心臓と閃光
ゴォン!
子供たちの泣き声さえもかき消されるような轟音が真夜中に響いた。
与えられた寝室で毛布を蹴落として飛び起きた私は、上着に伯爵からもらった手帳と万年筆だけ入れて駆け出した。
この石造りの城は頑丈だが音がよく響くので、先ほどからひっきりなしに響く轟音が反響して耳がおかしくなりそうだ。
そんな轟音の中で、兵士のおじさんたちと、彼らと同じように革の鎧に身を包んだ一回り小さい少女が子供たちを抱いて地下へと続く階段を何とか逃げていた。
「カルチェ!」
轟音に負けないように叫ぶと、運よくカルチェが気づいてくれたらしい。
「早くこちらへ!」
どうやら地下に防空壕でもあるらしい。
私は子供たちが大人に連れられて地下へ逃げていくのを確認してから、彼らとは反対に石の階段を駆け上がった。
執務室からなら、よく外が見えるかもしれない。
私は初日に案内された道順を思い出しながら走った。
頭の中は、ほとんど真っ白だったが、ただ確認したくて走った。
辿りついた執務室で、決して自然ではない閃光がこの城に向かって瞬くのを見た。
それはいとも簡単にラーゴスタの城壁を打ち崩し、この鉄の城にまで迫ろうとしていた。現に、幾つもの閃光がすでに城のあちこちを打ち壊して、月のない夜空にもうもうと煙が上がっている。
約束を守るとも思えなかったが、こんな攻撃をしかけてきていたとは。
荒れた街の様子を思い出す。
瓦礫になる一歩手前の建物に、こんな砲撃の類が撃ち込まれ続けたら、住人は逃げだすに決まっている。人が居なくなっては、領地も国も成り立たない。
「ヨウコ!」
甲高い悲鳴にも似た呼びかけに、私ははっとなった。
閃光が、すぐ間近に迫っていた。
私に向かってくるカルチェが見えた。
駄目だ。
来るな!
声を上げるのももどかしく、私はカルチェに飛びかかる。
私よりも少し背の低い彼女の頭を抱えて、そのまま壁へと激突した。
その次の瞬間。
ドン!
心臓をもぎ取られるような振動が骨から私を揺らして、次に大量の粉塵が混じった暴風が吹き荒れた。
ぎゅっと、砂漠色の頭を守るように抱えた。
この子が死んでは駄目だ。
城主だからじゃない。この城の、誰もが彼女を慕っている。
彼女は、ラーゴスタの心臓なのだから。
耳の鼓膜がおかしくなるような轟音が背後で幾つか響いた。
死ぬのは嫌だ。
でも、目の前で人が死ぬのは、もっと嫌だ。
やがて、静かになった。
目を焼く閃光はすでに遠く、私は胸に抱いていた少女を放した。
息をしている。
彼女は無事らしい。
「……ヨウコ」
ぱらぱらと、瓦礫の破片が落ちてくる。
それを払ってやりながら、私は自分もまだ生きていることを実感した。
「カルチェ、大丈夫?」
自分の声が震えている。
私も、怖かったんだ。
それが分かると、何だか笑えてきたが、目の前のカルチェは泣きそうに顔を歪めた。
「ヨウコ、ヨウコ……」
子供のように彼女が手を伸ばしたのは、私の額だった。
触れた彼女の指先が真っ赤になる。
私は額を切っているようだ。
「―――遅れて申し訳ございません」
夜の暗闇からそう言われて初めて、私とカルチェは自分たち以外に、人が居ることを知った。
真っ暗な部屋でその人影がふわりと片手も振ったかと思うと、ぼんやりとした白い光が浮かび上がる。
そうして、こちらへやってきたのは、夕焼けのように赤い髪の女だった。女、のはずだ。
コートの上からでも分かる豊満な体にまとっているのは軍人が着るような膝より長い暗い色のオーバーコートで、長い三つ編みの髪は優美でさえある。しかし、彼女の体は戦士のそれで、座り込んでいる私たちを見下ろす背は女性としてはだいぶ高い。そして何より、その手に握る鎌のような刃のついた武器が幼稚園児ほどもあるというのに、軽々と片手に持って平然としている。
アマゾネス、という言葉がしっくり来る大迫力の女だ。
そんな彼女が、野趣溢れる姿と裏腹に優雅に私の目の前でひざまずく。
「お初に御目にかかります。ヨウコさま」
騎士が主人を敬うように、こうべを垂れて彼女は静かに宣言した。
「わたくしは、メフィステニス伯爵が部下にして副メイド長、そして、第七十七師団が中佐、セイラと申します。以後、お見知りおき下さいませ」
セイラと名乗ったアマゾネスは、ほとんど茫然と聞いていた私を少しだけ笑った。
「今は席を外しておりますが、わたくし以下五名が遅ればせながら馳せ参じましてございます」
伯爵が、お願いを聞いてくれたらしい。
私はアマゾネスの黒々とした瞳を見つめて、泣きそうになった。
でも、
「五人?」
いくら人数割けないとはいえ、いくら何でもその人数じゃ危なくないのか。
「はい。私以外はすでに敵の殲滅に向かっております」
「えと、あと四人で?」
「はい」
アマゾネスは安心させるように私に肯いてくれるが、それってありなのか。
しかし、彼女は私の驚きに頓着せず、
「ここは危のうございます。早くこちらの御方と一緒に地下へ」
落ち着き払って言いかけたところで、空気を切るような音と共に閃光が瞬いた。
また、こちらにあの閃光がやってきたのだ。
しかし、アマゾネスは武器を握り直して、無造作に振りかえる。
「あっ――っ」
危ないと言おうとした。
けれど、その言葉は続かなかった。
ザン!
セイラさんが武器を一振りする。
それで、人大の大きさだったらしい閃光が一瞬で消えた。
その一振りのあとで、遅れて風が巻き起こる。
ばさばさと風に煽られる髪やコートの音だけがあたりに響いて、誰も怪我ひとつしなかった。
もちろん、セイラさんも。
彼女はざんっと武器で空気を打ち払うように斬り裂くと、ふわりと私たちに向かって微笑んだ。そして、
「馬鹿者! 何をしている!」
耳につけていたピアスの先に向かって怒鳴りつけた。
アマゾネスの恫喝に応えたのは、ピアスからの間抜けな若い男の声だった。
『すんませーん。弾いたらーそっちにいっちゃったみたいでしてー』
男の声の合間にも砲撃と思しき音が鳴り響いているが、当の男の方はそれをほとんど気にしていない。時々「うるさいなー。ちょっと静かにしててくださいよー」と轟音が響く。……それだけなんだろうか。音の向こうを想像できない。
「これ以上の失態を犯してみろ。私がお前を八つ裂きにしてやる」
『えええー。カンベンしてくださいよー』
この会話の間にも轟音が響き、アマゾネスは通信を切った。
彼女は改めて私に振りかえると、ひざまずいて私の額の傷に触れた。
触れられるとさすがに痛さがやってくる。
顔をしかめると、また「申し訳ございません」とアマゾネスに謝られてしまった。
「私の到着が遅れてしまい……」
「―――いえ、約束破ったのは、バクスランドですから」
布を当てられて、再びセイラさんに触れられると、額の痛みが少し和らいだ。
「少しだけ、早く治るように魔術をかけました」
血を止めるほどのものらしいので、人体に影響は少ないと説明して、セイラさんは私とカルチェに立てますか、と尋ねた。
二人して頷くしかできなかったが、私は、未だかつてない安堵感に包まれた。俊藍と一緒に居てもこんなこと無かったんじゃないのか。
彼女に連れられてすでにボロボロになってしまった執務室を三人で後にする。でも隣でやけにカルチェが大人しいことに気がついた。
「……どうしたの? カルチェ」
問いかける私に、カルチェは先を行くセイラさんを見つめて呟いた。
「ヨウコ、お前、何者なんだ」
「え?」
とても緊張した声で、カルチェは私を見た。
「第七十七師団だと……伝説の化け物集団じゃないか」
化け物?
こちらの声が聞こえたらしいセイラさんが先に階段を降りていた足を止めてこちらを振り返る。微笑んではいたが、どこか淋しそうに。
「幾つもの街や村をほんの数人で消滅させる、化け物集団だぞ」
呻くカルチェに言われて改めて、私はセイラさんを見た。
でも、
「危ない!」
鋭くセイラさんが叫んで、私たちの前に立った。そのまま武器を構えて、その次瞬に階段の隣の硬いはずの壁がウェハースみたいドパッと崩れる。
その破片をどういうわけか、セイラさんが防いでくれた。
彼女は私たちの無事を確認すると、またもピアスに向かって叫んだ。
「ベイゼ!」
『すんません! 何か砲術兵器に特殊な改造加えてるみたいでーそれ止めるのに手こずってるんスよー』
「貴様、五体満足で帰還できると思うなよ」
『えええ? オレすっげ働いてますって! そこにヨウコさまいらっしゃるんですよね? 弁解してもらえませんかー。もうすぐ部隊壊滅するんでっ…!』
弁解は途中でぶち切られた。
セイラさんは私にまた「申し訳ございません」と頭を下げてしまった。
そんなに謝らなくても。
いえいえと首を振ると、セイラさんが少しだけ笑ってくれた。彼女も迫力はあるが美人だ。ふと、彼女と私の背丈が同じほどだということに気がついた。
「もしかして、私に服を譲ってくださった方ですか?」
そう言うと、セイラさんは少し目を丸くして、それから苦笑した。
「あのような衣装を着ることはないと何度説明しても、ガリアには分かってもらえなくてね。けれど、あなたのお役に立てたのなら、良かった」
こんな時ではないと思うが、私はほっとしてしまった。
「ありがとうございました。あのスーツとても素敵で、私にはもったいないぐらいで」
セイラさんが、優秀な兵士だということは今この場でよく分かった。
カルチェが言う通り、伯爵の部下が恐ろしい集団なのかもしれない。
でも、私はこの人が味方だと知っている。
セイラさんは少しだけ、何をいうべきか悩むように口を閉じた。そして、何だか泣きそうな顔だったのに無理矢理、口の端を上げて、
「―――ヨウコさま。あなたにお会いできて光栄です」
美しいアマゾネスは奇麗に微笑んでくれた。
「ここ、ラーゴスタへの攻撃はほんの挨拶代わりだったのでしょう。部隊の数はそれほど多くはありませんので、すぐに砲撃は止みます。バクスランドの本隊へは、旦那さまが説得に向かいました」
じきに片が付く、と言ったセイラさんの言葉がさも当然のように言うので、私も肯く。隣で何故か目を白黒させているカルチェにも頷いた。
「大丈夫。伯爵が何とかしてくれるから」
ほとんど呆前として、カルチェは同じように繰り返した。
「……ヨウコ、お前は、いったい何者なんだ?」
ただの元派遣社員で、ただの迷い人ですが。




