、ミカエリ・ジョーンズに頭が上がらないことにも不満は残った。
でも、これでカルチェに話ができるだろう。
城に帰って早速伝えようと思ったが、何故かアグリに捕まった。
日が中天に昇ってから彼が起きだすなど前代未聞だが、昨日の酒がよっぽど効いたようだ。
「今までどちらへ?」
詰問するように言われたから、素直にギルドに行っていたことを教えてやると、
「―――ここを出ていくつもりですね?」
伊達に八十三ではないらしい。
悪戯した子供をしかるように、私の腕をやんわり掴むとアグリは城の瓦礫の裏にまで私を連れていった。
皆、昼間は瓦礫の掃除で忙しいのだ。昨日は特別だ。
「ラーゴスタに残るつもりはないのですか」
私の腕を握っていた手に力がこもった。
「カルチェさまには、これから辛いことが続くでしょう」
たぶん、これから先に必ず悲しい別れもある。
「カルチェさまには、心を許せる人間がそばに必要です」
「アグリじゃ駄目なの?」
腕が痛くなるほど掴まれた。
「―――私では、駄目です」
そういって、アグリは項垂れてしまった。
「私では、カルチェさまを支えられない」
ざっ。
小さな音が聞こえた。
アグリと振り返ると、
「カルチェさま…!」
顔面蒼白にしたカルチェが居た。
「―――わ、悪かった」
そう悲しげにバツが悪そうにカルチェがつぶやいた。
アグリが私を放り出して追いかけようとするけど、カルチェの方が早い。
砂漠色の長い三つ編みを翻して、あっという間に行ってしまった。
「……アグリ」
追いかけられずに固まってしまったアグリの脛を、私は蹴った。
「った!」
「カルチェ、泣いたかもね」
私の低い声にアグリは「うっ」と唸る。
「こんな物影に連れ込んで何してるんだって、怪しむのは当たり前だよね」
「それは…」
「私は迷い人だし? アグリのことを理解してあげられるかもしれないし? お似合いかもね? 私たち?」
「何を言っているんですか!」
「私だってアンタみたいな他の女好きな男はいりません。あーもうどうしてくれるの! せっかくカルチェに笑顔で話して丸めこもうと思ったのに、アンタが余計なことするからややこしい三角関係みたいなことになったじゃないの!」
こんな少女漫画みたいな展開、冗談じゃない。
「さっさとカルチェ探しに行きなさいよ! そしてすっぱり誤解を解いてきてくださいクソジジイ! そして私のことを納得させて!」
「―――意外と、口が悪いのですね。ヨウコさま」
「うるさい!」
胡乱な顔のアグリを叱りとばしてやる。そして本音の半分も口にはしてないつもりだ失礼な。
「理屈うだうだ言ってるうちに、可愛いお姫様を何処の馬の骨ともしれない輩にとられるんだからね!」
大体、この男がうだうだとしているからややこしいことになるんだ。ああいう若い娘は押しと引きに弱いんだから、とっとと落としてやればいい。
「―――わかりました。カルチェさまの誤解を解きます」
頷いて私を宥めたアグリは、腹が決まった顔をしていた。
「私、明日には発つから」
私の言葉にアグリは少しだけ淋しそうに笑った。
「わかりました」
私は一人その場に残って、アグリを見送った。
長引けば、別れが辛くなるだけだ。
私は旅人らしく、去ればいい。