にわか生徒の一日目(後)
いっそのことこのまま雲隠れしてやろうかと思ったけれど、アンジェさんとセレットさんに連れられて、結局ドエス教師の部屋へと出向くことになった。彼女たちいわく、今逃げても、すぐにまた呼び出されるから早い方がいいと。おっしゃるとおりです。でも、逃げたくなるのは人のサガってやつだ。
ドエス教師の私室は教室と同じ二階の角部屋だった。自分の部屋が二階だったら嫌だな。
「何、また呼び出されたの?」
ノックする前に向かいの部屋から出てきてセレットさんに声をかけてきたのは、色彩豊かな美形だった。緩やかなウェーブの髪は黄緑で、着ているチャリムは紫色。何で補色なんか着てるんだよ。眩しい。でもけばけばしい印象が薄いのは、腐っても美形だからだ。まつげなんか私より断然長いんじゃないか。しかも私より背が高い。
「違うわ。呼びだされたのはこの子」
セレットさんは私に目を向けるので、美形もつられるように私を見てくる。
「誰だい、このネズミちゃん」
と、にっこり美形。
寒い。冬じゃないのに寒いよ! ネズミちゃんってなんだネズミって! そりゃ地味なんだけど、断じてチビじゃない。アンタと目線近いわこのやろう!
「新しく入ったヨウコよ。ヨウコ、この人はマナーの先生のヨアヒム先生」
マナーとな。紹介された派手美形、ヨアヒム先生はさっきのドエス教師とは比べもののにならないほど友好的に微笑んで私に手を差し出してきた。
「よろしくね。ヨウコ。ボクの教室に興味があるなら歓迎するよ」
この人の外面の垢を煎じてドエス教師に呑ませたい。
握手に応じながら、私は日本人の得意技である曖昧な愛想笑いを返しておいた。
そんな寸劇の合間を縫うように、ノックをし損ねていたドアから逆ノックが響く。
「バーリムが呼んでるね。何をやったかは知らないけど、何も考えずに謝ることをおススメしておくよ」
派手美形は優雅に手の平を返し、去っていってしまった。かよわい乙女を助けろよ。
私は渋々鬼畜教師のドアをノックした。「どうぞ」という声を待ってドアノブをひねる。
滑りの悪い蝶つがいの音を聞きながら、部屋を眺めて絶句した。
その部屋は、巣だった。
目に入る限り、本と標本と使い方のわからない器具が所せましと詰め込まれている。洞窟のように刳り抜かれた奥に窓が見え、辛うじて人の入れる空間がある。
その僅かな空間に詰め込んだ書斎机と椅子に、部屋の主が待っていた。
「いったい何処で寝てるんですか? ごめんなさい」
思わず疑問を口にして、それから忠告を思い出したので付けたした。
私の奇妙な挨拶に、さしものドエス教師も片眉を上げたが特にとがめはしなかった。
「隣の部屋で寝ていますよ」
ですよね。この部屋で寝たら窒息は必至だ。
「研究中はここで寝泊まりすることもありますが」
地震と火事と病気 (アレルギーとかなりそう) が恐ろしい部屋で一日の大半過ごすとは恐れ入る。
「相変わらずだねぇ」
私と一緒に部屋へ入った美女二人も呆れ顔だ。
美形は奇麗で美しい部屋に住んでるという偏見は捨てることにします。
「また本を増やしたね? スクリームにどやされるよ。床が抜けるって」
確かに抜けそうだ。というかスクリームって…。絶叫さん…?
アンジェさんの指摘にもドエス教師は肩をすくめてみせただけった。このドエスが驚くこととかあるのか。
「これでも必要最低限のものを持ちこんでいるだけですよ」
この本でドミノ倒ししたらこの学校みたいに広い屋敷を二周ぐらいできるんじゃないかな。一度やってみたいものだ。
「ところで」
つらつらとくだらないことを考えていた私にドエスの目が向けられた。おっと。
「あなたは、薬草に詳しいようですね」
おいおい。私はどこの誰とか興味ないのか。ないと言われればそれまでなんだけど。私も自己紹介なんかする気がなかったので不承不承応える。
「簡単に習ったことがありまして」
「それは面白い」
どこが。ドエス教師はそのあとも私の名前なんか全然聞かずに、さっきの講義に出てきた薬草についてあーだこーだと議論に及んだ。確かにさー魔女に学説がどうのって聞かされてたけど、そんなもん知るか。調合するときにはちょっと強い効能の草使う方が量が少なくて済むから安くつくってぐらいだ。一概にはいえないけど薬の量が多くなれば副作用も増えるっていうんで、簡単な胃薬作るにはそっちの薬草がいいとか。
挙句には標本まで取り出して、うんぬんまで発展した。このドエス、薬草オタクだったのか。けれど、そんな研究者ににわか生徒の私が敵うはずもなく、最後の方はオタクの講義を延々と聞かされた。
アンジェさんとセレットさんは暇なので教師の部屋があんまりにも酷いんで片付けをやってくれてました。ごめんなさい。というか一週間放置しただけでこのありさまって酷過ぎないか。どんだけ片付け下手なんだよ。
オタク談義が終わる頃には日もすっかり傾いていて、「もうこんな時間ですか」とドエスが止めてくれたんで私はぐったりと椅子でうなだれた。立ってられるか。こっちは病み上がりなんだぞ。変な知識植えこんでくれた俊藍と魔女を思わず恨んだ。
「すまないね。病み上がりなのに」
アンジェさんがオタクの代わりに謝るので、私は無理して苦笑した。アンジェさんが止めなかったということは、そんなに長い時間でもなかったのかな。……少なくとも二時間は経ってると思うけど。
「付き合ってもらってごめんなさい。まぁ面白かったし」
「それは良かった」
あんたに言ってないよ。
ドエス教師は疲れの見えない顔でにっこり笑うと、分厚い本を私に押し付けてきた。
「……これは?」
「今度の講義は一週間後です」
来いと。あんたの勉強会に。
押しに弱い国から来た私は、押し付けられるまま、枕にしたらさぞ頭がよくなりそうな分厚い本を受け取った。
今日はよく眠れそうだ。
思わずこめかみを押さえると、セレットさんが心配そうに私をうかがってくれた。
「気分が悪いの? そりゃそうよね、こんな部屋に居たんだもの」
「ひどい言い草ですね」
ひどいのはあんたの部屋だろう。
結局私は、美女となぜかドエス教師について一階にあるという保健室へと向かうことになった。保健室なんて、いよいよ学校だな。
そろそろ夕食の準備の時間なのか、一階に降りると人の通りが多い。
一階には大浴場も備えてあるということで、行き交う女の子たちはきゃあきゃあと開放感に包まれている。それにしても、ここには女の子しか住んでいないのだろうか。先生と言った役割で紹介されたのはいずれも男ばかりだ。
保健室の手前にあるという浴場の前で二人組の男が居ると思ったら、ドエス先生が片手を上げて挨拶した。大男と何故か縄ですまきにされているやたらと奇麗な顔の男だ。
すらりとした美形なんだけど、のっそりと熊みたいに鋭い視線を上げたのは焦げ茶の髪の大男だ。私より頭二つ分は大きいんじゃないかな。
「やぁやぁ、子猫ちゃん! どこから迷い込んできたのかな!」
言ったのは熊美形じゃない。すまきにされてるピンク頭の美形だ。妖艶な、と言い表せるような恵まれた顔形してるのに、口も頭も残念らしい。
そもそもどうして大浴場の前でこんな奇妙なことになっているんだ。
事情を知るはずの他の人々を見遣れば、みんな「またか」という憐れみとも呆れともつかない顔をしている。
そんな視線に気づいているのかいないのか。ピンク頭の美形はニコニコと続けた。口さえ開かなきゃどこかに飾っておきたい美形なのに。
「愛らしい君の声で、僕に君の名前を教えておくれよ。僕はそれだけで千の剣も万の槍にも耐えられる」
そりゃすごい。
見当違いな感心をしたところで、私の隣からひんやりと声が割り込んだ。
「おや、フリエル」
その艶やかで氷のような声で、ピンク頭は羽根より軽い口を止めた。口元を引き攣らせて、そのまま私の隣を見上げて呻く。
「……あ、アンジェ…」
バラ色の顔色が、みるみるうちに石膏像もかくやという青白さに変わった。
「あんたのお軽い頭によく分かるように私は言っているはずだね? 何度こんなことを繰り返せばいいんだって」
私は賢明にも、アンジェさんの顔を見なかった。えらいぞ私。
だって、目の前のピンク頭が凍死寸前の顔になってるし。とばっちりはごめんだ。
「風呂を覗くほど女に興味があるのなら、もう一度教えてあげようじゃないか。みっちりと」
「ち、違うんだアンジェ!」
ピンク頭はそのお軽い頭を賢明に振りしぼって弁明を始めた。女の子に狼藉を働こうというわけじゃなくて、一日の疲れが自分の焚いた風呂で十分に癒されているのか確かめるためであって、決して邪な考えじゃない。
まぁ、要は覗きたかったんだということだ。
放っておくと羽根のように軽い口が延々と回るので、彼の隣に居た熊美形がピンク頭に拳骨を落として終わりを見た。放置しておくと一時間はこのままなのだそうだ。……聞いちゃいけないんだろうけど、あんたアンジェさんにいったい何された。
鬼畜教師があとは任せろというので、私は美女たちに引率されて無事に保健室までたどり着いた。あのドエスにかかっても、あんまりあのピンク頭の運命が良くなるとは思えなかった。
「クーリガンいるー?」
セレットさんが呼びかけると、白いカーテンの奥から、怜悧な赤髪の美形だった。この屋敷は美形御殿なのか。細い印象だけど、彼も私より背が高い。
クーリガンと呼ばれた美形は何も言わないまま、目で「何か?」と問うている。喋れよ美形。
「あのね、この子気分が悪いらしいの」
セレットさんの説明もそこそこに、美形は私の前に来ると何も言わずに見た目よりも広い手を私の額に当てる。あ、冷たくて気持ちいい。
そう思ったのも束の間、赤毛の美形は薬棚へ向かって、小瓶を取り出してきた。そして私の前でインク瓶ぐらいの小さな瓶を少し開ける。
すると花の香りがふわりと立ち上る。
「いい匂い……」
緊張していたらしい頭の芯が少し和らぐ。
どこか嗅いだことのある花の香りだ。
「パランセクの香りだね」
アンジェさんが隣で微笑んだ。赤毛の美形は瓶の口を閉じると、そのまま私に手渡した。
「持っていけってさ」
笑ったアンジェさんとセレットさんを見て、赤毛の美形を見たら、彼も肯くので私は素直にお礼を言った。
すると、赤毛の美形は次に傍らのベッドを指さした。
何事だと思っていると、
「その香り嗅いで、ゆっくり寝ろって」
セレットさんが通訳してくれた。結局、保健室を出ていくまでかの美形は一言も発しないままだった。
よほど嫌われたのかと思ったら、スーリガンという保健室の主は常から一言も話さないらしい。
誰かに相談なんかされたらどうするんだ、保健室の先生。
私は食堂へ行くというセレットさんと保健室前で別れて、アンジェさんに連れられて部屋へ帰ることになった。私の部屋は、今朝寝起きしていたあの部屋になっているらしい。
四階まで階段をゆっくりと登って、アンジェさんの部屋を教えてもらってから、私は部屋に帰るとアンジェさんにベッドに寝かされた。
ベッドの脇にパランセクという香りを小皿に数滴垂らすと、部屋にふんわりと花の香りが広がった。
「ゆっくりとおやすみ。また明日があるんだから」
ベッドに寝かされて、優しく頭を撫でられているとまるで小さな子供になったようだ。
これからここで暮らすことになるとはいえ、うまくやっていけるだろうか。
けれども、この優しい手があれば、運の悪い私でもうまくやれそうな気がしてくるから不思議だ。
私は久し振りに不安のない幸せな気持ちで目を閉じた。




