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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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微笑みと悪寒

 翌日、皆で再びおにぎりと味噌汁を頬張ったあと、電話というものはないが、と紹介されたのは、


「……本当に、何処にでもあるんだなー…」


 ギルドでした。

 他の建物は見る影もないというのに、小まめに修繕しているのかこの西洋式の建物だけは豊かだった時代に取り残されたように建っていた。

 奇麗に窓拭きされたガラス戸を押し開けて入ると、やっぱり銀行式の窓口がずらっと並んでいる。さすがに受付嬢の人数は少なかったが、それでも明るい挨拶が私を出迎えた。

 教育って、すごいんだな。

 妙に感心しながら受付のお姉さんに用件を告げると「少々お待ち下さい」と言われて、受付のソファを勧められた。

 このソファも年代物だが奇麗なものだ。

 この状況だから客も来ないだろうに。

 滑らかな革張りのソファを何の気なしに撫でていた私の前で、カツと小さく靴音が止まった。

 見上げると、ひょろ長いフロックコート姿の男が営業スマイルでお辞儀した。透けるほど淡い金色の髪をオールバックにした小奇麗な男だ。年はよく分からない。若くも見えるし、私よりもだいぶ上にも見えた。


「おまたせいたしました。お客様。わたくしはこのラーゴスタ領ギルド支部所長のミカエリ・ジョーンズと申します。本日は、オレキオをお使いになりたいそうですが」


「はい。私はヨウコと言います。メフィステニス領に連絡したいんです」


 そう言うと、彼は少し驚いた顔をした。


「失礼ですが、昨日この領にいらっしゃったカルチェ様のお客様ですか?」


「ええ、まぁ……」


 ぶしつけな質問をされて渋々頷いた私に、ミカエリさんは「なるほど、なるほど」と呟きながら自分の顎をさすり、「失礼いたしました」と慇懃無礼に言った。

 何だろう。この人。物凄く胡散臭い。

 私の胡乱な視線を感じているだろうが、そこはプロ。ミカエリ・ジョーンズは丁寧に私を促した。


「すぐにメフィステニス領にお繋ぎしましょう。こちらへ」


 彼が私を通したのは、ギルドの奥にある一室で、いつか、俊藍が王城に連絡つけてくれた時と同じ暗室みたいな部屋で、真ん中に車両止めみたいな石柱が一本立っている。

 その石柱の頭をミカエリ・ジョーンズが撫でると、ブツブツというチャンネルを合わせるような音が鳴って、やがて甲高い音と共に一人の女性が、スクリーンもないのに暗室の中に映し出された。


「こちらは、メフィステニス領支部ギルドです。どのようなご用件でしょうか」


 向こうのギルドの受付嬢らしい。髪を奇麗に結いあげた美人は判を押したような営業スマイルで応対してくれた。


「どなたへ連絡いたしましょうか?」


 このオレキオという機械のコントロールを担うミカエリ・ジョーンズも伺ってくれるので私は迷うことなく応えた。


「メフィステニス領領主、コローラル・ド・メフィステニス伯爵に繋いでください。ヨウコと言えば分かります」


 すると、今まで滑らかに応対していたはずの向こうの受付嬢がにわかに動作を止めてしまった。駄目だったのだろうか。しかし、やがて彼女は「失礼いたしました。少々お待ち下さい」と何かを操作して、「すぐにお繋ぎいたします」と丁寧に言って、画面を変える操作をしたらしい。

 次に映し出されたのは、


「ガリアさん!」


 輝かんばかりに美しい、女神のごとき金髪のメイドさんだった。


「ヨウコさま。御無事で何よりですわ」


 にっこり。

 美人の微笑みは万金に値するが、今日ばかりは私は顔を凍らせた。


「……やっぱり、私、わざと砂漠に置いてかれたんですか」


 あの女が噛んでいるとも思えなかったが、やはりこの私の惨事は意図的らしい。ガリアさんのにっこり顔でよく分かった。


「ヨウコさまのお元気そうなお顔を拝見できて嬉しゅうございます」


 美人の笑顔に戦慄覚えたのはあとにも先にもガリアさんだけです。


「それより! 伯爵は今居ますか!」


「はい」


 私のちょっと切羽詰った様子を見てとったのか、ガリアさんは短く返事をして画面の枠から消えた。そうしてすぐに、今や懐かしくも憎らしい、伯爵の顔が現れた。


「やぁ、無事だったようだね」


「お陰さまで死にかけました」


 私の嫌味に入れ墨の紳士は珍しく小首を傾げた。


「その程度で死ぬはずがないだろう。君は私の娘だよ」


「の予定です。それより伯爵、お願いがあります」


 口早な私の言葉に、伯爵は少し口を閉じて、


「それは、君の一つのお願いとして、かな?」


「はい」


 迷わず頷いた。

 伯爵は少しだけ片眼鏡の奥で目を細めたが「よし」と肯いた。


「聞こう。話してみなさい」


「今、私はラーゴスタに居ます。ここが危ないことは御存知ですよね?」


 疑問の形をとったが、確信があった。

 伯爵は私が知らないことも確実に知っている。

 そしてその予想通り、伯爵は事もなげに言った。


「バクスランドに攻め込まれてすでに風前のともしびの街だね。そこに辿りついていたのか」


「はい。ですから、この街を助けて下さい」


 今まで淡々としていたはずの伯爵は、私の言葉に少しだけ目を丸くした。


「そんなことのために、君のお願いを使ってしまうのかね」


 そんなこと。

 伯爵にとってはそんなことでしかないのかもしれない。

 けれど、私にとっては大きなことだ。


「私はもうここの人たちの顔を知っています。同じご飯を食べて、同じように笑っている人たちを見捨てることなんて出来ません」


「そんな甘い考えでは、伯爵には到底なれないよ」


 一刀両断。自分の甘い考えをばっさりと切り捨てられて、私は逆に清々しい思いがした。


「構いません」


 甘くても、私にはこの伯爵のお願いという手段があって、もしかしたら叶えてくれるかもしれないという希望がある。それを今使わなければ、私は後悔するだろう。きっと、使ったことにも後悔するだろうが、使わないよりマシだ。

 その時、嘆くのは私一人だから。


「君が東国との戦場で拾われたとき、私の部隊もそこに居たと話したことがあったね」


 何の話をするのだろう。


 伯爵は画面越しに私を見つめて、いつものように淡々と言った。


「東国での君の家族を殺したのは、私の部隊だ。これを知っても、君は私にラーゴスタを救ってくれと言えるかね」


 伯爵の言葉は、いつだって明確で、正確で、分かりやすい。


 そのことが、これほど憎いと思ったとは。


 なぜ、今、その話をするのか。


 確かに聞いていたはずだ。

 伯爵の部隊を、あの戦場に貸し出していたと。

 

 忘れたわけじゃなかったのに。

 あまりにも幸せをもらって、霞んでいたのだろうか。


 泣きたいのか。

 怒りたいのか。

 それすら分からなくて、私は唇を噛んだ。


 アンジェさんは、私を生かしてくれた。

 伯爵は、私に意味をくれた。


 時間はない。

 今この時も、バクスランドはこのラーゴスタを囲んでいるかもしれない。

 約束をきちんと守る相手とも思えない。


 私の感情なんて捨ててしまいたかった。

 でも、私をいつも突き動かしているのは、感情だ。


 きっと、アンジェさんも他の皆も、あのとき、もう助からなかった。

 だから、彼女は私の胸にあの刻印がないことを泣くほど喜んだ。

 あなただけ生きられる。

 そう、背中を押された。


 でもそれは、ただの理屈だ。

 アンジェさん達はあの戦場で殺された。


 私は顔を上げた。


「―――お願いします。ラーゴスタを、カルチェ達を助けてください」


 誰かを見殺しにするのは、もうたくさんだ。

 伯爵を見つめると、入れ墨の顔が少しだけ満足そうに微笑んだ。


「バクスランドを追い払ってもらえればいいです。それから、カルチェが中央政府に訴えるのを手伝ってください」


 王様に顔が利く伯爵なら、どうにかしてくれるだろう。


「私は」


 俯かないようにこらえて、伯爵の無表情な顔を睨むだけで精一杯だ。


「私は、伯爵のことも、ガリアさんのことも、嫌いになんてなれません」


 この世界で、初めて私を認めてくれた人たちだ。


「恨みます。憎むと思います。でも、嫌いにはなれない」


 私の家族を取り上げた人達だとしても、もう、知らないふりはできない。


 伯爵は私を静かに見つめていた。

 でも、伯爵の方から珍しく視線をそらせて「そうか」とだけ言った。


「―――私は伯爵にもガリアさんにも死んでほしくないです」


 伯爵が、バクスランドと戦うことになるかもしれない。そんな危険なことを頼んでいるのに、どうしてこの人はこんなに平然としているんだろう。

 私は、そのことにも泣きそうになっているのに。

 けれど、伯爵は今度は呆れたように息を吐く。


「何を言っているんだね」


 笑っているというのに片眼鏡の奥が、いつもとは違う色に見えた。


「荒事は、我々の一番得意とするところだよ」


 

 何となく、悪寒が背中を伝った。

 私は、頼む相手を間違えたのかもしれない。



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