城と執務室
「ここは、西国首都カピタ。王城アルジェントの地下牢だ」
かつんかつんと各々の靴音を響かせながら、私は石造りの壁や階段を眺め回した。
海外旅行にも行ったことないから、こんな石のお城って物珍しくてねぇ。
そんな私の様子を若干気にしながら、お城の主自ら私を先導してくれている。豪華なんだかめんどくさいんだか。
記憶の戻った私をそのまま地下牢とやらに閉じ込めておくのかと思えば、王様はあっさりと私を出してくれた。
意識が戻ったばっかりで混沌としてたけど、よく考えればこの人たちの言うネロっていう女のフリをしてれば、大歓迎で牢屋から出してもらえるのに!
てことを、絶句する赤髪の王様眺めながら考えてたんだけど(性格悪いとか言わない!)調子を取り戻した王様は何事もなかったかのように牢屋の鍵を開けて、鎖を外してくれた。
お礼も、にこりともしない私をちょっと見てたけど、何も言わないでこの地下牢を抜ける廊下を歩かされている。
歩かされてるっていうのは、前に王様、後ろに理恵さんがばっちりついて歩いてるから。
逃げないって。こんな場所で逃げだしたら、迷うし。
私は牢屋でもいつでも共にしているマントを羽織りなおした。
ほんとに、このマントは私と運命共同体になってしまったな。いっそこいつと結婚するか。
そんな埒もあかないことを考えていたら、石畳の階段を抜けて、高い高い天井の廊下に出た。高くてひと抱えもありそうな柱が並んで、まるで巨人の国にでもやってきてしまったみたいだ。けれど理恵さんは私より背が低い。赤髪は頭一つ高いけどね。
「ネロ!」
またしても記憶喪失女の知り合いが現れたのか。
そう思って美声に振り返って顔が引きつるのを我慢した。
やや振り乱しがちだが、なびくのは美しい金髪、そしてきらめく黄金の瞳。整った顔立ちは女性的で滑らかだ。そんな美形が苦しげな顔で近寄ってくるんだから、思わずごめんなさいと言いそうになる。そして、彼はきっと、
「兄上…、ネロは…?」
赤髪王の弟らしい。
さすが兄上は弟の美貌を見慣れているらしく、無感動に首を振る。
「部屋へ行くぞ」
ここで話すつもりはないということが伝わったらしく、美貌の弟は息を整えながら肯いた。
彼の格好は、いつか東国の城で見たような詰襟ではなく、なんというかフロックコートのようないでたちだ。長い上着にズボンにブーツ。加えて弟は肩より長いだろう髪をゆるく結わえて、耳にしゃんしゃんと鳴る飾りのついたピアスをつけている。シャツとズボン姿の兄と違って派手な格好だ。
「ネロ。平気かい? 痛いところはない?」
兄の隣からすっと私の隣に並ぶと、小さい子供に尋ねるように、けれど決して子供には向けない甘いささやきで私を伺ってきた。うわ、目の毒だこいつ。
「ありません」
いつの間にか頭の中で組み立つ西国の言葉を小さく答えると、弟は少し怪訝そうな顔をした。
「ネロ……どうしたんだ?」
あーあーすみませんね。ネロっていう女の子がどういう態度だったんだか知りませんので同じようにはできません。でも、それを私は言わなかった。目の前を余人を拒否するように歩く王様が許可してない。
私の処分がどうあれ、ここは黙っておくべきだろう。
部屋とやらに着いてからが、私の正念場だ。
私がそれきり黙ると、弟も諦めたように口を閉じた。
でも、隣に立つ彼が、私を気付かっていることは分かったので、避けることはしなかった。
まったくの他人事なんだけど、彼らには、私の話はきっと酷な話なんだろうから。
王様が人払いをして四人で入ったのは、そこそこに広い部屋だった。
入った瞬間は応接間かと思ったんだけど、ソファセットの向こうに鎮座する執務机ぽいものを見て、もしかしたらここは王様の私室なんじゃなかろうか。
王様は私たちに座れといい、理恵さんはドア前に立った。メイドだというから、そこが定位置だというのだろうか。
釈然としないまま、私は促されるままソファに腰かけた。ソファはそれぞれ一人掛けで、私は王様と弟、三竦みになるような格好で座ることとなってしまった。
……ああ、お腹空いたわぁ。
「―――先ほどのお前の問いに答えよう。俺は、アウトロッソ・レ・ゲイネスライン。西国の王だ」
あの時と同じだ。
赤髪は、次はお前だと視線を寄越してくる。
答えないわけにもいかないか。
「ヨウコ・キミジマです」
私が答えると、王様の隣が息を呑んだ。弟だ。
「兄上…これは…」
「―――彼女の、記憶が戻ったようだ」
低く押し殺してはいるけど、悲痛な声だった。
ちょっと待ってよ。勝手にドラマにならないでよ。こっちは物凄い傍観者だよ。
茶々を入れたいのは山々だったけど、ドラマは続く。
「では、彼女はもうネロでは…」
「ああ」
兄の応えに、弟はいっそすみません間違いでしたと言いたくなるほど顔を歪めた。
泣きそうな顔すんな。泣きたいのはこっちだ馬鹿やろー。
「―――失礼いたしました。ヨーコとお呼びしてよろしいでしょうか?」
お鉢をこちらに回してきたのは弟だ。お伺いを立てるような口調だけど、葛藤が見え隠れしている。外交官には向かないねあなた。
私がうなずくと、彼は自分の気持ちを精一杯落ち着かせるようにひきつった微笑みを浮かべる。
「私は、イーエロ・ジ・ゲイネスラインと申します。……兄、アウトロッソ王の弟にあたりますが、すでに継承権を放棄した身です」
美人が泣きそうだと物凄い憐れに見える。得だ。
「……ではヨーコ。お前はこの状況をどこまで分かっている?」
話を進めにかかったのは兄。
こいつ、油断ならない。
すでに私が、自分の言ってることを理解していることを見抜いている。
つか呼び捨てにすんな。
「……先ほど、理恵さんにあらかた聞きました」
「ならば話は早い。お前のことを話してもらうぞ」
そう言われてほいほい話していたんじゃ、こっちの手持ちのカードが丸わかりだ。
私が口を噤むと、兄は畳みかけてくる。
「お前、迷い人だな?」