お屋敷と洗濯
「ねぇねぇ。ヨーコ。これもお願い」
柔らかな金髪の女の子に私はどっさりと洗濯物の入ったカゴを渡された。
「いいですよ」
愛想もなく受け取って、淡いピンクのチャリムをひるがえしていそいそと屋敷の方へ帰っていく娘っ子の後ろ姿をぼんやりと眺めた。
平和だわ。
異世界に落とされてから二ヶ月ぐらいにはなると思うけど、ここの生活はかつてないほど平和だ。
殺されかけたり、襲われかけたりしない生活って素敵。
……ほんの二ヶ月前の私は、火打ち石で火をおこし、薪を割って風呂を沸かす生活なんて考えもつかなかっただろうけれど。
胡散臭さ爆発だったけど、エセ臭い笑顔の有害銀髪は私がアンジェさんの料理を食べて寝て起きたらいなくなっていた。良いことだ。何の思惑だか分からないけれど置いてかれた私はアンジェさんのお世話になることになった。
ここは、東の魔女の森よりも更に東、国境のすぐそばにある屋敷なんだそうだ。
周りは森に囲まれているけれど、少し歩けば川もあるし水車もあるし、もっと歩けば美しい花畑もある。屋敷はどっちかっていうと西洋風。だけど柱とか柵とかは中華風で和洋折衷の赴きのある造り。部屋はゆうに五十以上あって、そこに花も恥じらう乙女から美女、三十人ほどが一緒に暮らしている。
年齢もバラバラなので寄宿制の学校というわけでもなさそうだ。周囲の森は広大で、危険な獣は狼ぐらいらしいが人が行ける範囲には獣除けの魔術が施してあって危険な獣は寄ってこない。獣は居ないが普通の人の足では森を抜けることは到底叶わないだろう。
そんな広い敷地に集められた彼女たちが唯一課せられているのは、この屋敷から出ていかないこと。
炊事洗濯、家事のもろもろは当番制になっていて全て持ち回りだが、屋敷には庭師や騎竜の世話係の青年や男性が十人ほど住んでいる。彼らはいずれも顔がいい。五日に一度来るという行商のおっちゃんは、腹の突き出た人のいい狸顔だから間違いない。ここに住むには美形基準があるあらしい。
二十四年の経験上、女というやつは不思議なもので、男が群れの中に居ると大人しいけど、女同士になると途端に仲間意識が薄くなる生き物だ。女十人寄れば、暇さえあればイジメも娯楽にしちゃうのが一人や二人居るからそのバランス取るために顔のいい男がいるんだろう。その証拠に、身奇麗にするのに忙しくてイジメまで手を出すやつが少ない。裏ではあるのかもしれないけどその程度。きっとあの笑顔張り付けた紳士的な男たちに少しでも良く見られたい一心で、表面上でも皆にこやかに暮らしてる。
年頃の娘たちがワガママらしいワガママも言わず、きゃいきゃい過ごしていられるのはそういうことだ。
不自然だけれど、ここには穏やかな暮らしが流れてる。
異世界に来てからクリスさんやカリアさんに知り合ったけど、生活の大半も美形だけどむさくるしい男と一緒に過ごしていたので、女の子特有のいい香りがする環境にほっとする。
たとえ、毎日、洗濯やら薪割りやら押し付けられても全く気にならなかった。
ここでは、屋敷の敷地から出なければ何をしても自由なのだ。
日本に居た頃は仕事で疲れて過ぎていて家事が非常に苦だったが、幸か不幸かあの胸クソ悪い魔女にビシバシしごかれたお陰で川で洗濯も肉の解体も(鳥とかね、そのまんまで運ばれてくるんだ…)出来るようになりました。
感謝はしたくないけど、生活力はついたよ私。
「また押し付けられたのかい」
洗濯してから薪割りでもするかと腕まくりした私が振り返ると、赤気の美女が苦笑した。
「またハンナ達だね? しょうのない子達だよ」
そういう美女も洗濯カゴを抱えている。
「今日はヨルダさんが来る日なんでしょう? アンジェさんもお店見てくるといいですよ。やっておきますから」
アンジェさんが抱えてる洗濯カゴを指さして、私は屋敷の玄関先を見た。ヨルダさんは行商のおっちゃんのこと。ベッドから起きて一日目に会ったから、ここの生活も五日目になったことになるのか。屋敷の裏にある川からは玄関ポーチが見えるんだ。そこにはすでに二頭立ての騎竜がもそもそと下草を食べている。
行商のおっちゃんは生活に必要なものを運んでくる他に、チャリムやアクセサリーといった嗜好品も持ち込んでくる。それを月に一度(ここではひと月は二十日なんだってさ)のお小遣いから買うのが、乙女たちのささやかな楽しみなのだ。
「今、欲しいものなんて無いからね。別にいいのさ。それより、ヨーコは欲しいものなんかあるんじゃないのかい?」
幸い着替えはある。不本意だがあの魔女が持たせてくれた。衣食住以外に欲しいものなんか今のところ全く思いつかない。今日も美しく化粧をしているアンジェさん(薄化粧だけどね)を見ていると女失格なのかと思うけど。
「いいえ。ありませんよ」
お金もないしね。ここに来て五日の私にお小遣いとやらは持たされていない。いや、この年でお小遣いなんて渡されてもかなり困るんだけど。
アンジェさんは今年で二十五歳。私より一つ年上だ。彼女もお小遣いとやらをもらっているのだろうか。
尋ねたら、豪快に笑われた。この人、妖艶さのある美女なんだけど、態度も口調もさっぱりしている。ここで、誰がリーダーなんて誰も決めていないんだけど、アンジェさんが自然とまとめ役になっているのは分かる気もする。世話焼きだしね。
「アタシらみたいな大人がお小遣いって訳にもいかないだろう? だから糸を紡いだり、刺繍したり、何か細工物を作ったりしてそれを街で売ってきてもらっているのさ」
それが彼女たちの収入源になっているらしい。だったら、売れればあの小娘たちよりお金を持っているはずだ。
ここを出て行きたくはならないのだろうか。
アンジェさんは少し笑って、洗濯をしながら話そうかと言って二人して洗濯を始めた。洗濯板なるものがあるのでそれで、川に人工的に作ってある洗い場でゴシゴシやる。
「ここに居る娘たちはね、ほとんどが食うにも事欠くような村や街でも学校にも通えない娘たちが集められているんだ。だから、ここでの生活は、あの子たちにとっちゃ夢のような生活なんだよ」
暖かい寝床に食事、それから奇麗な服まである。
「アンタみたいに二十歳過ぎた女もいるけど、悪い男に捨てられて身売りしていたとか酷い生活してたモンばっかりだ」
想像は出来た。けれど、私には彼女たちの過去を実感することは出来なかった。
色々あったけれど私は、幸い異世界に来てから衣食住に困ったことはないし、身の危険はあったものの悪運が強くて無事だ。
だから、アンジェさんにかける言葉が出てこなかった。
「……アンタは、本当にいいところのお嬢さんだったんだね」
言われてアンジェさんの顔を見るけど、彼女に私を怒るとか蔑む様子はない。ただ、優しい憐れみだけで。
「どうして、アンタみたいなお嬢さんがここに連れて来られたんだろうね」
それを問いたいのは私の方だったので、結局は口をつぐんでしまった。
言葉を失くした私にアンジェさんは困ったように笑う。
「悩んでも仕方ないさ。学のあるアンタに分からないことが、学のないアタシに分かるわけがないからね。バーリムが誉めてたよ。薬草に関しちゃ、アンタ物凄く優秀なんだそうじゃないか」
アンジェはまるで我がことのように弾んだ笑顔だった。
誰よりもこの国について知っている俊藍について旅をしていたわけだけど、未だ私はこの世界の知識がまるでないのも同然だ。だから、定期的に行われている勉強会に参加している。
バーリムとはここで家庭教師みたいなことをしている三十二歳の眼鏡の男前だ。穏やかな微笑みがトレードマークみたいになってるけど、あれは相当のドエスと見た。宿題忘れた生徒に容赦ない質問を浴びせるんだよ。十六の小娘泣かして薄笑いできるなんてドエスか鬼畜と決まってる。
そのちっとやそっとじゃ褒め言葉なんて出さないバーリム先生が誉めてたというだから、私の知識は結構いい線いってるらしい。素直に喜べないけど。
「そんな顔するんじゃないよ。あの、学者馬鹿が誉めてるんだ。自信持ちな」
バーリム先生の私室は結構広いはずの部屋が足の踏み場もないほど本に埋まっている。常に何かしらの知識を蓄えること、発見することに執念燃やしているらしくて、アンジェさんが学者馬鹿というのも肯ける。けど、あの堅物ドエスにアンジェさん、気安いな。もしかして?
「あのバーリムとは付き合いが長いだけさ。もうかれこれ五年になるかな」
私の勘繰りを先読みしたようにアンジェさんは笑う。ああ、これ、もしかしたらあのドエス学者の片思いっぽいな。アンジェさん美女だし。
「ここでは私が一番の古株だからね。他の連中ともこんなものなのさ」
五年が古株になるってことは、ここには卒業というシステムがあるのだろうか。
ますます不思議な場所だ。
学校でもない、孤児院ってわけでもない、年頃の女ばかりの園。マナーの先生もいるから(これも男の先生と女の先生が居る)まさか淑女養成学校? でもマナー教室に通っているのは入寮者の半分程度だ。
ここは、いったいどういう場所なんだ。
その疑問を遠慮なくぶつけることが出来たのは、アンジェさんと洗濯してから二日後のことだった。




