マナーと草むしり
森で迷子事件から、幾日か経っても、私は何の変哲もない毎日を送っている。
変わったことと言えば、ハンナがたまに当番を手伝いにくるようになったこととか、セレットさんと前より仲良くなれた気がするとか。
「そうじゃない! こう、羽根がふわりと落ちるように、花びらがはらりと落ちるように!」
詩的な表現で誰もが分かると思うなよ。
今日は朝からヨアヒム先生のマナー講座だ。セレットさんについて入ってみたのはいいけれど、
「淑女は頭の先からつま先まで神経をとがらせるものですっ! 椅子に座れるようになるまで、はい!」
さっきから、慣れないドレススカートを着せられて椅子の立ち座りを繰り返している。スクワットだ。
もう一人のマナーの先生、セルジュワ先生は厳しいまなざしとは裏腹に一人ずつにアドバイスしているんだけど、私たちの目の前に立ってるヨアヒム先生は(本日はサファイアブルーのチャリム)自らもドレススカートに身を包み、淑女の手本みたいな立ち居振る舞いを披露してくれている。
彼が立ったり座ったりするだけで、緩やかなウェーブを描く髪がふんわりと揺れ、ついでにドレスもふんわりと揺れ、深窓のお嬢様もかくやという美しさだが、やってることは体育会系も真っ青なスパルタだ。
すでに足もガクガクだ。勘弁してほしい。
「裾をちゃんと捌いてみなさい。うまくできるから」
諦めかけたそばでセルジュワ先生は柔らかく言ってくれる。これで続けられているようなものだ。
それでも授業の終わりにはぐったりとなってしまう。
「大丈夫? ヨウコ」
同じスパルタ教育を受けているのにセレットさんは軽く疲れたほどの顔だ。
「このあと庭に草むしりの当番なんでしょ? 休む?」
ここまで当番は欠席なしだ。ここまで来れば、意地になっていた。
「行く」
私はセレットさんと、同じ当番に行くリアさんと一緒に昼御飯を食べて、屋敷の庭に出た。
あとは、物置から編み笠と軍手を出してきて、ひたすらぶちぶちやるだけだ。
屋敷の庭というのは、玄関ポーチに広がる広い庭のことだ。対象に置かれた木々が幾何学模様に広がっている。今の時期はちょうど草木が伸びる時期なので、この時期に雑草を抜いたり、枝を落としたりするんだってさ。
ちょうどリアさんと出たところで、枝切りばさみを持ったザイラスがぬっと庭に現われた。
「二人か」
「いや、あたしもだよ」
ザイラスの向こうからアンジェさんが笑って手を振る。
ザイラスはそちらに少し視線を向けてから、黙って庭の木へと行ってしまった。相変わらず無口な男だ。
「やっぱりいい男」
ふふっとリアさんは笑って、軍手をはめた。
「へぇ……リアさんはああいうのが趣味なんだ」
うるさいのも苦手だけど、無愛想のも扱いづらいんじゃないか。
「ほら、背中みてるだけでいいじゃない」
リアさんは否定もしないで、ザイラスの背中に目をやるから、つられて私も彼の後ろ姿を見る。
暗い色のチャリムがのっそりとした動きに合わせて静かに揺らめいて、チャリム越しにも分かるしなやかな筋肉の動きが確かに奇麗なのかもしれない。
リアさんはザイラスの背中が見える場所へと草むしり場所を移していくので、私は残ったアンジェさんと一緒にのんびりと雑草を抜くことにした。
「―――ここの生活は、楽しいかい?」
いつかヨルダさんに同じようなことを聞かれたな。
「楽しいですよ」
宿にも困らないし、殺されかけたけど殺されないし、料理は美味しいし、女の子はいっぱいだし、美形は変な人多いけど面白いし。理由をあげたらキリがないほどには、楽しい。
「そうかい」
アンジェさんは目を細めて微笑んだ。
「あんたが楽しければ、いいんだ」
まるで、慈しむような笑顔で私を見るから、私は少し不安になった。
その笑顔があまりにも奇麗で、まるで消えてしまうようにも見えたから。
その日、私の日常は何の変哲もなかった。
草むしりを終えて、リアさんがザイラスをからかうのをほどほどに止めて、彼と一緒に屋敷に戻ってから風呂場の前でザイラスがフリエルをふんじばって、他の女の子たちとお風呂に入って、美味しい晩御飯を食べて。
それから、バーリム先生とリカインド先生の課題をしながら、アンジェさんとセレットさんとリアさんとで、夜遅くまでとりとめないことを話して。
私はそんなことが、いつまでも続くと思っていた。
私は、本当に、愚か者だ。




