化粧落としと慣習
思い切り泣いて、酔いも手伝ったのか、セレットさんは食堂のテーブルで寝てしまった。
不可抗力とは言え、美女を泣かせてしまったので心が痛む。ごめんなさい。
クーリガン先生が彼女を部屋まで運んでくれるというので、彼にセレットさんをお姫様抱っこしてもらった。
いくら無表情お人形先生でもあの豊満な胸を背中全面で感じるなんて許さん。
「晩御飯、とっておいてあげるから」
食堂を出ていきかけたら、スクリームさんがカウンターから顔を出して手を振った。
思っていたよりも時間が経っていたらしい。
食堂から出ると、廊下は夕焼けで染まっていた。
クーリガン先生は無言で歩きだすので、私もついて行く。
「―――悪かったな」
一瞬、誰に話しかけられているのかわからなかった。
ほぼ一拍置いて、思い出す。
他に誰が居るんだよ! クーリガン先生に決まってるし!
危うく貴重な体験スルーするところだった。
「どうしてですか?」
幸い、クーリガン先生は私の不自然な間を気にしないでくれたらしい。
無表情だからわかんないけど。
「……君なら、セレットの気持ちが幾らか分かるかと思って、付き合わせた」
謝る理由が分からない。
不思議そうな私の顔色を読みとったのか、クーリガン先生は珍しく(それほど付き合いもないけれど)言葉を淀ませた。
「―――セレットと同じ境遇の君ならば、彼女の心を理解できると思った」
男には分からないからな、と付け加えられて、私は思わず口をぽかんと開けた。
「……えっと…え?」
セレットさんと同じ境遇。……ええっ!?
「私、子供産んだ経験はありません!」
うっかり叫んでから慌てて口を塞いだ。危ない。セレットさん起こすところだった。
クーリガン先生はまたも珍しいことに、動かないはずの表情筋が驚きを表している。
「……そうなのか」
肯定されたら返す言葉が見つからないじゃないか。
「いや、慣習で、女性は喪に服すとき、髪を切るものだからな……」
そういやここはイッツ異世界!
てか、喪に服してんのに旦那さん連れで旅してたら、お子さん亡くした可哀想な奥さんじゃないか! だから旅してる時、やたら親切にされたのか私……。いたたまれない…。
私の髪はまだ肩を越したぐらいだけど、そういや大抵の人は男女問わず肩より長いわ。うわぁ、常識非常識!
「だが、セレットがここまで泣くのは初めてだ」
クーリガン先生の静かな声にセレットさんの寝顔を覗きこむと、彼女はどこかすっきりした顔で眠っている。
結構、長いこと泣いてたもんね。
「……私、何か酷いことを言ったんでしょうか…?」
子供を亡くしたことも、ましてや産んだこともない私だ。恋愛経験値さえ無い私が彼女の心を理解できたとは思えない。ただ、本当に漠然と、辛いだろうと思っただけだ。
淋しいや悲しいだけでは、語りつくせないほどの喪失感。
それは、どんな痛みよりも辛いと。
「いいや。君のお陰だ」
目の錯覚でしょうかね。クーリガン先生が淡く微笑んだ気がします。
夕焼けのせいにしておこうかな。うん。
私たち、年長さんの個室は四階にある。
まぁ、見晴らしはいいんだけど、階段がねぇ。
三階、二階は乙女たちの部屋と勉強会の教室なんかがある。教師や庭師たちの部屋は二階から四階にまたがっている。ちなみに四階はフリエルとバーリム先生の私室がある。フリエルの真下の部屋にはザイラスさんの部屋。……配置についてはなんだか説得力があるよね。
そんな感じだから、そろそろ夕食にみんな降りてきたりするんで、私とクーリガン先生は一番北にある、食堂とは反対側のほとんど年長さんしか使わない階段をのぼってる。今更だけど、セレットさんのこんな稀有な姿、晒し者にするわけにもいかないし、クーリガン先生はあれで人気あるんだよねぇ。寡黙だから奥手な乙女に結構マジで憧れられてる。
セレットさんを先生一人に任せておくのは忍びないんですが、いかんせん私は階段のぼるだけで精一杯です。でも、細身に似合わず、クーリガン先生はセレットさん一人抱えても足元が全然ふらつかない。そういや、どうもここの美形たちは見た目の儚さ(ドぎついのもいるけれど)に似合わず、みんな頑丈そうだ。
まるで、あの俊藍を思い出させるような。
「ヨウコさん」
もうそろそろ四階につくというところで、女性が四階からこちらを覗いていた。
「セルジュワ先生」
濃紺の地味なチャリムの女性が微笑んで四階に迎えてくれる。濃い灰色の髪を奇麗に結った姿は傍目にはオールドミスっぽいけど、そんなことでは隠しきれません。きめの細かい象牙色の肌、長いまつげに縁取られたオレンジの瞳。ふっくらした唇に少し口紅を乗せているけれど、必要がないほど艶めいている。華やかさではなく、淑やかな美女だ。
この物静かな美女が、ヨアヒム先生と一緒にマナー教室を担当している、セルジュワ先生。
「よく寝ているわね」
セルジュワ先生はそっとセレットさんの寝顔を覗く。
もしかして、セルジュワ先生も彼女の事情を知っているのだろうか。
視線を投げると、先生は応えるように微笑んだ。
「さぁ、こちらへ」
セルジュワ先生に促されて、私たちはセレットさんの部屋へと向かう。
部屋の前には、アンジェさんが待ち構えていた。
クーリガン先生と私はアンジェさんとセルジュワ先生に導かれて、セレットさんの部屋へと入る。
そういえば、セレットさんの部屋に入るのは初めて。
造りは私の部屋と同じ。でもやっぱり生活している人が違うから部屋が違って見えた。
木目の優しい色合いの家具に、窓辺には薬草の鉢植え、それから小さな本棚には本がぎっしり詰まっているけれど、勉強机にはノートとペンとインクが置かれているだけ。必要なものは全て片づけられているけれど、リネンの香りが爽やかで、セレットさんの人柄がうかがえる。お色気満点なセレットさんからはちょっと想像ができないほど、優しい部屋だ。
私が物珍しげに部屋を眺めている間に、クーリガン先生はセレットさんをベッドへ寝かせると、さっさと部屋を出ていく。なんか感動的に、この人は一番まともだ。残ったセルジュワ先生とアンジェさんがセレットさんを寝かしつけるために掛け布団をめくったので、私もお手伝いに向かう。
「いい顔で寝てる」
そう笑ったのはアンジェさん。彼女が持ち出してきたのは化粧落としの油だ。美貌は損なわないけど、やっぱ落とさなきゃね。柔らかい布に油を染み込ませて、手早くセレットさんの化粧を落とす。すごいなぁ、布一枚で終わったよ。
私はセレットさんの素敵な靴を脱がせて、魅力的な足を掛け布団の下へと。
セルジュワ先生は箪笥からセレットさんの寝巻きを出してきている。
「ありがとうね。ヨウコ」
化粧を落とし終わったアンジェさんが私ににっこりと微笑む。
「あんただから、セレットは思い切り泣けたんだと思うよ」
美女のお役に立てて光栄です。でもね。
私は美女二人に自分の髪について延々と弁解することになりました。
申し訳ない。私に色っぽい事情は一切ございません。




