説明と解答
異世界に来て、予想外なことばかりだ。
私は思わず息を止めた。
運がいい。
言われたことがない言葉ダントツ一位だ。
伯爵は私の様子を少しだけ見守って、話を続ける。
「基本的に、迷い人を虐げなくてはならない法はどこにもない。北国の定めた大則にもそんな条項はないしね。けれど、歴史的に排他的な文化を持つ西国では迷い人は長年奴隷として扱われてきた。それは、他の国々よりも環境の厳しい土地が多いことにも起因するだろうが、そんな歴史家の詭弁は君たちには関係のないことだね」
伯爵の君たち、とは迷い人のことだろう。
「東国では迷い人が宰相になるほどだからね。あの国では珍しいとは思われるだろうけれど、奴隷とまで虐げられるようなことはない。だから、君が東国に落ちたのは運が良かった」
話の腰を折るようだけれど、気になったので口にしてしまった。
「……私、東国に落ちたって言いましたか?」
すると、伯爵はうんと頷いて、
「いや。言っていないよ」
さも当然のように言ってひげ一つない顎をさする。
「どこから話そうか」
「始めからお願いします。どうして、私のことを知っていたのか」
「そうだね」
私が真正面から伯爵を見返すと、当の本人はほとんど変わらない表情で淡々と報告してくれた。
「陛下が戦乙女たちを殲滅した戦場で、一人の女性を拾ったということを部下からの報告で知った。その女性は東国の出で立ちだったけれど、何故かヘイキリング王の外套を羽織っている。けれど、気を失った彼女がやっと目覚めたと思ったら今度は記憶がない。西国の言葉は話せず、東国の言葉を話す。それに、奴隷の女中と時折、意思疎通ができる」
それは、城で聞いた話のままだ。それにリーエという名の迷い人と話が出来ていたという事実。
私の聞かされた情報よりも一歩詳しいようだ。
「私の部下を、陛下の軍に貸していたからね。その部下の報告だよ。だから、私は陛下に進言に行った」
だから、あのとき私に視線を寄越してきたのか。
どうしてこんなことになっているのかと。
「先代の王は、迷い人を奴隷とする問題にようやく着手し始めた賢君だった。だから、息子である陛下もようやくその引き継いだ問題を考え始めたと思った。けれど、実際は違った」
伯爵は片眼鏡の奥の目を細める。
「一度、奴隷とされるとその子も孫も奴隷だ。この国ではこちらの人間と結婚してひ孫の世代にならないと奴隷から国民と認識されないし、国民として戸籍が持てたとしても差別は変わらない。だから、一族は一族で村を作ってそこに住んでいる場合が多いが、外界と接せずに暮らすことはできない」
その弱味を、あの王様は使ったのだ。兵士として志願すれば、人権を与えると。
「ヨウコが記憶を取り戻すまで、陛下は君が迷い人とは気付いておられなかった。けれど、私は進言に行って良かったと思っている。陛下の価値観が変わるかもしれないからね」
伯爵はテーブルに手袋の指をこつと置いた。
「ヨウコ、今、世界の歪みが絶頂にきている。奴隷、東国の王の失踪、今回の戦争。……西国の歴史を紐解いていけば、奴隷の歴史などたかだか百年余りのことに過ぎないのだよ。二百年前には、迷い人も戦争に参加して血みどろの戦が続いていたのだからね。誰も彼らを差別する者などいなかったよ。だが平和になって、ふと気付いたんだろう。彼らが皆、まったく年を取らないということにね。誰が、というわけではない。恐らくそこから始まったのだと思う」
思いにふける伯爵の静かな声を聞きながら、私はあることに気がついた。
「……そういえば、伯爵の街で、奴隷らしい人なんて見かけませんでした」
マーケティングに私は伯爵のお膝元の街を本当に隅々まで歩いたので、ちょっと柄の悪い道だってガリアさんと歩いた。けれど、道端で転がっている人はおろか、誰かに虐げられているような人も見ることは無かった。奴隷と呼ばれる人たちが、兵士に投入されるほど居るというのに。
意識を歴史から今へと取り戻した伯爵は「ああ」と何とも気のない返事をした。
「私の領地は元々とんでもない荒地でね。今は牧畜と交易で潤っているが、初代が王から賜った時分にはどこから手をつけていいのかわからないほどだったらしい。当時は荒地でも農地に開墾することが普通だったから、岩と枯れ木だらけの荒地を古い木の根を掘り起こしたり石を掘り出したりするだけで一苦労だ。そんな初代領主に迷い人の部下の一人が牧畜を提案したのだ。それなら種を蒔いて草を増やして、家畜を何とか育てるだけでいいからね。それに家畜は土も肥やすのにいい。どのみち他に行くところなんかないから、当時は相当ひもじい思いもしたようだけれど、今度はこの土地の位置にその部下が気がついた。ここは西国から北国、南国へと向かう旅人の通り道になっていてね、交易をしたらどうかと。そんな具合でみるみるうちに明日のパンにも困る領地が嗜好品の茶まで庶民が楽しめるほどになったというわけだ」
というわけだと言われても。
説明にはなっているけれど、答えにはなっていない。
私が更に促すと、伯爵はやれやれと言うように肩を竦める。
「百年ほど前かな。迷い人と知れば、領地をあげて歓迎して手厚い保護をしていた我が領地に王のお達しが届いた。以降、迷い人を奴隷とするとね。けれど、私のひいおじい様はそれに激怒した。ひいじい様は戦争世代だったからね。戦友である人たちを迷い人だからといって差別するなんて思いもよらなかったことだった。当時はじい様に家督を譲っていたのだが、じい様に王へ讒言しに行けと烈火の如く命令してね。でも、もう国中が迷い人を奴隷としていたから、ここで王に何か言っても無駄だとじい様は考えた。だから、伯爵領内だけではあるけれど、じい様は迷い人の市民権を以前のままに保障することにした。そして私の父は秘密裏に各地に散らばる迷い人の村人を領地に招いていた。それを知った先代の王が我が領地を悪しき慣習から脱却する手本として目をつけたというわけだよ」
やっぱり説明にはなっているけれど答えになってない。
私は質問を変えることにした。
「じゃあ、伯爵は何をしていたんですか?」
「別に何も? 私は父が死んだあと、先代の王から迷い人の市民権を保障するように言われていたし、父の遺言でもあったからそれを受け継いだだけだ。そこのガリアのおばあ様も迷い人だったらしいよ」
西の王様は父親の意思は継がなかった。親子であってもココロザシなんてものをそのまま受け継いでくれるなんてことはない。何かしら変わってしまうものだと思うのに。
伯爵は祖先から受け継いだ気骨をそのままに、守ってきたのだ。
ガリアさんは目が合った私ににっこりと微笑んだ。
ねぇ? 照れ屋で素晴らしい方でしょう?
そんな声が聞こえてきそうだ。
自分のことをおざなりにしてしまう伯爵がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
なんて人だ。
こんなに尊敬できる人、見たことない。
「そういう土地柄だからね。もしかしたら、君を元の世界へ返せるかもしれない」
伯爵は笑う私に明日の天気でも占うように爆弾を落とした。
―――なんですと!