火打石とお手伝い
しゃなり、しゃなり。
鈴のような音が、オレンジ色の街灯の明かりの中を進む。
宵の口の街を行きかう人々は皆一様に道を開け、道中を見守る。
彼らの視線を集めているのは、荷物を背負った騎竜と黒髪の男、そして騎竜の背に乗った白いベールの女だ。
先ほどから鳴っている鈴のような音は女のベールについた銀飾りの音だろう。
騎竜を連れた男と女は宿に立ち寄ると、そこの主に声をかけ、二、三断りを入れたかと思うとすぐにまた街路を練り歩いて明かりも届かない道へと消えていった。
「―――つっっかれた……!」
街を出て、幾らか近くの森の中へと入ったところで、私は白いベールを頭から取り払った。
申し訳ない。妙齢の美女でなくて。
隠せてないけど、ワタクシです。平凡、地味が売りの君島葉子でございます。
ただいま、絶賛変装中です。
白基調の裾も袖も長いふんわりとしたチャリムドレスに、金銀宝石のついた腕輪にイヤリングにネックレス。あんまり長くない髪はお上品に毛先をカールさせて、顔は整形かっていうぐらいのお化粧しております。カリアさんに施されたこの素晴らしい変装(衣装と言うより変装だ)は、街の行き交う人々どころか宿屋のおばちゃんと騙せるんだからビックリですよ。女サボっててごめんなさい。
「奇麗だぞ。葉子」
携帯用の行燈に火を入れながら昼でも夜でも変装しなくていい美形が微笑んだ。俊藍の買った衣装を着てるから機嫌が良いんだろうけど、美形に奇麗と言われてもぐっとこない。
「脱いでいい?」
「ここで俺が襲っていいのなら」
普通にまだ着てろって言ってくれ。
溜息をつきながら何の気なしに騎竜の頭を撫でてやると、長い喉が低く鳴った。気持ちいいのだ。
この、のっぺりとした顔の可愛いやつは、社長と会った時ブリキのおもちゃが連れてた恐竜もどきだ。こちらの世界では馬と同様に家畜として買われているらしい。長い首に私の頭をぱっくり食べられそうな大きな口の爬虫類は、そのつるりとした肌に似合わずごわごわの毛を胴体に持っている。そのいい感じのクッションの上に鞍を乗せて乗るから、馬よりだいぶ振動がないという。(馬には乗ったことないんだけど)太い二本の後ろ脚は猛獣だって蹴散らすほど頑丈で、重たい荷物も楽々運ぶ。これで主食は干し草だというのだから、不思議な生き物だ。
行燈を道標に俊藍は、騎竜の手綱を引いて少し森の奥へと進んでようやく私を鞍から降ろした。
この騎竜ってもふもふした胴体が私の背ぐらいある大きな生き物なんだよ。一人乗り降りはかなり怖い。
「ありがとう。ダイモン」
地味な緑色したこの騎竜の名前だ。種類の名前はヴェールといって、足腰が強くて大人しい種類らしい。実際、ほとんど初対面の私ががしがし鼻頭を撫でても猫目を細めるだけだしね。ミリアントさんのお店はこの騎竜を扱うお店らしくて、俊藍と専門用語で話していたのは、この騎竜の種類とか値段らしかった。
俊藍が薪拾いを始めたので、私もベールと装飾品を外して一緒に拾う。それぐらいはやるよ。
ここの生活環境で、私って本当に役立たずなんだよね。子供みたいなお手伝い程度にしか役に立たない。
常識はないし、格闘出来るわけでも、特殊な知識があるわけでもなく。
だから、俊藍が薪に屋台組んで火打ち石で火をつけようとしてたから頼みこんでやらせてもらう。自分でやれることは多いに越したことない。
火打ちって石同士をカツカツやっているのかと思ってたけど、専用の金具に打ち付けて火花飛ばすんだってさ。
乾いた落ち葉に火花飛ばして煙出てきたところにそぉっと息を吹きかけて、乾いた枝なんか火を移す。……だけの作業なんだけど、出来ない。無理だ! 昔の人は偉大!
見かねた俊藍が火をつきやすくするために黒い粉を落ち葉にまいてくれた。キノコなんかの消し炭で、普通はそれに火花を飛ばすんだって。
なんだ、私いきなりハードル高いことやってたのか。
ダイモンが退屈して欠伸を連発しだした頃、私はようやく火を起こすことが出来た。
せっかくの衣装が黒炭で汚れたけど達成感は今までで最高だ。
俊藍は特に文句も言わず、荷物から鍋やら取り出している。この人も忍耐力あるなぁ。ここまで出来なきゃイライラするでしょう普通。なのに、
「良かったな。火をおこせて」
ですよ!? どこまで出来た人なんだよアンタは。
さすがにこのにこやかな美形に悪態つく気も失せてすみませんでしたと謝りました。いちいち神々しい人だ。
湯を沸かすというので、渡された鍋に竹筒から水を入れて俊藍が組んだ屋台にひっかける。俊藍が街で買ってきた乾物の塊を放り込むと、塊は水に溶けてみるみるうちに香ばしいスープの香りが漂ってくる。こんな自然食材レトルト出会えるとは思いませんでした。
そこに粟みたいな雑穀を一つかみ入れてしばらく煮る。
時間があるから着替えていいと言われたので、早速白い衣装に手をかけた。
実は衣装の下には焦げ茶のチャリムが仕込んである。脱いだって別に恥ずかしいことはないんだけど、じっと見ないでくれませんかね俊藍さん。
巻き毛はどこかで川でも見つけて水をひっかぶるとして、化粧はそうはいかない。
荷物の箱からカリアさんにもらった化粧落としの油を布に染み込ませてじわーっと化粧を落としにかかる。いくら奇麗でもさすがにこのままってわけにはいきません。子供の手伝いしか出来なくても肌年齢が気になるお年頃なんですよ…。
あらかた落とし終えてふっと息をつくと、鍋の様子を見ていたはずの俊藍はダイモンに餌をやっていた。干し草を両手いっぱいがダイモンの一回分の食事だ。
ペット飼った経験もないから物珍しくて餌やりを眺めていたら、ふいに俊藍がこちらにやってきて私が今まで顔をごしごしやってた布を取り上げた。
「まだついているぞ」
え! 鏡なんかないからわかんないんだよ!
ひとの焦り顔が面白いのか、俊藍は楽しそうに私の顎に指をあててそっと拭う。頬の横から額に鼻、唇の端。うわぁそんなに残っていたのか! 危険な!
思わず目を閉じていたから、鼻頭に息がかかるほど近づいていたなんて分からなかった。いや、この人気配ないのが悪い!
あっと思ったら、口を塞がれた。
「……っあ、ふ…っ」
角度を変えながら唇を割られて、びくりとした拍子に薄目を開けると苦しげに目尻から涙がこぼれた。実際、苦しい。
いつのまにか頭を大きな手でつかまれて腰だけしか引くことが出来ない。その腰にも手が当てられて、じわりと撫でられると背中から何かが這い上がる。
耐えられない声が漏れて、それが怖くてまた涙が頬を伝う。
どうしよう。
どうしたらいい。
分からなくて俊藍の袖を思いきり掴む。
すると、目の前の不届きな美形はいたずらに成功したかのように笑ってようやく唇を放した。
……当たり前みたいに私の唇を舐めて拭うのやめてくれないかな……。
くそ、こいつマジで卑猥だ! 放送コードに引っかかってしまえ!
なんだか悔しくて泣きそうになったら慰めるみたいに頬を撫でられた。
「ここで丸裸にされたくなければ泣くな」
慰めろよ。
こぼれそうになった涙を手でごしごしやって、鼻をすすった。ああ、もうほんとに自分が年頃の娘なのか自分でも怪しくなってきた。元々、自信なんてないけど勘違いしてしまいそうだ。
「……どうしてこんなことするの」
「目を閉じるお前が悪い」
そうか私が悪いのか。落ち込んだ気分では反抗する気にもならない。
「どうした?」
手袋の大きな手で頬を持ち上げられると静かな蒼の瞳がこちらを覗きこんでいる。
それだけで、なんだか悲しくなってしまった。
もしかしたら、彼は私を幸せにしてくれるのかもしれない。
そう、勘違いしてしまいそうになるのだ。
この人が、何者なのか私は知らない。
けれど、多くの人に多かれ少なかれ求められている人なのは、カリアさん達の態度や社長の嫌がり方からも分かる。(社長はこの人と同種の人だから馬が合わないんだと思う)
一人占めには出来ない人だ。
この人は、求めれば私に沢山の物もそれ以上のことも与えてくれるだろう。それはこれまでの短い付き合いでも充分わかったつもりだ。
私の見返りなんか気にしないで、ずっと、ずっと私の望むものを与え続けてくれるだろうし、きっとそれは尽きないだろう。
だから、それが私は虚しくて仕方ない。
私は俊藍の助けがなければ、これから魔女のところまでちゃんと行きつけるかも分からないし、生きていられるのかさえ分からない。けれど、俊藍に返せるものは実際何もないのだ。
それこそ、この身一つを差し出す以外。
でも、私の命と身を差し出すことをハカリにかけて、いったい俊藍の私の価値はどれほどのものだろうか。
疑心暗鬼になるのだ。あまりにも、自分の行く末が不安で。
なんて、なんて自分勝手な。
こうして覗きこまれるたびに、甘えた心の奥底の、歪んだ自分まで見透かされている気分になって、思わず謝り続けたくなってしまう。
「いつか婦女暴行で訴えてやる」
憎々しげに放つ私の言葉で楽しげに笑うこの人を、一人占めしておく術を私は知らない。
出来上がった野菜スープは美味しかった。
しばらくこのメニューの繰り返しだと言われたけれど、これなら苦にならない。
その夜は、火の番を半分俊藍に任せて、被せられた彼のマントにくるまってダイモンのごわごわした毛皮の横で丸まって寝た。
この旅の間に、私は俊藍をいい思い出にする方法を考えよう。
そうすることが、私にとっても彼にとっても一番良い方法だと思いながら、静かな夜の森で夢を見た。