お酒とメイド
東国の人は何かに困って異世界から人を召喚した。
社長は眩しくてブレーキを踏み損ねた。
私は疲れてて交差点の信号を見忘れた。
みんな自分の都合で、運の悪いことが重なっただけだ。
でもこの中で一番割りを食ったのは、私であることは否めないと思う。
だって必要だから召喚されたわけでもなく、要は不注意で車に轢かれそうになった(ぶつかる直前にこちらの世界に飛ばされたらしい)だけの私には何の罪もないことだ。信号見てなかったけどね!
あの交差点を歩いていたことが悪いと言われたらそれは理不尽というやつだ。絶対認めないよ!
「もっと酒もってこーいっ!」
私付きだという栗毛の可愛いメイドさんに空になったグラスを向けると、クリスティーナというやっぱり可愛い名前のメイドさんは何やら困ったように、でも私に逆らうことはせず、次のお酒を持ってくるのか部屋を出て行った。
異世界だというのに唯一助かったのは言葉が通じることだ。
それはあの黒マントの言う通りだと思うことにする。
あの黒マントは薄情だったけど。
私があの社長に言われて用意されたのは、ベッドと机といすだけがある六畳ほどの部屋だ。トイレは陶器製の水洗で、部屋についてて清潔だった。得体のしれない人間にこの待遇はまだ良い方だろう。洋食だったが一汁一菜 (パンだったけど) の夕食が出たし、食後にはこうしてお酒も飲ませてもらえた。
ここのお酒がまた美味しいんだなこれが。
気に入ったのは甘い果実を使ったらしい風味の甘いお酒。
淡いピンク色の透明なお酒は気分をほぐすのに持ってこいだった。飲みやすいがアルコール度数も高そうだし。
嫌な考えは忘れてしまうに限る。
これからのことは、明日考えよう。
どのみち、もう私は元の世界に帰れないらしいから。
たぶん探せば方法はあると思う。
社長の言う事が全てなんて思えない。派遣社員、馬鹿にするしね。
帰ったら百年後でうらしま太郎とかシャレにならないけど、きっと私があの時間に戻ったら、無人になっても勢いだけはついてる車に轢かれて想像できる範囲でも良いことは起こらない。
だったらせめて私は戻れないけど元気にしてるとこちらの世界から伝えられる方法を探そう。
……あーあ、あのビール、ぬるくてももっと大事に飲めば良かった。夕食前に一気飲みしちゃったよ。
ふ、と視界が霞んだと思ったら、控え目なノックが鳴った。
クリスティーナさんかな。まだ十代だというのに(聞き出した)マナーが行き届いているものだ。
「はい。どちらさまでしょう?」
言葉に反して格好が椅子にだらんと座ってるだけなのは勘弁してほしい。だって誰も見てないし。
「セージ閣下がお見えです」
来客にはメイドのクリスさんがお声をかけてくださるらしい。
おっと元凶のお越しか。
私はのっそり体を起こして椅子にきちんと座りなおしてから「どうぞ」と声をかけた。
するとクリスさんがゆっくりとドアを開いて、社長が男を伴って入ってくる。社長は昼間のスーツと打って変わって黒基調の詰襟服の装いになっていた。マント羽織れば舞台役者ですね。