干し草とお別れ
気になることは多々あれど、メモ帳もないから覚えてられることが少なくて、というか毎日がサバイバル過ぎてプチ混乱した状態で、私の旅は始まった。なんだか最初から先行き悪い。
そんな旅の中で、今まで謎だった俊藍の胡散臭さが増してきた気がする。
渡された皮の靴は丈夫で少し重たい気もしたけど、山の中をダイモンに連れられて(ダイモンは時々気遣うみたいに立ち止まってくれるのだ)歩くとそうでもない。
俊藍は、ダイモンの背中に乗ってもいいと言ってくれたけど、ダイモンは私たちの荷物をすでに背負っている。これ以上負担をかけるわけにもいかない。
そういうわけで、私のペースに合わせて行程を進めることになった。
落葉樹の多い森に道らしい道はない。俊藍が時々見ている地図には、この地図を書いた人が作ったらしい休憩所みたいなところが書いてあるだけだ。だから、俊藍は時折、太陽で方角を確かめながら歩いているようだった。なんてサバイバル。
歩いている間にも、痛み止めの薬草とか、薬の煎じ方とか教えてもらう。
そんな話をしながら、俊藍は私が歩きやすいように草を除けたり邪魔な小枝を鉈で切ったり、石を脇に退けたり。器用なことこの上ない。そんなことしながら、私を追いかけているであろうチンピラ達のことも考えているようだった。
分かってたけど、この人、頭がいい。それもとんでもなく。
幾つかの休憩所を通って、ようやく次の町についたときにはすでに夕暮れが終わりかけだった。
前の町よりも少し小さな印象の町の宿屋は、一階が食堂で二階が宿屋の造りになっていてB&Bみたいだ。ダイモンを預かってくれるから、それなりに大きい。
夜の食堂は老若男女いたけど、子供は居なくてどっちかっていうと酒場の雰囲気。
大人の社交場よろしくお酒飲んでる人がほとんど。
私が物欲しそうな顔をしたら、俊藍は保護者らしく甘いジュースを頼んでくれた。ここでパパと呼ばれてヒンシュク買いたいのかこのエセ親父。病み上がりの身なので、大人しく彼の影で運ばれてきた豆のスープとナンとサラダを食べることにした。
なんで影なのかっていうと、俊藍が勝手に私を店の奥のテーブルに押しやったのだ。そんなに私と食べるの嫌なら私一人で部屋で食べてるから一人で食べろよ。でも俊藍が一緒に食べたがる理由がここにきてようやく分かった。
テーブルは五人掛けだから二人だと当然席は余ってる。そこにゆったりと腰かけてきたのは、大胆なスリット入ったチャリム姿の亜麻色の髪のお姉さん。技術の粋を集めたお化粧の顔で妖艶に微笑んで、
「今晩いかが?」
本当は俊藍に色々話しかけてたんだけど(どこからきたの~とかアナタみたいな人珍しい~とか)お姉さんの言葉は要はこういうことで。
う、おおおお! 聞いたこっちが何故だか興奮してきた! 行っちゃう? 行っちゃうのか俊藍! 男だろ!
「いや、妻がいる」
と、俊藍は澄ました顔で中学生よろしく興味津津だった私を指さした。
いや、あなた、ちょっと待てぇえええええ! 違うだろ! あんたホントに男!?
妖艶な美女の方も、
「それなら仕方ないわね」
て、あっさり私の方ににっこり微笑んで他に行っちゃうし!
見送った俊藍を問い詰めることもできず、仕方なく部屋に戻ってから(節約のため同じ部屋)さりげなく問うてみた。
「大丈夫なんですか」
不肖ながら弟が居るワタクシ。あいつも何だか年頃の頃はそれなりにそれなりだった。(察していただきたい)さすがにお姉ちゃんをそういう目で見ることはなかったが、カノジョが出来た今では週一でそれなりらしい。万年独り身の私を散々バカにして色んな余計なことを教えてくれたものだ。ああ、アイツ、あの可愛いカノジョ泣かせてないかな。
涼しい顔の俊藍は私をじっと見て、ふっと溜息をついた。わざとらしくてちょっと腹が立つんですけど?
「ここまで警戒されなければ、襲う気も失せるな」
ツインの部屋には籐みたいなツルで編んだベッドに布団をのっけた寝台が二つあって、他はチェストにランプが置いてあるだけだ。寝台の一つに俊藍は寝転がって大きく伸びをした。床にはふかふかの手縫いらしい絨毯が敷いてあってフローリングはギシギシいわないし暖かい。今晩は火の番をしなくていいから、彼もゆっくり眠れるだろう。じゃなくて。
「何言ってるんですか! あんな美女に声をかけていただいておいて!」
男としてどうなのかと問うているんですよこちとら!
いきり立つ私を涅槃のポーズで見上げた俊藍は、涼しい顔でこう告げた。
「繁殖期がまだ来ない」
俊藍いわく、狼になりかけていた影響で、あの動物特有の繁殖期というやつがあるそうで。
―――体よくあしらわれたような気もする。
実際、俊藍はよくモテる。
街を歩けば、女の子に振り向かれるのは当たり前で、店に入れば女性店員が寄ってくるし、声をかけようものなら物凄い勢いでモーションかけられる。でもそこまでだ。この朴念仁はそんな秋波に見向きもしないで、まるで空気の如く受け流すのだから色男としては落第点だ。歩く十八禁のウィリアムさんを見習えとは言わないが(あの人はきっと女性関係ただれてる)そこそこのあしらいをしても良いのではないかと思う。が、俊藍の無視っぷりは、余計な期待や羨望を極力受けないようにする、美形なりの処世術のような気もした。
だが、世の中無視されて引き下がる女性ばかりであろうはずもなく。
そこで私が登場するらしい。
繁殖期話が出て以来、二、三の街に泊まったが、必ず自信に充ち溢れた美女からお声がかかると決まって私を引きあいに出して「妻だ」と紹介してくださる。中には睨んでくる美女も居て、正直迷惑だ。美女には可愛がられたい。
しかし、のんびりとはいえ、決して楽ではない旅の途中で美女に癒してもらおうという気にはなれないのか。
たまに私以外と話している思えば、酒場の酔っ払い達と賭け札(花札みたいなものだ)に興じていたりする。
彼は、女だけではなく同性からも好かれた。老いも若きも、彼を嫌う人はあまり居ない。
長い黒髪に蒼い冴えた双眸は、俊藍を神秘的に見せはするが、彼が喋ると途端に魅力を発揮する。
それはオーラのようなものでもあったし、彼の生まれながらの性質に見えた。
人を寄せ、この人でなければと思わせる何か。
一種のカリスマのようなものだ。
この人は、多くの人を従わせる人だ。
その外見から、威圧的でさえある雰囲気から、そして人を信じさせる何かから。
いったい何者なのか。
その疑問をより一層深める事態に、私は巻き込まれてしまった。
小さな町の小さな宿屋を幾つか泊まって、広い街道に出た。
街道といっても人通りはなく、いつものようにダイモンに連れられてぽくぽくと歩いていた。
そんな街道の脇の林から、ざざっとマントに身を包んだ人たちが駆け出してきたかと思えば、あっという間に私たちを取り囲む。
出会った頃の俊藍みたいに、お代官様のように顔までマントで隠しているが、暗い色した衣装の下から鞘の先が覗いている。
立ち往生したダイモンと私を守るように、俊藍は自分の体を斜めに構えて前へ出た。
その様子に私はぎくりとする。
旅の中で、何も無かったわけじゃない。
酔っ払いにケンカを吹っ掛けられる時もあれば、チンピラに肩がぶつかったとインネンつけられる時だってある。
そんなとき、いつだって俊藍が私の前に出たが、そんな時でさえ腰の剣の柄に手をかけることさえしなかったのだ。
幾ら相手がナイフを抜こうが、剣を抜こうが、いつも俊藍は素手で相手を地面に沈めた。そして沈めた後は、時と場合によっては苦笑しながら駄賃さえやるのだ。
そんな俊藍が、今は始めから腰の剣の、手入れのされた剣の柄に手をかけている。
彼が剣の手入れを欠かさないのは知っていた。
それは、火の番をしている時であったり、宿屋で眠る直前だったり。
あれが決して飾りではないことを知っていた。
けれど、私にとっては、あの剣は彼の心の象徴のような気もして、少なくとも私との旅の中で剣を抜くことはないと信じていた。
「―――お探し申しあげておりました」
マントの一人が男の声で呟くように言った。
「ご無事のご帰還、祝着にございます」
俊藍は応えない。
代わりに、剣の柄をゆっくりと撫でる。
そういえば、彼がその黒い手袋を外した所を見たことがない。
「さぞお疲れでございましょう。ゆっくりと御休みくださいませ」
キン!
甲高い音が街道に響き渡る。
いつの間にか抜かれた俊藍の剣が鈍く銀色に光った。マントが抜いた剣を彼が弾いたのだ。
私はダイモンと一緒になって竦み上がる体を寄せ合うことしか出来ない。
「乗れ!」
俊藍の今まで聞いたこともない透る声に沈みかけた意識を呼び起こされて、私はダイモンにくくりつけてある荷物からよじ登って飛び乗った。ダイモンは嫌だったろうに、嫌な声一つ上げずに私を乗せるとすぐに走りだせるように足をかがめる。頭のいい子だ。
その間にも俊藍は斬りかかってくるマントを斬り払っては遠ざけ、
「行け!」
マントの一人を片手で掴み上げながら、ダイモンの背を叩いた。
咄嗟のことに私は手綱を握ることしか出来ず、走り出したダイモンの背にしがみ付きながら、マント達に斬りかかられている俊藍の姿を振り返る。何人いるんだかわかんないけど、寄ってたかって卑怯だぞ!
しかし、私の後をマントの二人組が追いかけてきた。
一人は剣を構えて、もう一人は、短い杖のようなものを持っているが様子がおかしい。
走りながら空中に人差し指で円を描いたかと思うと、杖で円の真ん中を突き刺す。
そうして現れたのは、光の球。球は空中に漂うのではなく、猛スピードでこちらに迫ってくる!
当たったら痛いじゃ済まない気がします。
ぎゃああああ! これ、あれですか! 魔法ってやつ!?
ギュン! とダイモンがナイスタイミングで避けると私の顔の横を目にもとまらぬ速さで通り過ぎていった。
駄目だ、当たると死ぬ!
ダイモンを上手く操ることなんか出来ない。だって俊藍から習ったのはダイモンの餌やりと乗ったらとりあえず手綱を放さないってことだけだ。
それでもダイモンは走る。
危機回避の本能が働いているからだろうけど、それは私にもありがたい。がんばって!
騎竜の足に、普通の人間じゃ敵わない。後ろについてきている二人は普通じゃないんだろうけど、スタミナが尽きかけることはわかってる。死ぬつもりは全然ないけど、俊藍からせめて二人だけでも引き離せるなら。
光の球の攻撃は続いていて、ダイモンが避けながら走っているからあとはダイモンの頑張りにかかっている。あとでたくさん餌あげるからね!
でも、この荷物は重いだろう。
外してやるべきかもしれない。
無謀だとは思ったけど、手綱を片手に私は荷物をくくりつけている紐に手をかけた。
いつも俊藍がくくりつけているから、結び目はしっかりしていて、しかも今は初心者マーク付きの車の助手席真っ青の爆走騎竜の鞍の上。
それでもなんとか外してあげたい。私っていう荷物をもう背中に乗っけてるんだしね。
けれど、予想以上に結び目は硬くて、
「イタッ!」
舌を噛みそうになりながら、思わず叫んでしまった。苦手な人には申し訳ないけど、うっかり生爪はがれそうになりまして。現代人の手は弱い。
思わぬ痛みに油断して、私は手綱を放してしまったらしい。
あっと思った時には、私はダイモンの背から放り出されていた。
咄嗟に体を丸めたけれど、地面に落ちる瞬間は息が止まる。
背中も痛い。手も痛い。
でも、大分離れていたはずの追いかけてきた二人組の気配が迫っている。
涙が出そうになるのをこらえて、身を起こすとダイモンがこちらに戻ってきてしまっている。
やめて。
叫びたいのに、背中を打ったからか声が出なかった。
やめて、走って、逃げて!
枯れた声がもどかしい。
ダイモンは小走りにこちらに戻ってくると、心配そうに私に長い首を降ろしかける。
なんて優しい子なの。
だから。
「逃げ…っ!」
やっと声がまともに出た。
けれど、
ジュ!
肉の焦げるような匂いが目の前を通り過ぎた。
光の軌跡は私の頬をかすめて、目の前のダイモンの足を貫いた。
ダイモンは声を上げなかった。
この子は滅多に声を上げない。
大人しくて、とても優しい。
頭を撫でると嬉しそうに喉を鳴らすだけで。
ダイモンの足から青い血が流れている。その飛び散った血を見ながら、私は何も出来ずにただ息を呑む。
何も考えられなくて、どおっと荷物と一緒に倒れたダイモンに走り寄る。
「ダイモン、ダイモン…っ!」
ごめんなさい。ごめんなさい!
私が、私のせいだ!
半分以上パニックを起こした私は、すぐ後ろで剣と杖を構えた二人のことなんて知らなかった。
だから、ダイモンが低く喉を鳴らしてくれなかったら、振り向くことさえ出来なかっただろう。
でも、すぐに振り向いたことを後悔した。
私に向かって剣と杖を振り上げていた二人は、何かに気がついたように、私を放って踵を返す。
けれど、剣を持っていた一人は、構えた剣ごと横薙ぎに斬られ、更には斬られた腹を蹴り飛ばされた。
咄嗟に杖を構えて、何やら呪文を唱え始めていた一人は、その返す剣で頭から斬られてその場で膝をつく。
凶刃を持ったその人は、ふっと息をついたが、後ろも振り返らずに小さく呟いた。
「燃えろ」
すると、その場で斬られた人も、蹴られた人も、そしてその人の後ろに居たであろう人からも火の気なんて何もないというのに火柱に包まれ、あっという間に燃え上がる。
その火柱も、私が呆然する間に消え失せ、あとには、彼らが身につけていたのだろう剣や装飾品だけが黒い灰の中に残った。
きっと一時間も経っていない。
そんな短い時間に、ここに居たはずの人の大半が灰になってしまった。
ダイモンの隣で座り込む私を、血濡れた顔でその人はいつものように口を開く。
「大丈夫か。葉子」
黒髪の、冴えた蒼い瞳が私を見下ろしている。その顔には見慣れない赤いものが飛び散って、それは服にも続いている。
手に持った剣からは、それが未だに流れ落ちていた。
それはきっと、彼のものではないのだろう。
感情の起伏が薄い顔で、彼は私を観察し、そしてダイモンに視線をやって、目を細めた。
「ダイモン、大丈夫だよね…? 俊藍」
何も言わない俊藍に不安になって尋ねた。尋ねずにはいられなかった。
俊藍には珍しく一呼吸おいて、彼はまっすぐ私を見た。
「駄目だ。助からない」
私は、思わず立ちあがって俊藍の服を掴む。
それでも俊藍はひどく硬い声で続ける。
「騎竜は歩けなくなったら上手く呼吸ができなくなる。―――この怪我では、満足に歩くことすらできないだろう」
だくだくと流れる血を、私は駆け寄って手でふさぐ。
止まらない。
どうやったら止まるんだろう。
どうして、どうして、私は、こんなに役立たずなの。
「クゥ」
顔を上げたら、ダイモンが長い首をめぐらせて私を見ている。
「クゥ」
ダイモンの鳴き声を聞いたのは、初めてだった。
こちらを眺める猫目の金色の瞳は、不思議そうでもあり、自分の行く末を知っているかのようでもあった。
たまらなくなって長い首に抱きついたら、ダイモンは心配するように私の頬に頭を寄せる。
この、心配性。
「葉子」
俊藍が、私の隣で剣を握った。
ダイモンはきっと呼吸が苦しいはず。
ごめんね。
私はダイモンの頭を撫でながら、目を閉じた。
俊藍の剣が振り上げられるのを感じた。
それは、一瞬で、息を止めた。
すぐに、ぐったりとなった頭を撫でてやると、まだ喉を鳴らすのではないかと錯覚に襲われる。
でも、もう、ダイモンは動かない。
金色の目を閉じてやって、そっと地面に横たえる。
剣を払って鞘に収めた俊藍が、ダイモンから荷物を外した。
ああ、やっと軽くなったね。
離れていろと言われて、荷物と一緒にダイモンから離れると俊藍は剣を抜き放って地面に突き立てる。
「この者の魂に安息あれ」
短い、だが朗々とした声。
俊藍が手をかざすと、ダイモンの体は炎に包まれた。
私は、他に方法が思いつかなくて、荷物の中からいつもダイモンにやっていた干し草を取り出した。
炎に駆け寄って、干し草を火の中に放り込む。
俊藍は不思議そうな顔をしていたけど、私は目を閉じて手を合わせた。
もしも天国があるのなら、どうか元気で。
五分も経たず灰になってしまったダイモンの体は、骨も残っていない。
灰を集めて、街道の脇の草地に埋めてやる。
「どうして、干し草を火の中に入れたんだ?」
私の様子を静かに見ていた俊藍が、振り返った私を見下ろしてきた。
「ダイモンのお腹が空くといけないでしょ?」
故人の好きだったものを棺に入れる習慣はこちらには無いのだろうか。
俊藍は、そうかと言ってひどく優しい瞳でダイモンの小さなお墓を見た。
私が変だというのなら、俊藍だって十分普通じゃない。
だってマント達にやったのと違って、ダイモンの弔いは、すごく丁寧なものだった。
目には目を、敬意には敬意を。
俊藍は淡泊に見えて実はものすごくわかりやすい行動理念を持っている。
この人は、優しいけれど、誇り高くて、迷わない人だ。
いつの間にか顔中を流れていた涙を、私はごしごしと拭った。
早くしゃんとしないと、ダイモンに心配されるからね。