鉄格子と外国語
幸い片腕だけが鎖に繋がれているので、マントを引き寄せることに不自由はなかった。
不自由といえば、この状態全部が不自由なんだけど。
やけに肌寒いと思ったら、私の格好は驚いたことに上等そうなドレスだ。肩ひものない真っ赤なドレス。着てるの私だけど誰が選んだんだこれ。装飾品どころか靴もない。でも、カンだけど、顔の妙なベタつきとかから、元は完璧な正装ってやつを施されていたんだと思う。カンですがね!
頭から水かぶりたい。
まぁ、それはカビくさい牢屋に居るからなんだけど。
ああ、お風呂が恋しい。
不思議とお腹は減っていない。
それに、私は大して痩せたりもしていないようだった。むしろ健康そうだ。
私の記憶は、あの戦場からふっつりと途切れている。
意識のない人間に食べさせるなんて、点滴ぐらいしか思い浮かばない。
けれど、私にそんな針の跡なんかは全く見当たらなかった。
あの戦場。
あの匂い。
あの痛み。
私はふと気が付いて、自分の腕を見た。
火傷がない。
私はあの場ではほとんど痛みなんて感じなかったけれど、それはアドレナリンなんかのせいで、ひどい火傷をしていたはずだ。
それが、包帯どころか跡一つない、奇麗なものだ。
いったい、今はいつなんだ。
異世界に来てからの経験上、傷が一瞬で治るような術はない。しかも現代医学のような機器を使うわけでもない、薬草に頼る治療だ。いつか襲ってきたのみたいに魔法使いが居たのかもしれないけれど、それを私にかけてくれる知り合いなんか一人もいなかったはずだ。
そう、一人も。
私の、この世界に来て初めての家族は、みんな、妖精になって私を置いていってしまった。
あの、赤髪の騎士によって。
彼に言われるまでもなく、本当は、分かっていた。
炎で焼かれていく彼女たち。
私に、あのアザがないことで、泣きついた彼女。
妖精に変わった瞬間、彼女たちが、すでに彼女たちではなかったことを、私は分かっていた。
それでも。
それでも、目の前で剣をふるったあの男を、私は憎まずにはいられなかった。
それが、私の甘えと、誤魔化しと、恐怖からの当てつけだということも、知っている。
ああ、まずい。
心が折れる。
「ネロ!」
ひたすらマントを睨んでいた私の瞳がにじんできたところで、女性の声が牢屋に響いた。
甲高い足音と共に、鉄格子越しに現われたのは、黒髪の女性だった。
私は思わず息を呑んだ。
「ヴァベーネ!?」
大丈夫、と血相変えて問われたのだ。
驚いたのは、彼女の口から西国の母国語が飛び出してきたことじゃなかった。
黒髪の彼女が、明らかに私の見慣れた顔つきだったからだ。
日本人。
アジア人は確かに似通ってるけど、彼女は、私にとってとても馴染みのある顔つきだった。
けれど、私が問いかけるよりも彼女の方が早かった。
いつかクリスさんが着ていたような裾丈の長いお仕着せのメイド服を振り乱すように、彼女は鉄格子の前で膝まづく。
「ああ、ネロ、大丈夫? 怪我はない?」
また不思議なことに、私は西国語を聞きとれる。
確かにあの騎士たちに習っていたけれど、私はいつも落第点すれすれだった。
なのに、今、彼女が話している西国語がまるで日本語みたいに理解できる。
「ごめんなさい」
うつむいている私の様子が泣いているとでも思ったのか、日本人顔の女性は自分の方が泣きそうな顔で呟いた。
「ごめんなさい。ネロ……こんなことになるなんて……私がついていながら…」
奇麗な人だ。同じ日本人とは思えないほどの、そのくせ細面の美人だ。そんな彼女がさめざめと泣くのだから、私は完全に泣く機会を失ってしまった。だって、こんな美人と誰が私と並んで泣いて欲しいもんか。
というわけで、私の涙は引っ込みました。ごめんね! アンジェさん! こんなところで泣いていいのは美人だけなんです。
「きっと、陛下が助けてくれるわ。陛下を信じて」
私の知ってる陛下は、一人しかいない。けれど、西国と東国は仲が悪いはずだ。もしもここが西国なら、私を救ってくれる人などいない。
けれど、今のところ好意的な彼女に尋ねるのが一番だろう。
でもさー、異世界に来てこの間抜けな質問するの二回目だよ。
「あのー、ここってどこですか?」
どっかに幸運落ちてないかな。