土壁と万年筆
照り返す太陽の光を避けて、私たちはさっそく日除けの下へと逃げた。
伯爵に教えてもらったとおり、伯爵の領地から草原を抜けると、そこはまさに別世界だった。陽光が容赦なく大地を焦がして、人と土壁の建物をじりじりと焼く。この街を抜けると、そこは砂漠だというのも頷ける。
露店に並ぶ食べ物の中では今まで普通に食べていたはずの果物が倍の値段で売られていて、水売りが炎天下の中、飲み水を売り歩いている。
私はガリアさんに用意してもらった旅装の襟を少し緩めた。
彼女が用意してくれたのは、長袖だが木綿の涼しい服で、太陽を直接浴びない服装だ。スカートでなく頑丈なズボンとブーツだということもいい。幾らかのお金と薬草と、着替えだけが入った荷物は肩かけカバンに詰め込んで、すでに私の相棒となったマントをひっかけている。さすがに羽織ると暑い。
旅装の上着には、手帳が入っている。この世界では珍しい、万年筆と手帳のセットだ。何か書くものが欲しいと言ったら、伯爵が自分のコレクションから譲ってくれた。私の世界と似通ったそれは、やはり元の世界との繋がりを感じずにはいられない。
「今日はこの宿場で一泊して、明日から砂漠へ入りましょう」
そう案内してくれたのは、伯爵がつけてくれたガイドのアイスレアさんだ。淡いピンクの巻き毛の女の子で、年は私とそう変わらないように見えるが、彼女は北国に行くための通訳も兼ねている。西国の言葉は困らないが、北国ではそうはいかない。私よりも半袖短パンといういでたちの軽装だが彼女は暑さに堪えた様子はなかった。
それよりも、
「大丈夫ですか? 理恵さん」
私と同じような旅装だが、明らかに女らしい彼女は日除けの下の、このカフェでぐったりと座りこんでいる。
尋ねた私に、理恵さんは儚げに微笑んだ。
比較的温暖な西国の首都に比べてここの気候はだいぶ違うから堪えるのだろう。
彼女は、迷い人を奴隷にするという理不尽な法律のために、三十年ものあいだ王城で仕えていた。しかし、彼女は私と同じく伯爵のお屋敷にある転送装置(魔法のテレポーテーションみたいなものらしい)でここまでやってきた。
名目上は私に仕えるためだが、彼女と一緒に帰る手段を見つけられればいいと思っている。
「ありがとうございます。ヨウコさまは、大丈夫なのですか?」
理恵さんは、西国に私が居た頃に大分お世話になっていたらしい。らしい、というのは、その記憶が未だ私にないからだが。
私の西国の首都での記憶は、あの殺されかけた記憶とアンジェさんが殺された記憶だけだから、理恵さんにそのころのことを聞く気にはなれなかった。
「私は大丈夫です。早く宿へ行きましょう」
この辺りでは、人々が本格的に活動をし始めるのは夕方からだそうで、太陽が燦々と元気なうちに出歩いているのは、忙しい商人か旅人ぐらいだそうだ。
私たちは理恵さんを気遣いながら宿へと入り、夕方を待った。
この街まで来るのに、伯爵が馬車を出してくれたので、ほとんど一息にこの街まで辿り着いたけれど、ここから先は馬では行けない。砂漠にはベイーコロという乗り物(馬みたいな生き物)で行くらしい。そいつの調達もしなくてはならない。伯爵は充分な路銀を持たせてくれたから、宿に困るようなことにはならないだろうが、砂漠を横断するには地図でオアシスを辿って野宿するのが基本だ。
どこかの隊商にでも混じれれば良いのですが、というのはアイスレアさんの言。
早い夕食をとると、理恵さんは宿へ残るというので、私はアイスレアさんと一緒にこの砂漠に近い街を散策することになった。
ベイーコロの調達と共に同じ方向へ向かう隊商の情報も得るためだ。なんだか、本気で旅らしくなってきた。
夕方になると往来は昼間とは比べものにならないほどの人出でにぎわっていた。
露店も昼間には出していなかったお酒もふるまって、まるでお祭りのような騒ぎだ。露店を冷やかしながら、アイスレアさんとまず向かったのは、ギルドだ。
こんな異国情緒溢れる街に西洋式の壮麗な建物はそこだけ切り抜いたみたいにひっそりと建っていた。中もいつか見た銀行方式で、相変わらず愛想のいいお姉さんたちが西国の言葉で出迎えてくれる。
アイスレアさんはお姉さんに北国の方へ向かう隊商はないかと訊ねたけれど、返答はかんばしくなかった。というのも、今はちょうど乾期で、オアシスの水も減っているので大きな隊商はこの時期を避けるのだそうだ。もう少ししたら雨期だというが、この暑さでは理恵さんの体調の方が心配だ。
そこで、アイスレアさんと相談して、ベイーコロで最短距離で砂漠を抜けようということになった。このルートは、砂漠は最短距離で抜けられても後には険しい山道が控えている。だが、暑さが堪える理恵さんには少しでも涼しい場所を行く方が賢明だと思われた。
それから私たちは手分けして旅の準備を始めた。
ベイーコロの良し悪しは分からないのでアイスレアさんに任せて、私は日焼け止めや水袋の調達などをして、宿へ帰りつくころには月が中天に昇る頃だった。
まだ街は活気を保ったままだったが、部屋へ帰ると理恵さんは静かに待っていてくれていた。
「寝てて良かったんですよ」
私の言葉に彼女は首を振る。アイスレアさんは別室で、私と彼女が相部屋だ。
理恵さんは荷物を片付ける私をじっと見、そして少し息を吐いた。夜になって多少なりとも涼しくなったからか、昼間より顔色は良いようだ。
「―――本当に、もうネロではないのですね」
ぽつりと理恵さんが呟くので、私は彼女の向いにあるベッドに腰掛ける。この部屋にはベッドが二つとチェストしかないが、清潔でよく眠れそうだ。
「まだ、自己紹介してませんでしたね」
私はそういって不安そうな理恵さんを見つめた。
「私は、君島葉子といいます。向こうでは、派遣社員でした」
「……派遣社員?」
理恵さんが向こうに居た時代には、まだ派遣という言葉は無かったらしい。会社員のアルバイトみたいなものだと言うと、彼女は少しだけ納得した顔をした。
彼女は、二十四歳の時にこちらへ落されたという。
理由は定かじゃない。気がついたらどこかの広い庭に居て、そこがたまたま王城だったという。そこで彼女は保護されたが、奴隷として三十年という長い間仕えることとなった。
自分はまだ運が良かったのだと、理恵さんはやっぱり儚く目を細めた。
他の奴隷として扱われた人たちは皆、兵士として前線や送られるか、家畜のような扱いを受けていたという。今はまだマシになった方だとも。
三十年前というと、つたない記憶を辿れば、高度成長期時代といったところだろうか。日本はバブルの真っ最中。私が居た時代より、みんなが上を向いていた時代だという印象がある。だから、目の前の理恵さんのショックは私とは比べものにならないほどだろうと思った。
私は、不幸自慢するわけじゃないけど、派遣社員として結構苦しく生きていた。正直、自分の未来が明るいなんて思えたことはない。だから、理恵さんは奴隷なんてことに耐えられなかったようにも思えたのだ。すでに一日歩きまわって真っ黒になりかけの私と違って、彼女は奇麗に髪を整え、化粧をし、自分が美しくあることにこだわれている。
それが、羨ましく思えた。
私は理恵さんと日本のことをお互いに情報交換するように話して、夜更けに眠った。




