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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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北の塔の魔術師

 玉座から、自分を見下ろす王に、ハイラントは初めて畏敬した。


 その冬の湖面に似た瞳が憎悪と怒りに燃えて、辺りを包みこむ威圧感は胃を圧迫するほどだ。


「―――なぜ、このような真似をした」


 低い声はハイラントを噛み砕くかのようだ。

 ハイラントは彼の前で膝をついたまま深くこうべを垂れた。


「東国のためを思ってのことでございます」


 社交辞令にも近い弁解を口にすると、頭を蹴りつけるような殺気が降り注いでくる。

 

 このような王だっただろうか。


 以前のヘイキリング王といえば、父王に似た容姿ではあったものの平凡な王だった。

 父世代から引き継いだ宰相や臣下の意見をよく聞き、民の声をよく聞き、そしてそれを踏まえた上で政治を為す。

 それだけの王だった。

 彼は第一王妃から生まれた紛れもない王位継承者だったが、神の落とし子という稀な出自で、口さがのない者から母親殺しや化け物扱いをされて育った。

 そんな彼がしごくまっとうに育ったのは、特別だとも言えるひとえに周囲の人間のお陰といえた。


 しかし、ハイラントはそんなヘイキリング王の背景には全くと言っていいほど興味はなかった。

 機能しているとはいえ、腐敗した政治中枢を担うには、ヘイキリング王の凡慮さでは足りない。


「お前は、見当違いをしているようだ」


 怒鳴るわけでもないのに、王の言葉はハイラントの耳に突き刺さる。

 これが、凡庸なヘイキリング王だろうか。


「国のために、民がいるわけではない。民のために国があるのだ」


 もっともらしい答えだ。

 民とは、国とは、という試験の問いに答えたならば、きっと満点をもらえることだろう。


 けれど、ハイラントはその採点をするためにここに居るわけではない。


「民を犠牲にして、何を得るのだ」


 応えよ、と言外に圧力をかけられ、ハイラントは望む答えを口にする。



「―――娘たちの屋敷に、ヨウコ・キミジマをお連れいたしました」



「知っている」



 王の低い声と同時に、衛兵が何かをハイラントの脇に放り投げた。

 視線だけを向けると、疲れきった様子の東の果ての魔女が座りこんでいた。


「この女が全て話した」


 王に侮蔑の視線を向けられたのか、魔女は顔をしかめて黙り込んだ。

 この魔女は、北国に帰りたいがためにハイラントの誘いに乗ったのだ。己の私利私欲に堕ちた魔女ほど醜いものはない。


「もう一度聞く。お前は、民を犠牲にして何を得るのだ」



 何も得ない。

 ハイラントに、得るものなど何もないのだ。



「失礼いたします!」



 駆け込んできた声に空気が揺れた。

 許しなく視線を上げると、兵装のクリスが王の脇で息を切らして膝をついていた。


 王は少しだけこちらに視線をやったが、すぐにクリスに続きを促した。



「本日未明、赤い戦乙女、全滅を確認いたしました!」



 ざわり、と衛兵と王と、ハイラントを含め十人もいない部屋がねじ曲がるような空気に包まれる。

  


「西の被害は甚大で、戦乙女たちの全滅を確認後撤退した模様!」



「―――生き残りは」



 淀むことなどあっていいはずがない王の問いかけに、クリスは一瞬、息を詰まらせた。



「……ありません」



「衛兵!」


 呆けていた兵を一喝し、すぐに王の指示に従った衛兵はハイラントの両脇を抱えて立たせた。


「北の塔へ入れておけ」



 北の塔とは、貴族が捕えられる永久に出ることはできない牢のことだ。


 王とはいえ、議会の承認もなしに貴族を処刑することはできない。そして、貴族の処刑自体が難しい。そのため、罪を犯した貴族のほとんどが北の塔へと投獄される。


 実質の極刑だ。


 ハイラントは逆らうことなく衛兵について牢へと入った。


 窓は明かりとりだけで、ベッドもトイレもついているがそれだけだ。普通の牢にはベッドなどないから特別な仕様といってもいい。

 ハイラントは魔術師だということもあり、ペンの類などは決して与えられず、かつ、自身を傷つける行為をすれば腕にはめられた腕輪が血を奪うという。そして牢の柵にも魔術封じが施されている特殊な牢屋に入れられた。


 大人しく牢へと入ったことに安心したのか、衛兵たちは牢を去っていく。

 ここにはハイラントの独房しかない。誰かに何かを頼むということすらできないのだ。


 ハイラントはゆっくりとベッドに腰かけて、薄明かりの先を見上げた。


 ハイラントには、この国に対する愛情は薄い。

 生まれた時から年の離れた兄に比較されて育ち、逃げるように留学した北国でその才を認められた。だから、本当の母国は北国だと思っているし、東国に帰って補佐を務めるよう命令されたときにも、どこか異国へと仕事へ赴くような心地だった。


 それでも、この生まれた国で自分を認めてくれた人のために働こうと思った。

 それだけだ。

 凡庸なヘイキリング王にも、ハイラントも関わった魔術でこちらの世界に呼び出されてしまったセイジ宰相にも、本当のところ然程の興味はない。

 全ては一人のためだけに、ハイラントは動いてきた。


 そんなハイラントを真っ直ぐ見詰めて、胡散臭いと評したのは、彼女が初めてだった。


 ヨウコ・キミジマ。


 セイジ宰相と同じ世界から本当に巻きこまれただけでこちらに来てしまった不幸な女性。

 美しくも賢くもない、背ばかり高いただの女性だ。

 だから、王や宰相がやたらと気にかけることが不思議で仕方がなかった。


 彼女が魔女に向かって拳を振り上げるまで。


 醜い魔女の顔を殴りつける寸前、彼女はその力を緩めた。

 だが、目測が甘いのかそのままでは魔女に彼女の拳がかすってしまう。


 だから、ハイラントはヨウコの意識を奪った。


 その拳が醜い魔女で汚れないように。


 不思議な感覚だった。

 理性で抑えきれないものがこの世にあるということが、不思議でならない。


 そして彼女に興味が沸いた。

 

 彼女は、賢いわけでも鋭いわけでもない世間知らずのくせに、人の心をよく盗み見る。

 それは本人が隠しておきたいものであるにも関わらず、その黒い瞳で容赦なく暴き立てるのだ。


 彼女が打算であれ、無意識であれ、頷いたなら、きっとハイラントは自領に彼女を連れ帰っていただろう。


 妻でも、友人でも理由は何でもいい。話をしてみたかったのかもしれない。



―――今となっては、悔恨にしかならないだろうが。



 薄明かりから視線を外して、ハイラントは牢屋から見える廊下の先を見つめた。


 自分の出番はどうやらここまでらしい。


(結局最後まで、あの方の思惑には触れることさえ叶わなかった)



 道化は退場し、ここからが本番になるのだ。

 

 役を降ろされたハイラントに出来るのは、冷たい牢屋の中でその行く末を想像するだけ。



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