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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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食堂と過去

 食事の時間でもないから、食堂には誰もいないようだった。

 ここの食堂は広い。せいぜい五十人ぐらいが食べられればいいのにゆうに百人ぐらいは入れるほどある。ずらずらと並んでいる長い机も椅子も、一見質素に見えるけど、造りはしっかりしてるし肌ざわりもいい。旅をしてきた経験からすると結構良い値打ちのものだ。

 思えば、この屋敷の家具は全てにおいて安いものじゃない。

 いったい、何をしようとしてるんだろ。まさかあの有害銀髪がこれだけ金かけて奉仕活動なんてやってるとは思えないし、あの冷血漢にハーレム作ろうなんて情熱があるとは思えない。

 もやもやするわぁ。脳ミソ無駄に使わせるなんて、とんだ有害!


「すみませーん。お茶もらえませんかー?」


 食堂に入ってすぐの調理場に向かって声を上げると「はーい」と声が返ってくる。

 もちろん三度の飯の当番もあるけど、この当番は人気が高い。

 何故なら、


「今からお湯を沸かしているから、ちょっと待っててくれる?」


 ここにも美形が住んでいるから。

 調理場の奥からカウンターに顔を出してにっこり微笑んだのは、宗教画にでも居そうな天使のような金髪美形。腰までありそうな金糸のような髪を緩く三つ編みにしている姿は、フリエルと互角の艶やかさを誇るけど、思わず懺悔したくなる清廉潔白そうな雰囲気がある。でもチャリムの上に身につけているのは、可愛いフリルのついた新妻エプロン。

 似合う。ええ、似あう!

 これで美味しいご飯を毎日作ってくれるんだから、女であれば嫁に欲しいと思うよ。……あれ、違う?


「今日は良い茶葉の封を切ったんだ。運がいいね」


 ふんわり微笑む碧眼の美形さま。

 料理が出来て、優しくて美形。完璧すぎて穿った見方しか出来ない私にはちょっと眩しい。


「はぁ、ありがとうございます。スクリームさん」


……この天使美形が、なぜこの名前なのか。私も聞いた自分の耳を疑いました。ええ。まぁ、別の悲鳴なら毎日上げさせていると思うけれど。


「今日の当番は終わったの?」


 スクリームさんはカウンターからこちらを覗いて、のんびりと天板に腕を置いた。


「はい」


「ヨウコさんは頑張り屋さんだね」


「……いえ、そういうわけでもないんですが…」


 恥ずかしながら、生まれてこのかた、私は趣味というものを持ったことがない。だから、自由に過ごしていいと言われると大変困る。暇してるとお姉さん達に取っ捕まって着せ替え人形だしね。

 キラキラした笑顔が眩しいです。 

 それにしても、私がここの料理のお手伝いに入ったのは過去一度か二度だ。他は当番を代わってくれるというので(むしろ代われと言われる)スクリームさんと話す機会はほとんど無かったはずだ。


「すごいですね。スクリームさん、ちゃんと人の名前覚えられるなんて」


 私なんてうっかりすると自分でつけた脳内あだ名(歩く十八禁とか有害銀髪とか)が一人歩きして名前を忘れそうになる。元々、人の名前と顔を一致させるのは苦手だ。


「この前、歓迎会をやったばかりだよ? ちゃんと覚えているよ」


 美形に苦笑されるとドキドキするっていうのは本当だ。何か悪いことをしたのかと思ってしまう。


「でも勿体無いなぁ。この間みたいに奇麗な格好すればいいのに」


 いえいえ、あれには三時間以上を費やしているのでおいそれとは出来かねます。


「食事の時間ぐらいはお洒落してきてくれてもいいんだよ?」


 にっこり笑ってスクリームさん。


「あの長くて白い足、チャリムの裾から覗くと奇麗だったから」


 謹んで訂正しよう。

 やっぱり、美形は黙っているのが一番だ。


 スクリームさんの発言にげんなりきたところで、お湯がちょうど沸いた。何事もなかったかのように(スクリームさんにとってはなんてことないんだろう)エセ天使美形が持ってきてくれたお盆に乗っていたのは、急須と小振りの茶器が三つ。


「悪いんだけど、あそこの二人にもお茶あげてくれない?」


 白魚のような指がさしたのは、食堂の一番奥。よく見ればちんまり二人が座っている。

 私はお盆を受け取って近づいてみて、ちょっと目をむいた。

 彼らの周りには、机に椅子に、足元に、お酒と思しき匂いを放つビン、ビン、ビン。

 驚いたことにそのほとんどが既に空だ。


 私に気付いたのは、赤い髪の男の方だった。彼もこの屋敷に居るから、当然のように美形だ。炎のように明るい赤毛は癖もなくすんなりとしていて、流れる髪を首の後ろでまとめられている。けれど、髪の色とは違って切れ長の瞳は静かな深い藍色。着ているチャリムも暗い灰色で、髪以外はまるで影のようにも見える。整った顔には感情があまり出ないうえ、彼の声は滅多に聞かない。だから、黙って座っていると人形のようにも見えた。

 彼は私を見とめると、ふいと顎をしゃくって隣を指す。


「―――いったい、どうしたんですか。セレットさん」


 肩でばっさりと切られた明るい紫の髪が、テーブルの上で突っ伏している。その白い指先にはお酒の入ったグラスが。

 彼女は私の声に起きたのか、しどけなく体を起こすとチャリムの前があられもなく開いていて白い谷間が剥き出しになっている。うおおお! 見るな! 赤毛!

 うろたえる私に反して、赤毛の美形は特に気にした様子もない。


「やっほー、ヨーコちゃぁん」


 セレットさんもご機嫌で笑ってくれる。相当飲んでいるらしい。いつも余裕のある美女っぷりからは想像できない上気したお顔だ。


「ねぇ、聞いてよ。この堅物保健医、もう飲むなって言うのよぉ。あ、ちょっと、クーリガン!」


 堅物と評された赤毛の保健医は、セレットさんを無視して彼女の持っていたグラスを素早く奪ったのだ。


「ヨウコ、茶を入れてくれ」


 喋ったよこの人。案外透るいい声してる。

 このクーリガン先生は、白衣は着てないけどここの医者をしている。保健室から滅多に出てこないから、こういう組み合わせも珍しい。


 素直に頷いて、セレットさん達と向かい合わせに座ってお茶を入れる。

 湯気に乗って、花の甘い香りが漂ってきた。

 お茶を出す頃には、セレットさんの文句も収まって私から大人しく湯呑を受け取る。

 クーリガン先生にも差し出したら、無表情だけど「ありがとう」と返された。人嫌いって聞いてたけど、案外常識はあるんだな。

 自分の湯呑にもお茶を入れて、一口飲む。ああ、美味しい。ムカつくことも面倒臭いことも忘れそう。


「ヨウコが笑うと、なんだか嬉しいわ」


 そう言って微笑むセレットさんの笑顔も穏やかだ。

 顔は赤いままだから、まだ酔っているんだろう。まぁ、これだけ飲んで酔わないっていうのも悲惨だ。

 何か忘れたくても、酔った勢いで誤魔化せない。


「どうしたんですか? 珍しい」


 保健室以外に居るクーリガン先生も珍しいけど、こうやって泥酔しているセレットさんも珍しい。彼女は、大酒飲みというよりも、お酒を楽しく飲む方が好きな派だ。何でもいいから酒をかっくらう私とは違って、よくお酒の席でこれこれのお酒はね、と由来だって聞かせてくれる。


 セレットさんは、飲み終えた湯呑の口を指先で辿って、頬杖をついた。


「今日はね、特別なの」


 物憂げな視線は色っぽいんだけど、その瞳は空っぽだった。

 私はかける言葉がなくて、じっとセレットさんを見つめた、



「今日はね、私の子供が死んだ日なの」



 形のいい唇は、何かを手繰り寄せるように続ける。


「流行り病だったわ。この世に生まれてたった一年。一年だけで来世に行っちゃった」


 子供を持った経験はない。その上、人の死すら、私には遠かった。―――この世界に来るまでは。

 セレットさんは、まるで自嘲するような笑みを唇に乗せて、目を細める。


「元々、私とは縁が薄かったんでしょうねぇ。きっと、間違えて、私のところに産まれてきちゃったんだわ」


「そんな…っ!」


 そんなことはない。そんなことを言うつもりか。私は息を詰まらせた。


「せっかく、頑張って生まれてきたのに、私のところに生まれたばっかりに、たった一年しか生きられなかった」


 きっと、誰が悪いわけじゃない。

 けれど、自分を責めずにはいられない。


 その子の分まで生きて、と言えるだろうか。


 無責任な言葉だ。自分が、子供の命を奪ったと責めているのに。

 二度と会えない場所に残されるというのは、身を引き裂かれるほどの痛みなのに。


「……辛かったですね」


 思わず零した私の言葉で、セレットさんは思い出から立ち返るように、私を見た。

 そして、私をじっと見つめたかと思うと、まなじりにいっぱいの涙を浮かべた。


 いくら大人びていても、彼女は、まだ二十歳なのだ。


 子供のようにわんわんと泣き出した彼女の紫の髪を撫でながら、私はアンジェさんの言葉とあの有害銀髪の言葉を思い出していた。


 ここは、帰りたい場所に帰るための、行きたい場所へ行くための、魂を安める場所。


 この、悲鳴のように泣く彼女たちを、いったい何処へ導くというのだろう。


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