良い子と魔法使い
夜になるとやがて子供たちは寝床に引き上げていき、あとには私を含む大人と兵士たちだけになった。
兵士たちは交代で見張りに行くというので詰所に戻り、ヴェルデとアグリは(いつの間にか呼び捨てになってしまってた)子供たちの様子を見てから仕事に戻るといった。彼らは今この領地の後始末をどうつけるかを書面で確認しているという。
そうしてあとには、カルチェと私だけが残された。
今までぎゅうぎゅうに人が立ち代わり入れ替わりしていた部屋が急に広くなって、ランプが私と彼女の影を長く伸ばす。
砂漠の夜は冷えるので、珍しいガラス戸から見えるのは澄んだ星空だった。
「―――ありがとう、ヨウコ」
温かい豆茶の入った湯呑を手でくるんでいた私に、カルチェが優しく笑って言った。
私は、その消え入りそうな顔が気に入らなくて、視線をそらせた。
そんな私の様子に気付いていないカルチェは、私に静かに語りかけてくる。
「ヨウコのお陰だ。この城がこんなにも明るくなったのは。もしかして、魔法使いなのか?」
「……良い子の願いを一つだけ叶えに来たって言ったら、信じる?」
カルチェはきっと冗談で言った。
でも、私の予想外に真剣な声に彼女は驚いたようだった。
私はカルチェを見つめた。
彼女の髪と同じ砂漠色の目がゆらゆらと揺れた。
「―――本当に?」
すがるような声が聞こえた。
「私なんかどうなってもいい。子供たちの願いを叶えてくれるか」
カルチェは良い子だ。
明らかに怪しい私に手当てをしてくれて、このラーゴスタに連れてきてくれた。
けれど、
「―――こうなったのは、自分のせいだと思っているのね」
カルチェは自分を責めている。
私の言葉に今まで戸惑っていた彼女の顔が歪んだ。
「だって」
カルチェは涙を呑みこむようにきつく目を閉じてから、吐きだす。
「私のせいだろう」
「カルチェのおばあちゃんが迷い人だったから?」
それは、
「私たち迷い人を侮蔑してるの?」
はっとカルチェが顔を上げた。
きっと彼女は恨んだに違いない。
迷い人さえ居なければ、年頃の彼女がこんな目に遭う必要もなかったのだから。
だが彼女はそれが罪悪だと思っている。
「迷い人が居なくなればいいと思いながら、ここの人たちを巻き添えにしようとしているの?」
カルチェはとても良い子だ。
「……違う!」
「どう違うの。迷い人を殺すのは迷い人を虐殺しているバクスランドと同じでしょ?」
だから私のささいな言葉にも傷つく。
それじゃあ駄目だ。
「違う、違う! 私は、みんなを…!」
カルチェは泣いている。
でも彼女はそれが恥だと思っているように、目をきつく閉じていた。
それでも駄目だ。
「カルチェの心が傷ついたからって、他の人を巻きこんで死ぬのはどう考えても迷惑なだけでしょ」
「違う!」
一際大きく叫んだカルチェは、私を睨みつけた。
「どう違うの?」
「私は…」
彼女をじっと見た。
答えを彼女は持っている。
躊躇うな。
「私は、みんなとずっと一緒に生きたい」
わっと子供のような泣き声が部屋に響いた。
わんわんと泣くカルチェの腕をとって抱きしめてやると、見た目よりも華奢で小さいことが分かった。
いくら城主だとしても、まだ十八歳の女の子だ。
きっと誰でもいいから聞いて欲しかったのだ。
ずっとずっと誰かに言いたかったのだろう。
たまたまそばに居たのが部外者の私だっただけだ。
けれど彼女は運がいい。
話を聞いたのがお人好しの私だったのだから。
策略だったら大したものだが、素直で私以上にお人好しのこのお姫様にそんな女狐みたいな芸当ができるとも思えない。
カルチェは思い切り泣いて疲れたあと、私の膝で安心したように眠ってしまった。
妹が居ればこんな感じなのかな。
可愛くない弟が居たから、この子みたいな妹が居れば楽しかっただろうな。
「―――ヨウコさま」
呼びかけに顔を上げると、アグリが口元で指を立てて静かにと苦笑した。
「……眠ってしまわれたんですね」
そういってカルチェを見下ろすアグリの微笑みは甘い。
孫を見るというよりも、もっと大事なものを見つめるような。
「それより、どうして私が様付け?」
「カルチェさまの大事なお客様ですから」
アグリは私の質問をかわして、私の膝からカルチェの体を軽々と抱きあげる。
八十三歳とはいえ体は若いままだから姫抱っこなんてできるのだろうが、
「―――アグリってさ、本当に八十三?」
「本当ですよ」
訝る私に向かってアグリは少し笑って、溜息をついた。
「……でも、年齢の実感が湧かないということはありますよ」
年を取らないまま老いていく。それがどういうことなのか今の私には分からない。
「若いまま、時代を横滑りしちゃった感じ?」
「そうですね……。時代はちゃんと渡っているのに、年相応になれないというのか。いつまでも若かった頃の感覚が抜けないのですよ」
カルチェがアグリの腕の中で身じろぎしたので、一度会話をやめた。
それをアグリがまた優しく見守っているので、おじいちゃんと孫というよりも恋人に甘えられて鼻の下伸ばしている彼氏の図だ。
馬に蹴られたくないから言わないけど。
「ねぇ、アグリ」
私の問いかけに顔を上げた彼に私はニヤリと笑ってやった。
「もしもまだ長生きできるようなことになったら、若い頃に戻ってもいいんじゃないかな」
アグリは少しだけ驚いたように目を見開いたが、探るような眼で私を見下ろしてきた。
「―――何か、あるのですか」
死ぬのは嫌だ。
誰であっても、この絶望した人たちであっても。
「カルチェは皆で生きたいって言った。だから私はそれを叶えてあげようと思う」
それが自己満足であっても、私は嫌だ。
「ちょっと伝手があるから。どこかに電話ない?」
良い子には魔法使いが一つだけ願いを叶えてくれるのだから。