借金とナンパ
これからは、必要な時にはメフィステニスの名前を名乗りなさい。
もう伯爵の中では、私は娘らしいです。
いやまぁ、自慢するけどね。
名前使った方が手続きとか早いからって、どれだけ私を甘やかす気だあの人は。
伯爵との通信が終わると、私は何だか力が抜けて、長い溜息をついた。
「お疲れ様でした」
そういやこの人居たんだっけ。
うっすら照明がついただけの暗室の薄闇には慣れたけど、ミカエリ・ジョーンズの胡散臭さには慣れない。
「伯爵のご令嬢であらせられたとは、数々のご無礼お許し下さい」
「はぁ……」
慇懃無礼に謝られても、何考えてるんだかわからない人の言葉を鵜呑みにはできない。
「ところで、明日にはバクスランドが攻めてくるというのは本当ですか?」
「あ、はい」
そういやこのギルドの人たちってどうして逃げてないのだろうか。
尋ねてみると、
「規則なので。いかなる場合もその支部の土地が滅びるまでギルドとして営業するというものがありましてね」
そのいかなる場合も、には紛争や災害も含まれるという。案外ドぎつい職場らしい。
幸いにして、と引き気味の私に、ミカエリ・ジョーンズは胡散臭さが倍増する説明を付け加えた。
「どの団体様にも、我がギルドをご利用していただいておりますので、たとえ紛争になったとしても、我々には不可侵というお約束をしていただいております」
つまり、色々なところの資金源を握っているこのギルドには、たとえテロのボスでも、もしかしたら王様でも文句も手出しもできないということだ。
お金の力って怖い。
「そうそう」
若干青ざめた私にミカエリ・ジョーンズはフロックコートの懐から何やら書きつけを取り出して、この世界では珍しいはずの万年筆でさらさらと書いた。
「今回のオレキオの使用料の件なのですが」
渡された請求書を見て私の顔から血の気が引いた。
すでに戻ってきたネロの知識と伯爵領で学んだ知識に照らし合わせると、そこに書かれていた額は、
「……ツケといてもらえませんか」
真面目な役人が一週間真面目に働いてもらえる給料ほど、といってわかっていただけるだろうか。美味しいパンが一年分は買えるよ。
伯爵に預けられていたはずの旅費の半分を支払えば払えただろうが、今の私のポケットマネーではその半分にも至らない。
私は必死こいてミカエリ・ジョーンズに譲歩をもぎ取り、一年という期限付きで借金することになった。
「ここの人たちは逃げないんですか?」
借金の約束を取り付けて、気分的にげっそりとなった私の質問に、ミカエリ・ジョーンズはさも意外なことを聞いたような顔をした。
「メフィステニス伯爵さまが動いてくださるのでしょう? でしたら大丈夫ですよ」
ずいぶんとこの守銭奴に評価されているものだ。
私の方が眉をしかめると、ミカエリ・ジョーンズは悪戯を思いついた子供のような顔で言った。
「あなたのお父上を信じなさい。それに、あなたには借金をちゃんと支払っていただかなくてはいけませんから」
きっと、私からビタ一円たりとも逃さず借金を完済させなければ、この胡散臭い所長はここを動かない気がした。
お茶でもいかがですか、とお粗末なナンパ師みたいなセリフで胡散臭い所長が誘ってくれたが、これ以上知らないところで借金を増やされても面白くないので私は早々にギルドを後にした。
当の所長は「そんなことしませんよ」とやっぱり胡散臭い笑顔で私を見送った。
伯爵は、私のお願いを聞き届けてくれるはずだ。
ひと気のない路地を歩きながら、城へと向かう道を見回した。
きっと、この街は活気があって奇麗な街だったんだろう。
私が出来るのは、きっかけを作るだけだ。
あとは、カルチェ達が頑張ってくれなければならない。
「ヨウコ!」
私の方へと駆けてきた砂漠のお姫様なら、きっと。
「どうしたの。カルチェ」
「ヨウコを迎えにきたんだ」
この優しい少女なら、きっと。
けれど、神様はどうやら私が嫌いらしい。
その夜、約束の期日を待たずに城に轟音が響き渡った。