風呂とピンク
食堂で熱いお茶でももらおう。昼酒もいいけど、趣味じゃない。
私は川で手を洗ってから、屋敷に戻って、廊下をぽてぽて歩きながら大きく伸びをした。腰がバキバキ悲鳴あげてる。断じて年のせいじゃないと思いたい。
屋敷の一階に私室はない。あるのは食堂と風呂と広いエントランスと客間だけ。もっとも、客なんて有害銀髪と行商のおっちゃんだけだ。だから、普段、使われているのは食堂と風呂だけ。
けど、広い屋敷だから廊下は無駄に長いんだ。
「ちょっと」
だから廊下で呼びとめられると、ちょっとうんざりする。食堂に辿りつかないじゃない。
廊下には私の他に誰もいない。甲高い声に渋々振り返ると、三人ほどの奇麗なチャリムドレスの女の子たちが一様に私を睨んでいた。この子たちは初めて見る顔だ。同じところに住んでるけど、結構違う生活してるから意外と会わないもんだよね。
「アナタね。最近入った、ハイラント様に気に入られているっていう新入りは」
三人の真ん中に立つ、濃い水色の髪の女の子が気の強そうな目をさらに釣り上げていた。子猫っていうのはこういう子のことを言うんだよ。
「新入りですが、ハイラント様に気に入られているわけじゃありません」
つーか、どこの誰が気に入ってる相手に「逃がさないから嫁になれ」とか言うんだ。……あれ、セリフだけだと物凄い告白に聞こえるからすごく不愉快。
あんまり心外なので顔を思わず歪めたら、女の子達はそれが気に入らないのか余計に眉を跳ね上げる。
「だったらどうして、ヨアヒム様達に気に入られているのよ! アナタみたいな背ばっかり高くて平凡で可愛くない年増女なんて、目障りなだけなのよ!」
うんまぁ、その通りだと思うよ。確かに彼女たちと視線の高さはだいぶ違うし。頭一つ分ぐらいは違うんじゃないかな。というか自分の信者ぐらい適当に管理しとけよな美形共め。
まぁ、これぐらいの嫉妬、可愛いもんだ。
「うん、わかった。ヨアヒム様たちには、これから気をつけて近寄らないようにするね」
迷惑してるのはこっちだからな。あのクジャクは分かりやすいから避けやすい。
「馬鹿にしているの!」
珍しく素直な私の発言だったというのに、火に油だったらしい。女の子たちはとうとう顔を真っ赤にしている。可愛いわぁ。
「どうしたの?」
なごんでいたのも束の間、三人の後ろからぬっと出てきた顔を見て私はうんざりした。
「こんなところで、麗しいレディ達が何の素敵な会議かな? 良ければ僕も混ぜてくれないかな」
現れた男は煤汚れたチャリムであるにも関わらず、まるでお伽話の王子様のようにきらびやかに微笑んだ。
男には、決して使いたくないんだけど、この男には使わざるをえまい。
彼を一言で表現するのならば、妖艶。
長身は言わずもがな。肩までの滑らかな髪はなんと淡いピンク。瞳はプラチナのような灰色。女が嫉妬する白い肌は美しいが、整った顔の眉は案外きりりとしていて女には見えない。骨格はしっかりしていて男性的な美しさが醸し出されていて、薄い唇が微笑むと艶やかに人を魅了する。
案の定、彼の無駄な色気に当てられたのか、女の子たちの顔は失神しないか心配するほど真っ赤だ。
「愛らしいレディが声を荒げてどうしたの? 僕でよければ君の繊細な心を痛めている棘を取り除いてあげるよ」
にっこり彼が微笑むと、女の子たちは悲鳴のように叫んだ。そうでもしなけりゃ、話せないからだろう。
「ふ、フリエル様のお手を煩わせるようなことではありませんわ!」
失礼いたします! と走り去っていった彼女たちは賢明だ。
間抜けな私はついていくことも出来ず、この馬鹿みたいな美形の前に取り残されてしまったのだから。
元凶の美形はと言えば、のんびりと彼女たちを見送って、
「どうしたのかな。トイレかな?」
口を開くと残念なのは、どこの美形でも同じらしい。
そう、このフリエルも同じだ。
誰が美形の口からご不浄の名前が出てくると思うだろうか。アイドルはトイレ行かないんだぞ。
「じゃ、まぁ失礼します」
三十六計逃げるにしかず。
しかし、私は戦略的撤退に失敗したらしい。
「待ってよ。麗しの乙女。見たところ、疲れているみたいだね。せっかくだから、お風呂にでも入っていかない?」
つつっと距離を詰められて、妖しく微笑むピンク頭。
「僕が心をこめて、ご奉仕してあげるよ?」
「せっかくですが、ご遠慮させていただきます」
何を隠そう、このフリエルの担当は風呂たき。
箸より重たいものを持ったこともなさそうな美形が風呂窯に薪をくべて「お湯加減いかがですか~」なんてやってるんだから笑える。笑えるのだが、彼はあんまり笑えない理由でこの風呂たきを担当している。
この残念美形、フリエルは、髪の色もピンクなら、頭の中身もピンク色なのだ。
ゆえに、お姉さん達からは毛虫の如く嫌われていて、風呂の時間はバーリム先生かザイラスが彼をふんじばるのが日常の光景となっている。
「何を怯えているのかな。君の小鳥のような心臓を僕が癒してあげるよ。その美しい身も心も」
きっと、社長と俊藍が聞いたら爆笑するだろうな。このセリフ。
特に社長は、私の心臓には毛が生えていると信じているだろうから。
それに私はこの残念美形を撃退する絶対の呪文を知っている。
「あ、アンジェさん」
「え? あ、アンジェ! これはその誤解だよ! 彼女が疲れているみたいだから早めにお風呂に入るか尋ねていたところであって、断じてあわよくばアンアン言わせて、じゃなくて不純異性交遊をしようとしていたわけじゃなくて…」
憐れなほど青ざめたフリエルは私の方を向いたまま、私が指さした誰もいない廊下に向かって延々と弁解を始めた。
その昔、フリエルはアンジェさんに手酷くやられたらしい。何を何かは聞かなかったけれど。……たぶん、聞かなくて正解だったと思う。
私は不幸なフリエルを廊下に置いて、食堂へ足を向ける。
あの弁解は一度始めると一人で一時間はやっている。……ほんと、何があったんだ。