約束と鉄面皮
捻挫と言っても、歩けないわけではないわよね?
ええ、まぁそうですね。
そういうやりとりが交わされた翌日から私は奮闘していた。
ええもうそりゃもう!
薪割り水汲み、料理の下ごしらえ。屋根の修理はさすがに無理ねぇと言われて免れましたが。
口調は優しいけれど、さすが魔女。容赦を知らない。
「塩が効きすぎているわねぇ」
決して怒鳴りはしないんですよ。お上品ですからね。
でも食事をしながらねちねちねちねちと延々お説教だ。
最近、胃の調子が悪い。
薬草でも取ってくるか。俊藍に教えてもらった知恵がもう役に立つとは。一週間もサバイバルしてたから覚えの悪い私でもさすがに覚えましたよ色々。
「あなた、薬草分かるの?」
そんなこと言われたかと思ったら、次の日から薬の調合手伝えって。
一度、胃の薬と胃潰瘍の薬と間違えそうになって、こんなことも知らないのかと言われました。いや、そこまで専門的なことをするつもりもありませんでしたので。何だか毒草との違いまでみっちり教えられましたよ。そんな葉の形が違うからって分かんないですよフツー。
「ついでだから、キノコの種類も覚えなさい」
「……あの、ものすごく種類多いんですが」
「覚えなさい」
問答無用ですか。
ビシバシしごかれるついでにこの国の漢字以外の文字もだいぶ覚えました。…覚えざるをえないというか。
魔女と二人暮らしは厳しいものです。
とはいえ、私一人が働いているわけではありません。
彼女も日がな一日、掃除に洗濯、薬の調合。そして時には山を下りて村に薬を売りに行く。そのお金で砂糖や塩なんていう森じゃ手に入らないものを買う。
川で洗濯やら熱い鍋やら毎日のように持って歩いていたら、私の手はみるみるうちに日に焼けた皮の厚い手になりました。
今まで、どんな楽な仕事をしていたんだと、魔女さんに最初に言われましたが確かにその通りですね。
魔女と暮らし始めて一週間ほど経った頃にはすっかり節くれだった立派な手になりましたよ。
捻挫の足が治ると見るや、村までついてこいと言われました。
人使い荒いよ。
でも、まぁ、嫌いで気に喰わない人間の面倒を、放り出さずに見てくれているんだから彼女を恨む気にはなれなかった。
おかしいかな? 私。
彼女の薬は結構評判みたいで、村にある、ちゃんとした店の薬屋さんが魔女の薬を結構な高値で買い取ってくれている。銅一つでパン一個。それに対して魔女の薬は一つ銅十五。いい値段だ。
薬屋に売るものだけじゃなくて、個人的にも請け負ってるみたいで、一軒一軒お得意様を回っていく。
そこで彼女は私を弟子だと紹介した。
え、いつの間に魔女の弟子? 魔女っ子になれるの私?
魔女は帰り際の買い物中、立ち寄った露店で私に服を買えという。
あいにく私の手持ちから服を買う余裕はない。服も下着も手持ちを着まわしている。
ただいま着ているのは深緑の着物に同色系のチャリムと帯とパンツを合わせたこれでもかっていうぐらい地味な格好。村でこんな格好なのは、私よりもうちょい御年が上のお姉さんたちだ。(おばちゃんと言うと怒られるんだよ)同年代ぐらいの格好はふんわり裾の広がるチャリムドレスが一般的。街でもよく見かけたよ。もっと大きな街だと装飾品がすごいんだ。
お金なんて無いと言ったら、お金は出してくれるという。どういう風の吹きまわしだ。
「年頃の娘が着る服じゃないわよ? きちんとなさい」
たくさんの衣装から選べないでいると、魔女が選んだのはふんわりとした裾のこともあろうに白のチャリム。
売ったチャリムドレスの呪いじゃなかろうな。これ。
でも一緒に買われた(最後の方はすでに私は選んでない)深い蒼のチャリムはまるであの湖面の瞳を思わせるみたいで気に入った。
思えば魔女エバはきちんとした人だ。
年のころは五十を数えようかというぐらいだけど、しゃきしゃき働くし穏やかな口調で文句も言う。
文句は言うけど、言葉も薬草も、常識も教えてくれて、チャリムまで買ってくれて。
ちょっと感動しそうになった。
でも、やっぱり世の中そんなに甘くない。
使い慣れない道具で夕食の準備をしていたら、山小屋の戸がドンドンと鳴った。
エバが出てくれないかなと思ったら、彼女は忙しいらしく出てくる気配がない。
「ちょっと出てくれない?」
部屋の奥からそんな声が聞こえてきたので、私は急いでナイフで切った芋を鍋に放り込んだ。今日は村で譲ってもらった肉を煮込んだビーフシチューもどきだ。(肉が何のものか知らないんだよね)
この家は二階建てで、二階に私とエバの寝室が二部屋と薬草の調合室がある。
きっとその調合室に居るのだろう。
私は急いでドアに近寄った。
「どちら様でしょうか」
こういうところは都会っ子の癖が抜けない。知らない人にノコノコ戸を開いたりしない。
それがアダとなったらしい。
ガンっとドアが叩かれたかと思うと、奇妙な声が聞こえてきた。
咄嗟にドアから離れると、不思議な模様がドアに浮かんだ。
そして、ひとりでにドアの錠が外れる。
ひぃぃっ! ポルターガイスト!?
思わず腰が引けそうになったら、ドアが開いて夜の闇から白いマントがぼんやりと浮かんで現れた。
ん?
なんか、見憶えあるような?
白銀の長い髪、そして絶対零度の話しかけるなオーラ。
その顔は、華やかに美しく整っているのに灰色の詰襟姿の長身から見下ろしてくるのは華々しさなんかまるで無い冴え冴えとした碧眼。
おお、何か懐かしくさえあるな! 白い鉄面皮!
社長にべったりだったあの鉄仮面だ。
驚く私を珍しく認識しているのか、不機嫌そうにその柳眉を跳ね上げる。女王様ですかあなた。
「ヨウコ・キミジマだな」
発音が惜しい。漢字で名札でも作ろうかしら。
「そうよ」
答えたのは私じゃありません。
私の後ろから現れた、ミス・エバ。
「ようこそ。ハイラント少尉」
ハイラントって名前なのか。そう思ったのもつかの間。エバは私に風呂敷包みを手渡してきた。外人顔に風呂敷包み渡されるってホントに違和感あるわ。
「せめてもの餞別に」
開いてみると、買ってもらったチャリムと私の着替え。それから、いつか俊藍に買ってもらったかんざしが入っていた。
えっと、何それ?
「約束は守っていただけるのでしょうね?」
エバは私を無視してハイラントに視線を向ける。
「すでに北国とは連絡をとってあります。おってあなたに通知が届くことでしょう」
ハイラントの言葉に魔女は珍しく頬を赤らめて「素晴らしいわ」と感極まった顔で笑んだ。
あれ。
これって。
ハイラントはそんな魔女には目もくれず、私に視線を落としてくる。この人も背が高いんだよ。くそったれ。
「あなたには、私と共に来ていただきます」
やってきたのは、こいつ一人。
それは、
「……売りやがったな。クソ婆」
私の唸る声に魔女エバはにったりと唇の端を上げる。
「あなた、まさか自分が特別になったと思ったのかしら?」
特別?
「異世界に飛ばされて、陛下に愛されて、それだけで特別になったとでも?」
エバはまるで子供のように笑った。
「あなたは、北城宰相閣下のおまけで飛ばされてきた単なる不慮の事故の被害者。それ以外でもそれ以上でもないのよ」
そんなことは分かっている。
「陛下はそんなあなたを憐れまれただけ」
そんなことは、
「分かってる! あんたに言われるまでもない!」
私はただ、願っただけだ。
俊藍の幸せを。
「あなたのような野蛮な娘、北城閣下がお気に召さなかったのもよく分かるわ」
魔女は鼻を鳴らして笑う。
ああ、この人、ほんとに魔女だったのね。
「社長に気に入られようが、俊藍に愛想尽かされようが、私には知ったこっちゃありませんよ」
あいつらは、人の気持ちなんて無視してなんぼだと思ってる朴念仁だ。いつか会ったら殴ってやる。
よし。記念だ。
このおばちゃん、一発殴るふりしておこう。
私はほとんど無造作に拳を振り上げた。女性に手を上げる趣味はないけど、このおばちゃんは脅しが必要だ。
不愉快過ぎる。
呆けた様子の彼女の鼻面をかする。
その寸前で止めてやろうとした。
でもそれと同時に私の首筋に冷たい指が当てられたかと思うと、意識が消えた。
ああ、ホントに胸クソ悪い。