庭とミルク
屋敷の主であろう、伯爵直々に案内されたお屋敷は見た目よりも大きかった。
私の基準が日本のウサギ小屋と評される一軒家だから、この世界のお屋敷は全部広く感じるのは当たり前なんだろうけど。
掃除好きの母がこんなお屋敷に連れて来られたらさぞ嘆くだろう。一人で掃除するには広すぎる。
けれど、伯爵に招き入れられた屋敷には誰もいなかった。
私と伯爵以外の足音以外、こつりとも音もしないし気配もない。あいにくと霊感はないのでそのあたりはスルー。
そのくせ正面玄関から階段の手すりに至るまでピカピカだ。
まさか伯爵一人で掃除しているのか。
半ば青い顔で尋ねたら、伯爵は涼しい顔して応えてくれた。
「今日は使用人がみんな出払っているのでね。申し訳ないが私が君のエスコートをさせていただくよ」
滅相もない。どこをどうして申し訳ないんだか。こっちの方が遠慮してしまう。
お城ほどじゃないけど、長い廊下を案内しながら、伯爵はのんびりと話してくれた。
この人、私が本調子でないことも分かってて歩調も合わせてくれている。かえすがえす、こんな人のところにもらわれたかった。
「私の自己紹介をちゃんとしていなかったね」
そう言うと、伯爵は腰の後ろに腕をやって組む。ますます紳士だ。
「私は、コローラル・ド・メフィステニス。メフィステニス伯爵領の当主を務めている。ここがどういう所領で、どういう経緯で賜ったのかは省くことにするよ。面倒かつ複雑だからね。すでに私でかれこれ三十八代目ということは教えておこう。ちなみに私も三十八になった。奇遇だね」
初めて顔見た時から分かってたことだけど、この人、かなりの変人だ。
私は賢明にも彼に口を挟まず、黙って話の続きを待った。
「以上だよ」
待った私が馬鹿みたいじゃないか。
「―――えっと、さっき、王様が将軍と呼んでいましたが…」
話が途切れるのもあれだったので、質問を投げてみると伯爵は「ああ」と事も無げに頷いた。
「そうだよ。私は第七十七師団を預かる将軍職もあずかっている」
まるで他人事のように言って、伯爵は肩を竦めた。
「明日か明後日には皆が揃うはずだから紹介するよ。我が家の使用人たちだからね」
―――訂正しよう。私は、かなり特殊な場所に連れてこられたようです。
将軍とか、師団とか、単語の意味はよく知らないけど、この変人伯爵は曲りなりにも軍人さまらしい。
確かに背は高いし、すらっとしてるし、きっとちゃんと筋肉ついた人なんだろうけれど、顔の横を縦に走る入れ墨を払拭するほど、彼は紳士で弁が立つ。王様の言葉が無かったら、私はずっと、この人を政治家か何かだと思っていただろう。――― 一か月前に別れた騎士たちのような、どこか清廉な感じもしないのだ。
騎士たちは上司の命令はどんな命令でもきく。たとえそれが人道に反することでも、自分の感情とは別に行動している。
けれど、先ほどのやりとりの限りじゃ、この伯爵は王様に再三呼ばれていたらしいのに、それをずっと無視していたというのだ。
この伯爵には意志がある。
当の伯爵さまは、甲斐甲斐しく私に客間を案内してくれ、バスタブ付きのシャワーからお湯が出ることも、タオルの位置まで教えてくれた。ちょっと待ちなさいと部屋を出ていったかと思うと、誰かのお古らしいチャリムと、いつのまに入れてきたのか温かいミルクまで用意してくれた。
どうして私がチャリムの方が着方を知っているのかを分かったのかは知らないけれど、古着の七分丈パンツ付きのおばちゃんチャリムはありがたい。下着は西国のものだと聞かされて、当然のように渡されたので、恥ずかしいなんて欠片も思わなかったよ。こっちはキャミソールみたいな上と見たことあるようなパンツなんだね。紐パンが日常になりつつあったから、おお、なんかこのフィット感のありそうな布地が懐かしい。
「夕食までゆっくりなさい」
温かいミルクに保温用のカバーをかけて、伯爵は充分過ぎるほどの丁寧な心配りの効かせて部屋を去っていった。
感動で泣きそう。
高級ホテルに泊まったら、こんな感じなんだろう。何だか自分がお姫様にでもなった気分なのに、なりきれない感じがくすぐったくて不思議と嬉しいっていう。
今までの経験から、こんな生活が続くとは思えないだけど (だいたいすぐに追い出されるから)こんなに待遇良いのは久し振り。まぁ、記憶無い時も待遇は良かったんだろうけど、覚えてないから。
温かい部屋に居ると、思いだす。
私を心配してくれた人のこと。守ってくれた人のこと。
クリスさんは元気かな。
歩く十八禁さんはどうしてるかな。
社長は今もふてぶてしいかな。
不本意だけど、あの東のクソババァは今も世にはばかってるのかな。
有害銀髪は消えてしまえ。
あの騎士たちは、また女の子たちを集めているんだろうか。
ハンナは家族のところへ帰れたのかな。
セレットさんはお子さんに会えたかな。
―――アンジェさん、私、生きるからね。
あなたが守ってくれたから、私はこうして生きている。
それから、私は東国に戻らなくちゃならない。
歪んだ呪いの結末を、私は見届けなくちゃいけない。
それは、何の役割も持たず、この世界に迷い込んだだけの私だけが出来ることだと思うから。
生きるよ。
生きて、俊藍に会う。
私は、マントの端をきつく握って、少しだけ泣いた。




