教育と家族
街へ出て、商売をさせるのは伯爵教育の最初の一歩だという。
自分が将来治めることになる領地をくまなく見つめて、どんな領主になるのか考えさせる練習なんだそうだ。
知らないこととはいえ、私は女伯爵への第一歩を踏み出していたらしい。
―――知らないって怖い。
ようやく泣きやんだときには、伯爵はすでに私の部屋を去っていた。何かあればいつでも執務室に来なさいと言い残して。
伯爵がパパなら私、家出なんかしない自信があるよ!
鼻水をハンカチで拭う私に、ガリアさんが温かいお茶を出してくれた。
ミルクをたっぷり入れたミルクティーは優しい香りがする。
そうして、彼女が私の向いに座ってもいいかと問うので、当然頷いた。私、そんなに偉い人じゃないよ! というか美人のお願いを断るのは悪だ。
ガリアさんは私とは比べものにならないほど優雅に腰掛けると、私にふんわりと微笑みかけてくれた。
幸せ。もうここの子になろうかな。ごめんね、お父さんお母さん!
「ヨウコさま」
改めてガリアさんを見つめると、彼女は真摯な瞳で私を映した。
「私の祖母は、異世界の人でした。ですから、八十を過ぎても今の私と変わらない姿だったのです」
知識として与えられていたけれど、実際に話を聞くと結構な衝撃だ。
迷い人は年を取らない。
確かに、それが畏怖の対象になるのは肯けるところもある。
「祖母は八十六歳で老衰で亡くなりました。異世界の人はいくら年を取らないとはいえ、大けがや病気で亡くなることもあります。それに、体の代謝機能が年齢と共に衰えていきます。だから、外見が変わらないということ以外、この世界の人間と変わらないのです」
私は、少し前に恐ろしく感じた自分の髪をつまんでみた。
髪は伸びている。
「……どうして、迷い人は外見の年齢が変わらないんでしょうか」
最大の疑問だ。
ガリアさんは上品に首を横に振った。
「分かりません。北国へ行くことができれば、恐らく」
また北国。
いつぞやは観光がてらに行ってみたいと思ったけれど、これは必要に駆られる事態になってきた。
うなる私を見ながら、ガリアさんは少しだけ笑った。
「ヨウコさまらしいですわ」
彼女の祖母は、疑問に思わなかったのだろうか。
年を取るはずなのに、若いままの自分を恐ろしく思わなかったのだろうか。
「―――その、ガリアさんのおばあさまは、どんな方でしたか?」
ガリアさんは優しい瞳のまま、笑った。
「迷い人としてきっと悩むことも嫌なことも多かったと思いますわ。でも優しい祖母でした。祖母は最期まで幸せそうでしたわ」
きっと、いい家族に恵まれたんだ。
ガリアさんを見ていれば、その光景が見えるようだった。
「ヨウコさま」
問いかけられるように呼ばれ、ガリアさんを見つめる。
嫌なこと。
それは彼女にも多かったのではないだろうか。
多種多様な色彩を持つこの世界でも、彼女のような瞳は見たことがない。
彼女に瞳は、黄金を溶かしこんだような美しい金色の瞳だ。
「わたくしは、ヨウコさまにお会いできて、そしてお仕えすることができて本当に幸せです。ヨウコさまのお陰で、わたくしは本当の意味で祖母のことを想えるようになったような気がするのです」
ありがとうございます、と彼女は微笑んだ。
「もちろん、このままヨウコさまと過ごすことができれば、至上の喜びですわ」
深い金色の瞳に私が映りこんだ。
「ですが、ヨウコさまの選ばれたことに、わたくしは賛成いたします。ヨウコさまの幸せが、わたくしの一番の幸せなのですよ」
彼女の瞳の私が、幸せそうに微笑んだ。
幸せというのなら、きっと私は今このときが幸せだ。
私を信じてくれる人が、今この時に微笑んでくれているのだ。
どんなことをしても、生きて欲しかった。
初めて私を家族と認めてくれた人たちに。
炎に任せて私を置いていって欲しくなかった。
そばに居てと言えなかった。
生きると誓いはしたけれど、私は迷い人として孤独だと思っていたから。
「ありがとう。ガリアさん」
私を認めてくれてありがとう。
私を家族と認めてくれてありがとう。
―――私は、この世界に来て初めて、幸せで泣いた。