名前と交渉
今度は彼女の方が驚いた顔で、私を見た。
そうなんでしょうね…。
どうやら、私はネロという人とよく似ているらしい。
でも自分と同じ顔がいるなんて。そんな厄介なもの同じ魂だけで十分だ。
「あの、私ヨウコって言います。あなたは?」
できるだけにこやかに訴えてみた。鎖で繋がれてる状況なんて慣れはしないが、笑顔は交渉の第一歩!
けれど、
「ヨウコ……」
日本人顔美人は眉根を寄せた。
あれ? 交渉失敗?
「戻ったのね……記憶が…」
―――ん?
記憶?
記憶ならばっちりと…あるとも言えないか。人間の脳みそなんて豆腐みたいなもんだ。
不思議そうな私の顔を憐憫を込めて美人は見つめたかと思うと、彼女は意を決したように口を開く。
「あなたの本当の名前は、ヨウコというのね…」
牢屋の暗がりだけど、彼女の黒い瞳はやっぱり私のそれと似ている。
そして、ヨウコと呟く発音がとても奇麗だった。
東国に居た時は漢字があったから、漢字はみんな理解してくれたけど発音が微妙なんだよね。ただ一人だけ、私と一番近いっていう男だけは妙に奇麗な発音だったんだけど。……完璧人間って自分が何もできない時に思いだすとこんなに腹立つものなんだ。
「私は、リーエ」
そう名乗ってから、黒髪の美女はためらうように言葉を切ったけれど、言い直すように続けた。
「……本当の名前は、尾田理恵。たぶん、あなたと同じ、日本人」
日本人。
そう言われて、彼女は社長よりも私に近い気がした。女性だからというわけではなく、きっと、彼女は私と近い。
「私は、あなたのお世話をしているメイドです」
けれど、見た目は私と同じ年ぐらいだというのに、彼女はずっと大人びた、もっと老成した目をしている。
「そして、あなたのお世話をお命じになったのは、西国王、アウトロッソ陛下です」
誰、それ。
私の疑問が顔に出ていたのだろう。リーエこと理恵さんは事情を察してくれたように頷いた。
「あなたをこの城へ連れ帰った方です。……覚えておられないでしょうか。赤い長い髪の、黄土色の瞳の方です」
鮮烈に、私は思いだした。
赤い、紅い、血のような髪の、狂暴で横暴な。
あいつが。
私は自分の目の前は真っ赤に染まるような心地がした。
右も左もわからないほど、血だけが沸騰する。
「勘違いはしないで」
私の様子がおかしいことに気がついたんだろう。けれど、彼女は見当違いのことを私に諭した。
「あの方は、あなたを始めからここに閉じ込めたりはなさらなかった。それどころか、あなたを客人として招いて、私にあなたをお任せになったの」
……そういや、私ってば鎖に繋がれたまんまなんだった。うっかり忘れてた。私が健康ってことはやっぱり、ちゃんと管理しててくれたんだろう。
ここは人としてお礼を言っておこう。
「ありがとうございます。私、結構な日数、意識なかったんですよね? お世話してくださって…」
「いえ。あなたは一か月前、この城へ来てすぐ元気になられました」
一か月。
「……あの、私、その間の記憶がまったく無いんですが…」
つーか、さっきから気になる単語が出てくるな。城ってなんだ。城って! 城は鬼門なんだけど!
「はい……」
理恵さんは鎮痛な顔で目を少し伏せて、苦しげに顔を上げた。
「あなたは、ネロという女性になっていました」
はい?